今日の午後1時半、同人詩誌「群青」のメンバー3人が、喫茶店「K」に集まった。
僕、こぐま星座さん、AUさんである。
先に発行した詩誌「群青」第24号の反響を話し合った。
こぐま星座さんとAUさんは、農業もしているので、畑のトマト、とうもろこし、西瓜などを野性動物にに荒らされて困る、という話になった。ハクビシン、烏らであろう、という事だった。
山里住まいの僕は、古いことだが、近所の柿の木に熊が現れた話をせざるをえない。
今年は、じゃが芋が豊作だそうだ。
僕は、庭で蝉の鳴き声が少ないことを伝える。
詩の話も、たくさんかわした。
3時過ぎに散会した。
今日午後1時半に、詩誌「群青」の同人3名が、喫茶店「K」に集まった。僕、こぐま星座さん、AUさんである。
挨拶代わりの言葉をかわしたあと、「群青」第24号を二人に渡し、同人費を受け取った。
このブログの昨日の記事に上げた、「福井県詩人懇話会会報」合本を見せると、二人は誉めてくれた。
そのあとAUさんが、昨日に参加した荒磯忌(作家・詩人の、高見順の忌祭)のことを話してくれた。
詩人・吉増剛造の講演があり、熱く語ったという。芭蕉の「奥の細道」の道程を辿った事、今年3月16日に亡くなった吉本隆明が遺した数百編の未発表詩を整理している事、など。
AUさんの質疑に、丁寧に答えてくれたそうだ。
喫茶店の大型テレビが、大津市の中学生自殺事件を報道しており、イジメと自殺についても語り合った。
3時過ぎに散会となった。
本文と無関係。
先の7月5日(木曜日)の記事「詩誌『群青』第24号」で、7月11日(水曜日)発表と予告し、その記事へのコメントへの返信で今日(7月9日・月曜日)発表と予告変更した、サプライズとは「福井県詩人懇話会会報」(B5判)の合本製本の出来上がりである。
同人詩誌「群青」第24号の誌面稿を、宮本印刷へ届けた時、「福井県詩人懇話会会報」第61号(2006・3・10・発行)~第80号(2012・6・30・発行)の20部揃いも持って行って、合本製本をお願いしたのである。
「群青」第24号と共に、合本も7月5日に受け取ったのだが、題字が印刷されていないので、発表出来なかった。なおこの製本代を、御主人は「まあ、いいでしょう」と無料にして下さったのも、サプライズの1つだろう。
題字は今日、職場のYさんに頼んで、テプラーで打ってもらって、貼ってもらった。
サプライズと言っても華やかではないが、この日のあることを期して、1人1部しか送られてこない会報を、散逸しないように大封筒に重ね入れておき、時には揃っているか確かめもし、80号を区切りとして合本製本してもらった。
なお「福井県詩人懇話会会報」の創刊号~第60号も揃いで、合本製本してもらっている(このブログの2007年11月28日の記事 にある)。
今日午後の仕事中に、宮本印刷の奥さんからスマートフォンに電話があった。
同人詩誌「群青」第24号が出来上がった、との事。
宮本印刷から僕個人に電話が届いたのは、初めてである。僕がパソコンで作成した誌面稿を届けた時の、大封筒に、電話ナンバーを書いておいたせいだろう。
仕事帰りに腰のリハビリに寄る予定を、急遽変更して、宮本印刷に寄り、「群青」第24号、100部を受け取った。
「群青」は同人3名の詩1編ずつ、持ち回りのエッセイ1編を含めて、8ページのささやかな詩誌である。
年3回の発行を保ったので、創刊より8年を経た事になる。
同人の、こぐま星座さん、AUさんと会う日時、場所はすでに相談済みである。
なお今回、サプライズがあるのだが、事情があるので、気長に発表(7月11日、水曜日頃)を待って下さい。
今日の午前11時より、三国町・東尋坊の荒磯遊歩道にある詩碑の前で、詩人・則武三雄さんの忌祭「葱忌」が催された。忌名は、詩人の優れた詩の題名に由る。
則武さんは、全国的には無名な詩人として終わったとされる。
しかしその膝下には、有力な詩人・作家・評論家が集まり、「則武学校」とまで称された。無私に福井県の文学の興隆に尽くした人である。現代詩作家・荒川洋治さんも生徒の1人だった。
碑前の「偲ぶ会」には40名を越える人たちが集まった。世話役の方の挨拶(写真はその場面)後、詩碑に献花が行われた。スプレー咲き(枝咲き)のカーネーションを1本ずつ、全員が献じた。
そのあと、地元高校の演劇部女子生徒3人により、則武三雄さんの詩が朗読された。
東京よりおいでのご子息の謝辞のあと、某お爺ちゃんの俗曲(詳しくはわからない、内容は故・詩人に関わり深い鴨緑江を唄ったもの)披露により、碑前の「偲ぶ会」は終わった。
さらに場所を移して、食事と懇話会が行われるのだが、僕はここで辞して車で帰路に就いた。
敗戦後の巨人、詩人・思想家の吉本隆明氏が今日(3月16日)未明に亡くなった。87歳。
学生時代から少し読んでいた。
勁草書房の「全著作集」第1期を全巻読みおえたが、彼の路線ではいけないと感じ始めて、彼の著作をすべて某図書館に寄贈し、その後の著作は読まなかった。
彼には「思想家でなく、詩人として生き残ってほしい」と僕は思った。
僕の願望にほぼ沿うように、彼の本が多くの人に熱狂的に受け入れられる事は無くなったが、思潮社の「吉本隆明全詩集」(定価2万5千円、僕は古書を購入した)は多く買われたようだ。
「言語にとって美とは何か」、「ハイ・イメージ論」(未読、蔵書あり)などの原理論は、生き残るかも知れない。
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