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「岡井隆全歌集 Ⅳ」(思潮社、2006年・刊)より、今月2日の「神の仕事場」に続き、2番めの歌集、「夢と同じもの」を読みおえる。
原著は、1996年、短歌研究社・刊。
389首を収める。
月報にある、大辻隆弘・編「岡井隆全歌集解題」では、この歌集の作品について、「新展開は見られず、深い倦怠感が漂っている」と書かれる。
僕は、進展はないが展開はある、と思ってこの歌集を読んだ。
以下に8首を引く。
出て行ってネットプレイをするごとき愛のいくさもある 死螢よ
夏休み前ともなればうでたてのグリーンアスパラガスに近しも
かりがねや君の知らない会合で進退のややきはまる刹那
ゆつくりと螺旋階段を墜ちてゆく背中の匕首(ひしゅ)は<詭計(トリック)でせう>
荒すぎるオオデコロンて本当(ほんと)だよ耳もとへ来て「帰るわ」と言ふ
恩顧ある新聞社から帰り来て荒野の馬のやうだ 水呑む
一日(ひとひ)居て日毎ふかまる憂愁の(オレぢゃないてば)笹鳴日和
よいとまけとはなんですとたづね来し葉書のうへに滴るアロエ
昨年12月20日に、同人詩誌仲間のAUさんより借りた詩集6冊(当日に記事あり)のうち、5冊めの詩集、大岩弘「夜陰に向かう」を読みおえる。
2011年6月・刊、私家版、彼の第4詩集。
先行する彼の詩集を読んでいないなど、細かい事は知れないけれど、防空壕に空襲を避けた幼年時代を過ごし(「小さな記憶」)、戦後は組合活動に加わり、母親も左翼活動に加わった(「一九六〇年代・青春」)。
会社からの馘首に遭い(「解雇」)、妻との相克があり(「町外れの夕餉」)、心に無残さを感じながら再就職の職場に出勤する(「いつもの朝」)。
戦後左翼の隆盛と後退を、身をもって、生活をもって体験した者の、詩によってのみ灯りを求めた(「我が詩を追って」)歩みが、誠実さをもって描かれる。
庭には、昨年末の積雪が、まだ残っている。左の写真は、ツツジの株に載る雪である。
昨年9月27日の記事に、色づき始めたばかりの、ウメモドキの写真を載せた。
今は落葉し尽くし、実は真紅である(右の写真)。
しかし小鳥たちが、ピラカンサスの実とともに、食べようとしない。昨年中に2度か、除草剤(1年草の葉にかかると、根まで枯れるが、土中に入れば無害になる、というもの)を撒いたせいかも知れない。
思潮社、2006年・刊。
2重箱、月報あり。
この巻には、「神の仕事場」より「旅のあとさき、詩歌のあれこれ」に至る、10歌集を収める。
月報には、詩人・評論家の北川透との対談「詩歌の未来へ」、大辻隆弘・編「岡井隆全歌集解題」を収め、対談では歌人の個人的事情・内面を知るため、解題は彼の歌歴を概観するため、共に貴重である。
初めの歌集、「神の仕事場」を読みおえる。
原著は、1994年、砂子屋書房・刊、第15歌集。
折句、意味のないオノマトペ、( )の使用など、意識的な試みをしている。
以下に8首を引く。
みづうみに兄の波立ちしづかなる弟波(おとうとなみ)の来るをし待てり
ララ物資のやうなる愛といふ比喩も死にて半世紀経(へ)し夜の桜
月明に隅(すみ)くらぐらと見えながら何時(いつ)なにになるここの空地(あきち)は
麦飯の遠き力やわがおもひしづかに暮れて世界と違(たが)ふ
冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来(こ)し一生(ひとよ)のごとし
精神の集中をこそねがへれば見物人Aを立ち去らしめつ
二人居てなんぞ過ぎゆく尾長らの大竹群(おおたかむら)を過ぐる迅さに
噫(ああ)この外(ほか)老いたるぼくになにがある歌を算へて光を喰べて
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
先日、歌誌「コスモス」2012-1月号を読みおえた。
ただし初めより、「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」、「第五十八回O先生賞発表」の1部、他。
「その一集」特選欄の冒頭に、ブルガリア在住のM佐枝子さんの5首が載っている。彼女は短歌的には孤絶の地にあって、毎月出詠し、欠詠する事もない。
今回の事を、僕は喜ばしく思っている。作品は作品のみによって評価されるといっても、大きな事情は考慮されるべきではないだろうか。
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