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昨日(11月8日、日曜日)午前11時より、某ホテルの1室で、コスモス短歌会F支部の忘年歌会が持たれた。久しぶりの方を含めて、10名が集まった。
12時過ぎまで歌会(左の写真)。時間が少ないので、U支部長の講評と添削例提示を1首ずつ続け、質問を受けた。
そのあとは忘年会(右の写真)。ビール、冷酒、ウーロン茶などと共に、おいしい料理を楽しんだ。家庭の話まで交して、懇親を重ねた。
最後に「里の秋」を合唱して、惜しみつつ午後3時近くに散会した。
昨日(11月7日、土曜日)の午後1時半より、福井大学アカデミーホールにて、『渡辺本爾詩集』出版記念会が催された。
彼は福井県詩人懇話会代表、詩誌「果実」同人であり、多くの知友、詩人が集まった。
詩集(1)を2014年6月14日付け記事(←リンクしてある)で紹介し、詩集(2)を2015年8月23日付け記事(←リンクしてある)で紹介した。詩集(3)も発行される予定で、祝辞を述べる方からも、期待の声が多かった。
なお東京より、編集・写真・発行者の大竹雅彦さん、装丁の南口雄一さん、ピアニストの吉岡亜由美さんが出席し、会を盛り上げた。
南口さんのドキュメンタリーフィルム「Night Train」(音楽・吉岡さん)が上映され、吉岡さんのピアノ伴奏で詩の朗読がされた。
4名のお祝いの言葉、渡辺さんへの花束贈呈、東京よりの3方に記念品贈呈があった。
渡辺さんの謝辞のあと、午後4時半の閉会の言葉で、記念会が閉められた。
筑摩書房「村野四郎全詩集」(1968年・刊)より、第10詩集「蒼白な紀行」を読みおえる。
先の10月27日の記事(←リンクしてある)、「亡羊記・拾遺」に継ぐ。
原著は、1963年、思潮社・刊。
これまでのアクが薄くなった印象である。
「城」の終末では、「遠い空間にかたむく/孤独の城/そこでは永劫に/悲劇の腐敗することがなかった」とうたって、戦争の悲劇がなまなましく残っている事を表わすようだ。
「冬の河」最終連は「ときどき底ふかく/小さい魚の影たちが/すばやく流れをさかのぼる河」と書き終えて、若者たちに期待するかのようだ。
この全詩集も、あと「『蒼白な紀行』以後」を残すのみである。
フリー素材サイト「Pixabay」より、林檎の1枚。
岩波書店「近藤芳美集」第4巻(2000年・刊)に入り、初めの第14歌集「祈念に」を読みおえる。
先の10月7日の記事(←リンクしてある)、「聖夜の列」に継ぐ。
原著は、1985年、不識書院・刊。591首。
庭の四季と平安な夫婦、短歌の先輩・友人の死、母の死、スペイン旅行、残る政治的関心などが詠まれる。
解説の道浦母都子が指摘する通り、字余りが多く、助詞の省略もあり、読みにくい歌もある。
以下に7首を引く。
柿の葉の茂りは深き梅雨の冷えひとりの死ゆえ書きてこもる日を
君のための弔辞になおも告げむことば不意なる焦燥か怒りか知らず
ひかり放ちひらかむとする充実に月下美人の香は満ちわたる
なだれを呼ぶなだれのとよみなお遠く吾ら平安の夜を今とする
ブラックの一点を得しさきわいを知るやすらぎに日は過ぎめぐれ
若き日の母に返りし死顔のかく透きて人の苦しみは過ぐ
トレドより戻る野にして雨に遭うはるか地平を降りて移るまを
5首めの「ブラック」は、フランスの画家である。
角川「短歌」2015年11月号・Kindle版を、おおよそ読みおえる。
巻頭作品31首では、尾崎左永子、岡井隆、2氏に信頼を寄せている。
期待の「第61回 角川短歌賞 発表」は、清新な50首だった。阪大短歌会に属し、就職活動中の様子を描いている。
ただし優れた50首を挙げているけれども、「新しい才能の出現!」という感じではなかった。寺山修司や中城ふみ子(古いね)みたいな天才が、毎年現れていたら、歌壇は天才歌人で溢れかえっていただろう。
「選考座談会」の記事が、勉強になった。ただし副題に「他者と向かい合う歌」とある(若手歌人に向けた言葉だろう)けれども、仕事を辞して籠もりがちな僕には、籠もる秀歌もあるだろう、という気持ちになる。
有川浩(ありかわ・ひろ、女性作家)の小説、「植物図鑑」を読みおえる。
幻冬舎文庫、2015年24版。
購入については、先の10月17日付けの記事(←リンクしてある)、「手許の3冊」で報せた。
僕は既に、彼女の小説を2作読んでいる。
マンションの植え込みに行き倒れになっていた青年・樹(イツキ)を拾った、さやかが同居するようになり、同棲するようになり、1時は樹が立ち去って危機を迎えるが、樹は家との揉め事を決着させ、戻ってきて求婚するというハッピーエンドの物語である。
常とは逆の、girl meets boy の物語である。大きな糸である「野草料理、採取」には、あまり関心を持てなかった。
ハッピーな進行は、ややイージーだが、恋人たちには有り得るストーリーだろう。
Kindle本「若山牧水大全」の全歌集編より、第5歌集「死か芸術か」をタブレットで読みおえる。
原著は、1912年(大正元年)、東雲堂書店・刊。388首。
先の10月24日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「路上」に継ぐ。
僕なら、「死か生か」「芸術か生活か」の対立項を考えるが、牧水は命懸けで芸術に向かうよりなかったのだろう。
砒素を秘め持ち、行くでもない帰るでもない漂泊の旅のうち、死ぬ気も失せたようだ。
以下に7首を引く。
蒼ざめし額つめたく濡れわたり月夜の夏の街を我が行く
秋の入日、猿が笑へばわれ笑ふ、となりの知らぬ人もわらへる
かなしくも我を忘れてよろこぶや見よ野分こそ樹に流れたれ
あをあをと海のかたへにうねる浪、岬の森をわが独り過ぐ
友よいざ袂わかたむあはれ見よ行かでやむべきこのさびしさか
帰らむと木かげ出づれば、となりの樹、かなしや藤の咲きさがりたる
曇り日やきらりきらりと櫓の光りわがをち方を漕ぎゆく小舟
僕が世話役をしている2人詩誌「群青」の、第34号が出来上がったと、宮本印刷より電話があり、10月28日(水曜日)に80部を受け取った。
A5判、6ページ、モノクロのささやかな詩誌である。
詩では、こぐま星座さんの「龍角散」、僕のソネット「炎暑の日に」、それにこぐま星座さんのエッセイ1ページ(毎号、交替)を収めている。
毎年3回の発行を続けて来たので、12年目に入ったことになる。
なお僕の作品は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の10月31日付け記事(←リンクしてある)にアップした(横書きになっているけれども)ので、ご覧ください。
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