坂井市に在住の詩人、Nとしこさんが、同人詩誌「角」(つの)第27号を送って下さった。
2012年10月15日、角の会・発行。
若狭地方の同人がおもだが、越前地方の同人も混じる。
今年7月11日の記事で、第26号を紹介して以来だ。
Nとしこさんの「花火」は、新婚の息子夫婦とともに、こちらでは有名な行事である、「三国花火」を観た際のことを、作品化している。息子が結婚して、これまでの動揺・不安から心境が落ち着いたようで、齢を重ねた心境の詩を期待する。
O純さんの「つゆ」は、「いのちの種のようなひとしずくを/唇に落してもらって/旅立つのだが/行方はおぼつかない」と始まって、己の死に思いを巡らせる。
Y勝さんの映画評論「僕の懐かしシネマ館13 ピーター・ボグダノヴィッチ『ラスト・ショー』」は、1ページ3段、6ページにわたって、熱く語っている。
福井県に在住の山岳エッセイスト、M迪男さんが、同人詩誌「木立ち」第113号を送って下さった。
2012年9月25日、木立ちの会・発行。
I秀子さんの「つう」は、女性の悲痛な愛を描く。全8連のうち、終連は、次のようである。「逝く時は 羽二枚あればいい/一枚は最後に脱がせてくれる脱衣婆の/髪留めにあげたいの/一枚は白羽の上で揺られながら/彼の岸へ渡って行きたい」。
K明日夫さんの「雨の柩」は、「風に吹かれて/一瞬と永遠がちょっとしょっぱかった」などの、キャッチーなフレーズを連ねながら、老いの影が差してきた(生の深さに触れている)ようだ。
O英人さんは、これまで続けたお道化路線を捨て、「酒樽、だから」では先鋭的な路線に返った。
M迪男さんのエッセイ「小広谷」は、6名での沢登りを記している。ベテラン同士で、行き帰りに川の流れを歩いて渡るなど、リアルなレポートである。
県内に在住の詩人・T篤朗さんが、同人詩誌「果実」第67号を、「群青の会」宛てに送ってくださった。
平成24年10月、果実の会・発行。
「果実」は元教員6名が、年2回発行している詩誌である。
巻頭のN明徳さんは、詩歴はそんなに古い方ではないと思うが、「洗濯」の比喩、「夜の駅で」の抽象化が、ささやかながらある。
作品を書き続けると、感性が上昇するのが普通であり、いつまでも足を地に付けて書くほうが特異であり意義がある、とある思想家は書いていた。
K不二夫さんの「バス停にて」は日常から幻想へ移る不思議さ怖さがあり、「晩秋の食卓で」では、継母が一所懸命に料理を作ってくれたことを回想し人生を噛みしめている。
他の方もそれぞれ、持ち味のある詩の発表である。
散文3編も、ここでは述べないが、力が入っている。
今日の午後2時より、喫茶店「K」にて、「群青の会」会合が持たれた。
ほぼ定刻に集まったメンバーは、詩誌「群青」の同人、僕、こぐま星座さん、AUさんの3名である。
まず「群青」の新号、25号と、同人費の受け渡しである。
そのあと、合評に入るところが、「…の詩の…な所がいいよ」くらいで済んでしまう。
またアンソロジー「詩集ふくい ’12」が届いた所で、それに載る作品の感想も述べ合う。
こぐま星座さんが、県の文学コンクール(正式な名は何だったか)の小説部門で、知事賞を得たそうで、喜び合う。4回めの挑戦だったとの事。
AUさんより、彼女が詩人より頂いた詩集、1冊を貸してもらった。難解そうである。
僕の腰痛にリハビリの用もあり、3時に散会した。
本文とは無関係。
先日、宮本印刷より電話があり、同人詩誌「群青」第25号が出来上がっているとの事なので、その日の仕事帰りに寄って、100部を受け取った。
平成24年10月25日付け、群青の会・刊。
「群青の会」といっても、メンバーは僕、こぐま星座さん、AUさんの3名である。中で僕が編集役をしている。
今回は、こぐま星座さんの作品で、1字の入力ミス(欠字)をしてしまった。
僕の「養う」は、若い時の苦労がいま役に立っている、という自己合理化、ないし予定調和への願いである。
AUさんの「バネ」は、普通では理解してもらえない(比喩を重ねても)思いを、通常とは異なる文体で作品を描き、汲み取ってもらおうとしているようだ。
こぐま星座さんの「マルシンハンバーグ」は、昔なじみとの偶然の再会に、歌謡曲の歌詞を導入に持って来てユーモアを含めながら、複雑な心理を描く。
また、こぐま星座さんのエッセイ「わっていずだぁっと」は、中学生時代の英語の授業に絡めながら、この世のわかり難い事を訴えている。
T晃弘さんから、同人詩誌「青魚(せいぎょ)」No.77が10冊、届く。
2012年10月1日、鯖江詩の会・刊。
「青魚」は、鯖江市・在住の詩人たちが中心となって始まった、同人詩誌である。今は県内各地、県外の同人も多い。名簿には14名が載る。
僕は「よく忘れる 二」を含む、ソネット10編を載せてもらった。内容は、僕のもう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」(このブログのリンク集にあり)で、発表して行く予定(ただし今は他のシリーズを載せているので、少しあとになるだろう)。
T吉弘さんの「父の回想記」は、自分の知らない時からの父、そしてその父に可愛がられた少年時代を回想して、物語性も見せながら、素直な優れた作品になっている。
T幸男さんの「悠久八月」ほか七編・手紙では、その活力の高さと、量の多さに、圧倒される。たとえば「怪け物都市」の語に、「ビヒモスシティ」のルビが振られたり、現代日本語に英語、ギリシア語(?)、古語のルビを振るなど、ボキャブラリィの多さと深さは、ショッキングである。
この詩誌の「来る者は拒まず、去る者は追わず」的な方針が好ましい。
今日午後1時半より、詩誌「群青」のメンバーが喫茶店「K」に集まって、次号・25号の編集会議を持った。
メンバーといっても、こぐま星座さん、AUさん、僕の3名である。
まず、こぐま星座さんが、貸してあった写真集、「世界の猫カタログ」を返してくれた。
昨日に紹介した詩誌「水脈」第46号が、「群青の会」宛てだったので、こぐま星座さんが詳しく読み、AUさんが持って帰り詳しく読む事になった。
僕は、同人詩誌「青魚」新号・第77号をふたりに渡した。僕のソネット、10編を含む。
さて、編集会議である。僕がパソコンで入力した誌面稿(目次、詩3編、エッセイ1編、奥付け)を見てもらう。こぐま星座さん、AUさんより、各1ヶ所の修正を言われた。
あとは詩の事を中心に、四方山話である。今年7月24日に会ったきり(記事あり)なので、話題は多く、話が盛り上がった。
午後3時過ぎに、散会した。
涼しげである。
永平寺町にお住まいの詩人・T健隆さんが、詩誌「水脈」第46号を送って下さった。
福井詩人会議・水脈、2012年9月30日・発行。
今年4月6日に、45号を紹介 して以来である。
扉詩のS周一さんの「食の日」が、先日の完全日食を描いて美しい。男女の邂逅に見立てて、「優しく/ゆっくり/軌道を重ね/抱き合った」という表現は、ファンタジックだけれど、無理がある気がする。
Aなおきさんの短詩「木」は弟の死を描いて想いがあるけれど、すぐその孫への期待に移るのは、いかがなものか。
「詩人会議」「水脈」は組織がしっかりして、会員へのバックアップも強いようだ。
ただし「組織悪」という言葉があるように、自己解体する組織、良い意味での発展的解消があってよい。
詩人グループなら、それが出来る筈だ。かつての「荒地」や「櫂」のように。
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