ただし「水脈」は「福井詩人会議」の機関誌でもあるようで、たくさんの散文も掲載されるが、それらの多くは、失礼して読まなかった。
誰しも人生に、大小のドラマはある。それらがイデオロギーに収斂されないよう(今は収斂されようとしていると言うのではない)、願っている。
T百代子さんの「三丁目のマサイ族」に惹かれる。
料理上手だった友人に認知症が始まって、トンカツの作りかたもわからなくなって、作者が励まそうという作品である。
全7連より、第3連のみを引く。
三丁目のマサイ族
T百代子
人が壊れていく時 その人の
一番優れた部分からはじまる
氷山の氷が溶けていくように
(前後略)
一昨日の仕事帰りに「宮本印刷」へ寄り、同人詩誌「群青」第11号~第20号の、合本2冊を受け取った。
先方さんのご厚意で、無料だった。
また昨日に、Yさんにテプラーを打ってもらい、題字を貼り付けてもらった。原本には印刷されていないからである。
1冊は、「群青」創刊同人の、こぐま星座さんに譲ることになっている。
同人のKMさん、AUさんは、10号後の参加なので、30号が出たなら合本を作りましょう、という話になっている。参加時点までの合本はそれぞれ、差し上げた。
創刊号~第10号の合本よりも、今回のほうが分厚い。同人が増えて、1号のページ数が増えたからである。
これからどこまで続くかわからないが、僕は同誌の編集役を務め続けたい。
兵庫県にお住いのS陽子さんが、お便りとともに同人詩誌「アリゼ」の第141号を、送って下さった。
兵庫県内に在住の詩人を多くの同人として、詩21名23編、エッセイ10編が載る。
2011年2月、アリゼの会・発行。
東北地方太平洋沖地震のあとでは、自分に出来ることは小さくても、被災や原発異常の様子に心がせわしくなる。
日ごろから、危機というものが起こり得ることだと、心に留めて置かねばならない。
これまで同誌に俳句を多く寄せてきたYみち江さんが、詩「月の夜」を載せている。
ご夫君に関わって、つらい経験があるようだが、あからさまには書かれていないので、僕も推測を書かない。
詩誌「アリゼ」を読ませてもらうようになってから、何年が経つのだろう。
2月12日の「詩の研究会」のおり、KMさんに借りた(以前より僕が依頼していた)、二人詩誌「Junction」76、77を読みおえる。
東京都にお住まいのS三吉さんと、愛知県にお住まいのK信子さんによる、季刊詩誌である。
20年近い同行による友情は、毎号2組の往復書簡にも読み取れる。
作品は、内省的な面がつよいようだ。
S三吉さんの4章よりなる「屈折率」の、第2章を以下に紹介する。
二枚のガラスに隙間があると 入ってきた光は
複雑に屈折し かがやく青空さえ けやきの枝
に掴まれて砕け散ってしまう。けれどそれらを
ぴったり重ねてやれば 世界からやってきた光
は その姿のまま(内側にわずかな光と影を残
して)去っていく。
敦賀市に在住の詩人、O純さんが、同人詩誌「角」第21号を送って下さった。
「角」は、福井県嶺南地方に在住の詩人をおもな同人とする、詩誌である。
M千鶴子さんの「鳥のこゑ」、Y万喜さんの「無人駅発着」、K悦子さんの「生きる量」、S章人さんの「五人だけの法事」など、真情あふれる作品が好ましい。
詩は、叫びでも演説でもなく、呟きだと僕は思う。
誌中、自在な言葉と遊ぶ、O純さんの「気持と気持ち」に惹かれるので、全2連のうち、初めの連を引く。
気持と気持ち
O純
「気持」に「ち」を付けては
気持がわるいという人がいたが
なるほど「気持ち」も
許容されているとはいえ
人は思いようだ
なんだか気持に「血」が付いているようで
血なまぐさく思えてくる
(後略)
兵庫県に在住の詩人・S陽子さんが、お便りを添えて、同人詩誌「アリゼ」第139号を送って下さった。
自分の事だが、すべてのイデオロギーや社会問題(来たるべきユートピアを含めて)から、離れたくなった。定年を控えて、「守りの態勢」に入ったのかも知れない。
そういう心でこの「アリゼ」を読むと、受ける感じも異なってくる。
ファンタジー風や、リアリズムや、信仰に関わるものなど、それぞれの生活と心情から、真実を描こうとしている。
T久美子さんの「繕う」(全4連、23行)が気に入りなので、第1連のみを引く。
繕う
障子のやぶれは
さくらの花のかたちに切りぬいた障子紙でつくろわれる
まだ春も浅いのに
障子のさくらの花は満開
ものにこだわらない陽気な小母さんは
こどもたちの元気さと競うように
障子にさくらを咲かせていった
(後略)
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