大和書房「斎藤史全歌集」(1998年・5刷)より、第6歌集「密閉部落」を読みおえる。
原著は、1959年、四季書房・刊。1953年~1959年の作品、531首。
この前の第5歌集「うたのゆくへ」は、先の10月26日の記事(←リンクしてある)で紹介している。
1953年7月、バックボーンでもあったらしい父が亡くなり、史の心境に変化があったようだ。また長野県に来てより、14年が経ち、東京へ戻る事なく、住み続ける思いもあるようだ。
題名作の「密閉部落」はフィクションの、3章にわたる大連作である。平家落人が山中に住みつき、貧と近親結婚から衰え、ダム湖の底になる事となって、離散してゆくというストーリーである。
この大連作は、全部を読む必要があり、引用歌には引いていない。
以下に7首を引く。
内側にもろく崩れてゆくわれに今日の余光は黄色すぎたり
サヨナラとかきたるあとの指文字はほとほと読めずその掌(て)の上に(七月 父死す)
酔ひみだれやがてうつ伏す肩のあたり埃の泛(う)きしジャンパーを着て
ゆがみたる花火たちまち拭ふとも無傷の空となる事はなし
もろき平和なりといたはれ 黄の麹密に育てて冬の味噌蔵
餅の黴(かび)こそげつつ居り食ひこみし黄なる赤なるをことに憎みて
或日わが陰画(ネガ)の山野を行くために時間借りして乗るロシナンテ
(注:1部、旧漢字を新漢字に替えた所があります)。
1昨日の11月17日(月曜日)に、結社歌誌「コスモス」2014年12月号が届いた。11月15日(土曜日)に発送して下さったのだろう。編集部・事務室の方々のご奮闘に感謝する。
僕の歌は、10首出詠の内、幸いなことに5首選(特選)だった。内容は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」の昨日の記事(←リンクしてある)、「『コスモス』12月号の僕の歌」にアップしてあるので、宜しくどうぞ。
また同じ日に、楽天ブックスより、総合歌誌「歌壇」同月号が届いた。
いつもはAmazonで買うのだが、今回はポイント(期限付きを含む)が少しあったので、それを使って。
特集「今年一番印象に残った一首、一冊」(18名が各1ページ)、大松達知さんの年間時評「だれのための短歌なのか」(6ページ)と、早くも1年回顧的、年末ムードである。
小島ゆかりさんの「作品五十首 馬上」も読むのが楽しみである。
短歌結社誌「コスモス」2014年11月号より、「その二集」通常欄(既読の特選欄を除く)を読みおえる。
その前の「あすなろ集」読了は、この11月8日付けの記事(←リンクしてある)で報告している。これで今号の通常立ての短歌は、すべて読みおえたことになる。
全5クラスの内、真ん中の「その一集」(僕が在籍)が1番会員数が多く、入門欄に向かって「あすなろ集」「その二集」と次第に会員数が少なくなる。結社「コスモス短歌会」の将来は、明るくない。
ただし宮師の出身地・新潟県は別としても、福岡県などには会員が多い。支部の活動によっては、挽回の余地があるという事か。
僕が付箋を貼ったのは、次の1首。和歌山県のS・輝子さんの3首より。
値上りのこの春寒よ七人の夕餉を作る老いの歎きよ
4月1日の消費税増税を含めての値上がりを指しており、いまどき珍しい7人家族の台所を預かって、心にも寒い風が吹くのだろう。
短歌結社誌「コスモス」2014年11月号の、「あすなろ集」通常欄(特選欄を除く)を読みおえる。
今号の初めより「COSMOS集」(「その二集」「あすなろ集」の特選欄)までの読了は、先月10月31日の記事(←リンクしてある)で、報告した。
ここで「コスモス」のクラスを紹介すると、トップより「月集スバル」「月集シリウス」「その一集」「あすなろ集」「その二集」の、5クラスがあり、各クラスに特選(別欄)がある。
僕のいるのは、真ん中の「その一集」である。各会員は、選歌数や昇級を競っている。
僕が「あすなろ集」より付箋を貼ったのは、次の1首。栃木県のS・よしさんの4首より、以下の作品である。
生徒らはプールにありてはトビウオに陸では囀る鳥になりたり
元気で仲の良い、少年少女の姿に、僕はホッとする。
先の10月22日、ツイッター上で大松達知・第4歌集「ゆりかごのうた」が若山牧水賞受賞、のニュースが流れた。
僕は早速Amazonにアクセスして、当時は最後の1冊をゲットした。27日時点で、Amazonに新品在庫はなく、中古品には大幅なプレミアムが付いている。
大松達知(おおまつ・たつはる)さんのこの歌集には、40歳で初子を得た喜びと共に、教員として生活者としての感慨が、知的ユーモアで作品化されている。
彼は短歌結社「コスモス」のホープである。
これまで結社外の賞に恵まれなかったようだけれど、これからは大きな歌人としての道を歩むだろう。
以下に6首を引く。
死んでのち鮮度うんぬんされてをり食はれちまつた鰺は聞かずも
父と赤子のみ残されるストーリー寝しなに語る不惑の妻は
七日目に<唯我独尊>と言はざれど湯浴みさせればひたによろこぶ
生徒らに起きろと諭し、みどりごに眠れと祈る、はつなつの風
君の通夜までの昼間をわが立ちて三(み)つの授業で笑はせにけり
千人の祖(おや)となるかもしれなくて、おいんくおいんくミルク飲む吾子
大和書房「斎藤史全歌集」(1998年5刷)より、歌集「うたのゆくへ」を読みおえる。
10月18日の記事(←リンクしてある)、歌文集「やまぐに」に継ぐ。
原著は、1953年、長谷川書房・刊。1948年~1952年の、551首を収める。
「やまぐに」の作品が、1946年のものなので、1947年分としてこの歌集の前に「対岸」13首が収められる。
斎藤史は、1949年に林檎倉庫より、長野市内の病院長社宅に移り(夫が医師のせいか)、父母を呼び寄せている。
人に雇われ働く事がなくなると、途端にお嬢様風に戻ったと読むのは、僕の僻目だろうか。
写実風でなくなると言うより、大幅な字余りの歌があったり、心情を比喩に流した作品がある、と見る。もっともこの後も、斎藤史に苦労はあったようだが。
以下に5首を引く。
零下十六度足袋はかぬ子がつま立ちてたたみを歩くあかきそのあし
人も事もすでに多くは終れりと思ふこころにひき入れらるな
しづかなる黄のうつろひや六月の茜はながく余光をたもつ
傷ふかきものは叫ばずあたたかき灯(ひ)がつけばまたかなしきならむ
桃色のかかとを持てば若き日はたのしきならむ踊りて飽(う)まず
(注・1部、旧漢字を新漢字に替えた所があります)。
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