角川書店「増補 現代俳句大系」第7巻(1981年・刊)より、3番めの句集、橋本鷄二「年輪」を読みおえる。
先の7月23日の記事(←リンクしてある)で紹介した、大野林火「冬雁」に継ぐ句集である。
原著は、1948年、竹書房・刊。
1927年~1947年までの作、483句を収める。虚子・序、自跋を付す。
全句を、「土」「日」の2部にわかち、さらに四季に分かって登載し、各句の正確な制作年次はわからない。
戦争・敗戦は、心理の地割れ、断層を残したと思われるが、無かったかの如く渡って行ってしまうのは、よろしくない。
以下に5句を引く。
雪沓を穿きたるままの厨ごと
瓜番のいとまにつくる藺笠かな
ふる雪や機械しづかに鉄を切る
伊賀の山四方に高しや鉾すすむ
たくさんの手のあがりたる踊かな
早く涼しい季節の来てほしいものだ。
初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、10番めの歌集、「夜の岬」を読みおえる。
先の7月30日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「山懐」に継ぐ歌集である。
原著は、初音書房、1969年・刊。560首。
歌人67歳~69歳の、3年間の作品。
「後記」で著者は、「命のあるかぎりまだまだ欲を出して、(中略)よい歌を作りたいものであります」と意欲的である。
住友の修史に関わる仕事をしながら、歌会、吟行(宿泊の場合を含む)、追悼などの作品が多い。嘆きも喜びも淡くなったのだろうか。
以下に6首を引く。
安きさまに富士のかかれる熟田(うれた)のはて暑き光に送りたまひき
宿の燈(ひ)の照らす草踏み入りてゆく闇のはたては灘の上の崖
わが賴む君の命の立ちかへり出雲のみ湯にすこしづつ癒ゆ
この島も食を賴みて船を待つ靑葉うつくしく近づきくれば
草の上に高き夕菅(ゆふすげ)すでにして黄にひらきたり帰りか行かむ
ふたたびを君にしたがふ面河(おもがう)のこよひも雨の木群(こむら)にひびく
というより、渓流と呼ぶべきだろう。
角川書店、1972年・刊、全5冊より。
460ページ、A5判、1段組み、1ページ16行、挿絵あり、という豪華さである。
井上正蔵・完訳。
今年6月9日の記事(←リンクしてある)、「同 Ⅰ 歌の本」に継ぐ本である。
前の詩集の暗い恋と違って、この詩集には、いわゆる「ハイネの甘い恋の詩」が多い。
末尾の「時事詩」群では、諧謔的に風刺しているが、マルクスらとの交流も、今となっては虚しい。
第Ⅲ巻以後の詩集も、読むのが楽しみである。
先の8月1日の記事で購入を報せた、4冊の内の1冊である。
ふらんす堂、2010年・刊。箱、帯。
彼女は俳誌「朝」(岡本眸・主宰)所属。
岡本眸「お祝いの言葉」、330句、加瀬美代子・跋「慈愛のこころ」、「あとがき」を収める。
彼女は夫婦でクリスチャンのようで、宗教の救いと文学の救いの折り合いが、僕には今一つわからない。
句風は大胆である。
以下に5句を引く。
黙々と栗むく夫の長寿眉
荒磯の風摑みたる春の鳶
滝水を生活に汲みて葛の花
パン種のふくらむ気配台風裡
白湯のみて動悸なだむる霜夜かな
なお蛇足ながら註をつけると、1句めの「夫」は「つま」、2句めの「鳶」は「とび」、3句めの「生活」は「くらし」、5句めの「白湯」は「さゆ」と、読む事と思われる。俳句や短歌には、特殊な読み方をする語や、雅語がある。
先の8月1日の記事で、購入を報せた4冊の内の、1冊である。
彼女は東京都・在住、俳誌「朝」(岡本眸・主宰)所属。
2007年、ふらんす堂・刊。箱、帯。
岡本眸の序文を得ている。
その序文や「あとがき」で知られるのだが、彼女は病弱ながら実父母、夫と共に暮らし、家族の理解を得て作句していた。
しかし夫が急逝、相次いで父母を亡くした。辛く心細い中で、生活の杖としてか、作句を続け、句集上梓に至った。
以下に6句を引く。
行く秋の女人高野の風の音
手花火や縁に父はは並びゐて
パン買ひに夫と連れだつ春ゆふべ
点滴の夫と寒夜を二人きり
桐咲くやけふも遺骨のそばに母
けふはもう母の初七日白すみれ
最近のコメント