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岩波文庫「杜甫詩選」(黒川洋一・編、1996年・刊)を読みおえる。
これまでに読んだ所では、僕は杜甫よりも李白の詩が好きである。もっとも作品の選出にも因るだろうけれど。
庶民の苦しみや、不遇な身の上を嘆いた作品を、庶民が喜ぶとはかぎらないし、かえって夢幻や清雅を喜ぶこともあるだろう。
職場の花壇ではとぎれなく花が咲いている。世話をしているMさんの丹精のおかげである。
写真は初めより、撫子、浜菊、昼咲き月見草、あとの2つはわからない。
世話を再開した彼女がこの花壇にどんな花を咲かせるか、職員の多くが楽しみにしている筈。
中央公論社の「書道芸術」第1巻「王羲之 王獻之」を見おえる。1979年・刊。本来は箱入りだが、僕の本には箱が欠けていた。ビニールカバーが付いているが、写真を撮すときには外した。
王羲之は書聖と称ばれ、楷書、行書、草書の創始者とされる。現代日本の印刷漢字も、彼に由来するのだろう。
王獻之はその息子である。
書道を習っているわけではないので、1字1字を鑑賞するのではないが、書の美しさを感じる。
京都府在住の歌人・水原茜さんの第一歌集「パンセの森」を読みおえる。2003年、㈱生涯学習研究社・刊。
彼女は「NHK学園短歌友の会」、「詩情歌人会」に参加。
50歳代くらいの方らしいが、作品の感性は若く自由である。稲葉峯子さんの序文にある通り、「少女のような稚さを漂わせ」ている所もある。
気に入りの4首を引いてみる。
君はまだ挫折を知らぬ若き獅子伸びゆく雨後の雑草に似て
プルーストを抱えて歩けば少女期のままの春風かろやかに吹く
「とりあえず深呼吸して休もうか」正解のなき問いに独語す
くたびれているねと言えばゆったりとまばたき返す陽だまりの猫
福井市在住の詩人・藤井則行さんが、詩誌「果実」60号を送ってくださった。県内の教師・教師OBが同人である。
詩では渡辺本爾さんの「自嘲」が優れている。自嘲だけれども、口調がやわらかい。
藤井則行さんの文章「わが心の詩(10) -三好達治-」が、詩を生徒に学ばせる際の実践的方法を述べて、納得させる。
60号記念号を越えて、長く発展してほしい詩誌である。
「パワーセンター ワッセ(これが正式な名前)」内の「勝木書店 古本センター(これが正式な名前)」にて、「高見順文学全集」6冊揃いを買う。昭和39年頃より、講談社・刊。
福井県出身の大作家で、この6冊には彼のおもな小説と詩、それに僕が読みたかった「昭和文学盛衰史」も収められている。
作家の全集が古本でも高価すぎて、「選集」「全作品」などで我慢する場合が、僕にはある。
「現代俳句選集Ⅵ-8」榑沼けい一(くれぬま けいいち)句集「武者幟」(平成元年、牧羊社・刊)を読みおえる。中村草田男門下、「萬緑」同人。
先鋭的な草田男門下らしく、ほとんどの句に、僕がこれまで句集で目にしなかった言葉が挟まっている。ただし僕の好みは、家族などの人情を吟じた句にある。俗っぽいのかもしれない。
以下に注目した4句を引く。
寒麗ら試歩の老父に母の添ふ
妻といふ不思議な隣人毛糸編む
凡にして深まる齢梨食らふ
古友またコツンと逝けり秋の蝶
「勝木書店ワッセ店」内の「古本センター」にて、岩波文庫を5冊買った。以下に列挙する。
アナトール・フランスの随想集「エピクロスの園」1990年・刊。
張岱の自伝「陶庵夢憶」1981年・刊。
石黒忠直の自伝「懐旧九十年」1983年・刊。
茅盾の小説「霜葉は二月の花に似て紅なり」1980年・刊。
オマル・ハイヤームの詩集「ルバイヤート」1987年・刊。
代金は合わせて千円たらずだった。
「世界詩人全集 8 ヴェルレーヌ詩集」を読みおえる。昭和42年、新潮社・刊。
堀口大学の翻訳が俗謡調すぎていけない。品がない。
恋愛と幸福な新婚生活をうたった「やさしい歌」は優れている。
彼がカソリックに回心したあとの詩集「知恵」以降の作品は、読みすすめられなかった。
ハマナスの花がたくさん咲いた。
ハマナス(浜茄子)はハマナシ(浜梨)の転訛で、実(み)は食べられるという。結実して熟したら、食べてみたい。
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