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2011年11月の28件の記事

2011年11月30日 (水)

有馬敲「転生記」

Cimg5499 僕のソネット詩集「光る波」を、あちこち(選び方は内緒)に贈らせてもらっている。

 そのお1人、京都府に在住の詩人、有馬敲(ありま・たかし、1931年・生)氏が、詩集「転生記」をメッセージと共に、送って下さった。

 1993年、編集工房ノア・刊。

 詩集「終りのはじまり(1973年)」、「迷路から(1977年)」、「白い闇(1981年)」の3冊を合わせた、全651ページの大冊である。

 収められた459編のうち、ほとんどがソネット形式の詩である。大先輩から拙い後輩への、励ましの1冊だろう。

 なお僕は彼の詩集では、ここにも収められた「白い闇」を2010年1月8日に、「島」を2010年1月6日に、それぞれ読了し、このブログで紹介している。

2011年11月29日 (火)

「世界詩人全集」第22巻

Cimg5495 「世界詩人全集」全24巻より、第22巻「現代詩集Ⅲ ドイツ ソヴェト」を読みおえる。

 新潮社、昭和44年・刊。

 箱、帯、月報、本体にビニールカバー。

 今年9月25日に、第21巻を紹介(記事 あり)して以来である。

 ドイツとソ連の詩人17名の、それぞれ数編が載る。

 今は作品が書かれてより、約半世紀を経ており、政治(多くの国の社会主義崩壊を含む)、社会(経済、科学を含む)が激変している。

 第二次大戦下に迫害されたユダヤ人、ソ連の反体制詩人、それらの詩は重要だが、僕の内的外的変化もあって、切実には訴えてこない。

 現在の外国詩人の作品も、ほとんど読んではいない僕であるけれど。

 

2011年11月28日 (月)

岡井隆「親和力」

 思潮社「岡井隆全歌集」第3巻(2006年・刊)より、4番めの「親和力」を読みおえる。

 原著は、1989年、砂子屋書房・刊。

 あとがきに「一体、歌集の作者って誰だろう」「なぜ『歌集』なのだろう」とある。

 彼の詠作があちこち曲がっている印象だが、作者の迷いか、試行錯誤か、僕にはよくわからない。

 以下に8首を引く。

今か沈む今か水漬(づ)くと怖れつつ煮えたぎるやうなにくしみは来(こ)ず

十あまり八年は過ぎどちらから声かけたやらそれさへおぼろ

伝票のながながしきを折りながらまだすこしあるだらう時間は

酒が来て肴が来(こ)ぬ間(ま)言ふべきか迷ひたれども一語言はずき

ワン・パタといふ短縮語またしても資本は遊ぶ海彼岸(かいひがん)まで

わづかづつ黄色になりて行く紙のいかなる歌に逢はば燃え立つ

学生のころ読みさしし小説を歳月をへて読みつぎて行く

暁闇が曙光へうごく浄き刻(とき)きみ亡(な)きのちもしぶとく生きむ

2011年11月27日 (日)

黄葉とムラサキシキブ

Cimg5490Cimg5493















 庭で銀杏拾いをしていて、元の公孫樹の黄葉を知った。天辺は伐ってあるが、大木である。

 またその根方に、ムラサキシキブが色づいていた。

 庭に絶えたと思っていたが、庭に来る鳥(おそらく鵯だろう)の賜物である。

 また渋柿の熟柿も1個、賞味した。

2011年11月26日 (土)

「コスモス」12月号

 結社歌誌「コスモス」2011-12月号を読む。

 ただし初めより、「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」など。

 ただし同誌はこのあとも読み続けるので、たとえば11月号は「あすなろ集」福岡県の所で次号がとどいた。

 今日の午前は妻の運転でドライブだった。何首かを得る。

 このあと夕方より、〇〇班の忘年会で、近場の温泉で入浴と酒席の一泊である。

2011年11月25日 (金)

河野静雲「閻魔」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第4巻(昭和56年・刊)より、3番めの句集、河野静雲「閻魔」を読みおえる。

 原著は、昭和15年、同句集刊行会・刊。

 高浜虚子の長い序文、600句、自跋を収める。

 地方にあって喧噪を避け、僧という立場にあって生死に敏感だったのか、時局吟はない。地方の大将的な所も少しあったようだ。

 以下に5句を引く。

春雪や柩はさみて傘の列

梅の中敷石分れ塔頭へ

道ばたのころげ文旦野分あと

蟷螂や泥まみれなる斧かざし

風鈴にほ句問答もあきにけり

2011年11月24日 (木)

3つの買物

 最近、3つの買物をしたので、以下に報告する。

  1. 「群青の会」名の住所印。
  2. 2012年の業務日誌。
  3. 拓本「漢 曹全碑」。

 1は、僕が同人詩誌「群青」の編集発行の役をしているが、会の公の郵送物に僕個人の住所印を押す事も憚られると思うようになったので。

 2は、パソコンの脇に置いて、メモなどに重宝している。少し高価だが。日付は今年10月下旬より始まっているので、すでに使用している。

 古い日誌は、破いて棄てる予定。あとあとまで残す事は、メモしていない。

 3は、古中国の石碑の拓本を入手する事が、僕の念願の1つだったから。

 山梨県の中国専門店「チャイナ・ウオッチング」(ホームページ)より買った。もちろん、コピーか印刷だろうが、それで良いのである。同様のものを僕が想定していた価格の、10分の1の値段だった。

2011年11月23日 (水)

銀杏と熟柿

Cimg5482Cimg5485










 左の写真は、妻が庭で拾った銀杏である。僕が拾ったもの、まだ地に散らばっているものを含めると、500個くらいあるだろう。

 果肉を除く作業が面倒なので、それぞれ果肉付きのまま貰ってくれる知人に渡す予定。

 右の写真は、渋柿の熟柿である。

 これくらい美味しい果実は外にない。甘く、柔らかく、多汁(ジューシィ)である。かすかに残る渋みも乙である。

 写真のあと、さっそくそれを食べたが、もう10個くらい枝に残っているので、楽しみにしている。

2011年11月22日 (火)

金子光晴「ねむれ巴里」

Cimg5489
 金子光晴の自伝、「ねむれ巴里」を読みおえる。

 中公文庫、昭和56年・再版。

 同じ中公文庫で、彼の異国放浪記、「どくろ杯」、「マレー蘭印紀行」を読んできて、これで3冊めである。

 あと「西ひがし」が残っている。

 この本では、彼は妻とともに、パリの底辺で、安定した生活の資もないまま、さまよい生きる。

 この放浪が、戦時中に唯ひとり反戦詩を書く強靭さを生むのだが、海外旅行の1度さえない僕には、その経緯がわからない。

 最後に彼らは、旧知のベルギー人(会社を経営し、富裕)の援助で旅費を出してもらい、日本に帰国した。

2011年11月21日 (月)

岡井隆「天使の羅衣」

 「岡井隆全歌集 Ⅲ」(思潮社、2006年・刊)より4番めの、岡井隆と詩人・佐々木幹郎による「組詩 天使の羅衣(ネグリジェ)」を読みおえる。

 原著は、1988年、思潮社・刊。

 岡井隆の短歌と、佐々木幹郎の詩を、互いの小文が繋いでゆくのだが、この本で137ページにわたる試みは、うまく噛み合っていないように、僕は思う。

 それはジャンルの違いというより、世代の違いのように思う。60年安保の世代と、70年安保の世代では、経験も引きずる思いも、違うのだろう。

 このあと、佐々木幹郎はチベット行きをするが、彼の劇的体験というのは、その行旅の時の事だろうか。

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