1昨日(僕の休日)にS外科医院でリハビリを受けたあと、久しぶりに「BOOK OFF 米松店」へ寄り、4冊を買った。
いずれも1冊105円である。
少しだけ前の句集が、僕の創作の刺激になる。
室井佑月は、僕にとって新しい作家の本も読まなければ、と思って。
内田樹の評論を、そのまままともに受け取る訳ではない。
芦原すなお(1949年・生)の短編小説集、「ルフラン」を読みおえる。
小学館文庫、1999年・刊。
写真のカバーが汚れているが、裏には「BOOK OFF」の値札が付いたままである。
彼の小説では、2009年4月25日の記事(←リンクしてある)に書いた、「松ヶ枝町サーガ」以来である。
この本には、8編の短編小説が収められる。
いずれも40歳代の既婚男女が、ドタバタ悲喜劇のあとにハッピイ・エンドでしんみりさせようとしているようだが、僕はあまり乗れなかった。
環境の違い、年齢の違い、のせいだろうか。
最近の僕は、小説を読もうとする時、軽いもの、短いもの、を選びがちでいけない。
先の5月29日の記事(←リンクしてある)、「原田マハと囲碁年鑑」で入手を報せた、原田マハの文庫本2冊のうち、「夏を喪くす」を読みおえる。
4編の短編小説、「天国の蠅」「ごめん」「夏を喪(な)くす」「最後の晩餐」を収める。
最後の「最後の晩餐」の終え方には、僕は驚いた。不明人物を捜すミステリー的興味で読者を引っ張っておきながら、その人物は探索者自身だった、という終わり方だ。ストーリーに整合性(論理性、とは言わないが)が無い。読者を軽んじている(いくら執筆が忙しいとしても)。僕の読み方が正しいなら。
「その終わり方、アリ?」という小説が最近にあるらしい事は、読書ブログの幾つかの記事を読んで知っていたので、茫然とはしなかった。
「ごめん」には好感を持ち、「夏を喪くす」がそれに次ぐ。
「天国の蠅」は自伝っぽいが、作り話だろう。
今、原田マハという女性作家の小説が、多く読まれているらしい。
読書方面のブログランキングの記事に、多く出てくる。
それで僕も、Amazonのマーケットプレイスで、古文庫本2冊(販価・各1円)を買ってみた。「夏を喪くす」(講談社文庫、2012年・刊)と「一分間だけ」(宝島社文庫、2009年・2刷)である。
現に「夏を喪くす」を読み始めている。それぞれ読みおえたなら、ここで報告する。
また「2013囲碁年鑑」が発売されている事を知り、Amazonに注文して取り寄せた。
日本棋院、2013年6月1日・刊。
プロ囲碁棋士のタイトル戦棋譜、他の情報が収められる。
去年5月20日の記事、「2冊の本」によると、2012年版が47年ぶんめとあるので、この2013年版は、48年ぶんめとなる。
今は所蔵するだけだが、いつか必ず、用いられる日が来るだろう。
村上春樹の新作小説、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を、アマゾンに予約注文し、その本が届き、先日に読みおえた。
文藝春秋・刊、2013年1刷。
「ノルウェイの森」(僕はこの小説のストーリーをよく覚えていないが)と同じく、徹底したリアリズムで描かれている。
それは前作、「1Q84」3部作と比べれば、判然とする。
ストーリーは、成人する頃の苦難と、30何歳かになっての、傷の回復への旅である。成人になる頃の苦難は、誰にでも訪れるものだ。
僕はその挫折に耐え得ずして、大学を中退してしまったから、回復への巡礼もなかった。宗教ではない救いを僕は得ており、仕事も定年後であり半分降りている。
その苦難を経て、順調に生きた人は、ある時その苦難を心理的に解消したいものだろう。青春と大人への出発の、1つの物語である。
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