カテゴリ「詩誌」の224件の記事 Feed

2011年9月 1日 (木)

詩誌「角」第23号

Cimg5268 Nとしこさんが、同人詩誌「角」第22、23号を、S章人さんが同誌の第23号を、それぞれ送ってくださった。

 「角」は福井県嶺南地方(旧・若狭地方)在住の詩人を主な同人として、出発した詩誌である。

 S章人さんが詩「わが福井震災の記憶と」で、福井震災と東日本大震災の様を、重ねて描いている。

 Nとしこさんは、「再びの」のⅠとⅡの2章で、息子さんが結婚して不在となった事と、東日本大震災後の復興を願う、新しい事態に対する心を描く。

 Y勝さんが映画論、「僕の懐かしシネマ館 11 (番外編2) クリント・イーストウッドの『チェンジリング』」を、5ページにわたって熱く語っているが、僕は読み尽くせない。

 O純さんの詩「蔦」全編を以下に引く。ご本人の了解を得てある。

        蔦

           O純

蔦は鳥になって

空を翔びたかった


蔦は青い空にあこがれ

白い雲にあこがれ

日々 這い上がった

少しずつ 少しずつ

高みへ


暑い日の

わずかな風にも

緑の葉を

羽ばたかせている


心はすでに

鳥である

2011年7月29日 (金)

詩誌「アリゼ」第143号

Cimg5180 

 兵庫県に在住の詩人・S陽子さんが、お便りを添えて、同人詩誌「アリゼ」第143号を送ってくださった。

 詩20編、エッセイ9編、2詩集の書評3編が載る。

 東日本大震災は、同人にショックを与えたようで、同情ではない秀れた影響を読める。

 直接に大震災を詩化した、T久美子さんの「やまざくら」と「ふるさと」、N直子さんの「隣席」の他、T和美さんの「呼ぶ」、T美夜さんの「置いてゆけ」他にも、影響とみられる作品の深化がある。

 S陽子さんは、詩もエッセイも発表していない。

 彼女が僕の地元の県出身という事で、同人詩誌を遣り取りしているうちに、批評が彼女の詩想を枯らしたのか。あるいはそれも、僕の思い上がりかも知れない。

2011年6月25日 (土)

「詩の研究会」6月例会

Cimg5142_2  今日正午より、F市内の某カルチュアセンターの1室で、「詩の研究会」6月例会が持たれた。

 参加したのは、詩誌「群青」の同人、僕、こぐま星座さん、AUさんの3名である。

 「群青」21号が出来上がってきたところなので、同誌と同人費などの受け渡しがあった。

テキストは、古井由吉「夜明けの家」を予定していたが、事情で1人が同書を持っておらず、部分的な話で済ませた。

 詩誌「群青」の作品をめぐって、私的なイメージ、個人の情念をどう表現するか、語り合った。ディスコミュニケーションの時代、という言葉もあって、詩の困難な時期である。

 7月の例会の日時とテーマを決めて、2時半頃に散会した。

2011年6月23日 (木)

詩誌「群青」第21号

Cimg5136  同人詩誌「群青」第21号が出来上がったとの知らせがあったので、宮本印刷へ行き、100部を受け取った。

 僕は同誌の編集役をしている。

 年3回の発行を守っているので、創刊より7年を経たことになる。

 こぐま星座さんが「被告 無実の焼鯖忠夫(本日の特売498円)」を、僕がソネット「ネットの中」を、AUさんが「口のなか」とエッセイ「指が迷う」を、載せている。

 KMさんは、事情により退会した。

3人が3様の、力作を寄せた。

 またエッセイでは、AUさんの幼い頃より家にピアノがあり、今も習っていると、初めて僕は知った。

2011年6月 7日 (火)

「群青」編集会議

Cimg5079  同人詩誌「群青」第21号の誌面稿が出来上がったので、今日の午後1時より喫茶店「コケッティ」にて、編集会議を持った。

 集まったのは、僕、こぐま星座さん、AUさんの3名である。

 今日のこの日に集まれたのは、僕は火曜日が指定休日、こぐま星座さんはスーパーに勤めているので今日がたまたま休日、AUさんが自営業なので時間を空けてもらったからである。

 ミスの訂正や書き直しが、数ヶ所あった。

 あとは文学にかかわるよもやま話をして、2時半近くに散会した。

2011年5月27日 (金)

詩誌「アリゼ」第142号

Cimg5047  兵庫県にお住まいの詩人、S陽子さんがお手紙を添えて、同人詩誌「アリゼ」第142号を送って下さった。

 2011年4月、アリゼの会・刊。

 「アリゼ」は、兵庫県在住の詩人をおもな同人とする詩誌である。

 20名・21編の詩と、9編のエッセイが載る。

 他に、同人のZ洋子さんが詩「宴」で、第21回「伊東静雄賞」受賞の記事が、2ページにわたる。

 Aゆうこさんが、東日本大震災に関わる作品、「ひがしのうみのゆうしゃたちへ ありきたりだけどまけないで!」「まほうつかいの弟子」を寄せている。大事件を作品化する事、その反応の速さ、またこの詩がほとんど平仮名で書かれている事など、僕には優劣の判断が出来ない。

2011年5月21日 (土)

「本願海」No.1

Cimg5037  S市にある浄土真宗の寺の御住職、釈誓道さんが個人誌、「本願海」No.1を送って下さった。

 5月14日に、第9回「北陸現代詩人賞」贈賞式でお会いしたご縁だろう。

 「本願海」は、同人詩誌「青魚」より、独立したものである。内部で揉めた訳ではない。

 本誌には、6編の詩と、「断簡集(十一)」として、1行から11行の信仰告白47ページ(B5判2段)が、掲載される。

 彼はいろいろな悩みの末に、真の信仰を得た人なので、ユーモアもまじえて、真剣に述べている。

 鈴木大拙・編著「妙好人 浅原才市集」(春秋社)の現代版である。

 ただし僕は、宗教はマヤカシだと思う。苦しみにあえぐ人が、信仰に入って救われるなら、否定はしないけれども。

2011年4月27日 (水)

詩誌「果実」64号

Cimg4930  同人詩誌「果実」64号が送られて来た。

 平成23年4月、果実の会・刊。

 県内の教師(及びそのOB)を同人とする詩誌である。

 6名の12編の詩、他に4編の散文が載る。

 詩では、T篤朗さんの3編、「電信柱―残った響き―」「歩道橋の下で」「線路1 ―踏み切りで―」が興深い。中原中也を思わせる、喪失感だろうか。

 しかも彼は、評論(と呼ぶべきだろう)の「写生の短歌」において、正岡子規の短歌1首、「瓶にさす藤の花房短ければ畳の上に届かざりけり」についてB5判4ページをもって、巨細にわたって論ずる(少し授業っぽいけれど)力があるのだ。

 以下に「歩道橋の下で」(全5連)のうち、初めの連のみ引く。

     歩道橋の下で

          T篤朗

通りすがりの歩道橋の下

いつも見る親子

それがここしばらく見ないのだ

わたしは気になる

毎日そばを通るとき

車のスピードを落とす

今日もやはりいなかった

      (後略)

2011年4月19日 (火)

詩誌「青魚」No.74

Cimg4904  先日にT晃弘さんが届けて下さった、同人詩誌「青魚」No.74を読みおえる。

 僕はソネット8編、「はやぶさ(改稿)」「やけど」「デビュー」「深夜に」「乳房」「不穏な日」「文庫本」「ズボン」を、載せてもらった。

 B5判、2段組み、4ページである。

 T幸男さんが、「山祇(やまつみ)の森閑(しじま)の箴諫」他、23編(18ページ)を載せている。

 世を怒り嘆くTさん節が戻ってきたようで、僕は嬉しい。

 彼はペン書き(万年筆ではないかも知れない)の自筆原稿を、縮尺して載せているのだが、率が高くなったのか、僕の老眼が進んだのか、僕の裸眼では読み取れない所があった。

 写真のフィルム(ポジはしていない)を見るための、台あり拡大鏡を使って詩行を追い、しばし感興を起こしたのだった。

2011年4月15日 (金)

詩誌「間隙」第30号

Cimg4875  詩誌「群青」の仲間であるAUさんが、同人詩誌「間隙(かんげき)」第30号記念号を、譲って下さった。

 2011年3月、間隙出版・発行。

 執筆者5名は、北海道から沖縄にわたり、ネットの利用による編集が要因かも知れない。編集者のA盛勝さんは、沖縄県在住の方である。

 AUさんは、詩「カニ島」を寄せている。祖先が漁師だった設定で、南方の海と生活を描く。

 彼女はまた、エッセイ「中学生の頃の私」を寄せていて、中学生時代(いじめにも遭った)を思い返している。

 O孝和さんの詩「水の町で」が、震災の予見を思わせて、深い描写である。

 A盛勝さんの「三十号(記念号)に寄せて」の短文にも書かれているように、エッセイが盛んで、ページ数ではエッセイのほうが多く、詩誌としては「危機的状況」とも言える。

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