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結社歌誌「コスモス」2014年10月号の「あすなろ集」(既読の特選欄を除く)を読了する。
今月10月15日の記事、「その一集」読了、に継ぐ。
すでに同誌11月号、総合歌誌「歌壇」11月号が届いており、そのあとの「その二集」は読めない。
「あすなろ集」では、言葉が稚い作品もあるが、それだけフレッシュさもあるという事で、それを失くさないで成熟へ向かってほしい。
僕が付箋を貼ったのは、次の1首。新潟県のK・清さんの作品(140ページ下段)から。
介護四の八十六の妻を看る九十二のわれ老老介護
事実を並べて、現代社会の厳しい1面を見せ、作者の優しさも窺わせる。
大和書房「斎藤史全歌集」(1998年5刷)より、歌文集「やまぐに」を読みおえる。
先月9月12日の記事(←リンクしてある)、未刊歌集「杳かなる湖」に継ぐ。
原著は、1947年、臼井書房・刊。
18章150首(のちに145首)の短歌に、12編の随筆を挿んでいる。1946年の作品である。
1945年に長野県に疎開し、終生住むこととなった地での、戦後出発の短歌を読める。
酷寒の物資乏しい地での厳しい生活と、鍋・釜が買え塩の配給が貰える、復活の希望が、詠まれたと僕は考える。
以下に6首を引く。
白梅のことしも咲くと目にとめて言ひつくしがたき思ひもあるを
伏せ馴れしまぶたを上げてみづみづし春至り来る山河を見む
失(う)せはてし想ひをたどるりんご樹の花あかり道すでに昏(くら)みぬ
土よごれ染みたる顔をいら立てて野良の女になりきれず我は
若き等の踊りのむれにまぎれ入り手打ちはやせばたのしきに似る
あくせくとわれの日毎の手仕事よ冬すでに近む雑草の色
(注:旧漢字を新漢字に替えた所があります)。
写真集「日本の原始美術」全10巻より、第8巻「古鏡」を見おえる。
講談社、1979年・刊。
今月10月12日の記事(←リンクしてある)、同「銅鐸」に継ぐ。
カラー写真112枚。解説35ページ。
日本で出土した青銅製の古鏡、3千数百面のうち、3分の2は、日本で制作された、倭鏡とされる。
裏面の文様の種類や系統を、学問として研究しているが、表の面の写真は1枚もない。
化粧具としてより、呪具祭器として用いられた事に拠る。
しかし僕は、骨董品とは言わないが、美術品として見たいので、鏡面がどれくらい外界を写したかも見たかった。発掘品では、無理なのだろうか。
角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、4番めの句集、野村喜舟「小石川」を読みおえる。
先の10月10日の記事(←リンクしてある)、「杉田久女句集」に続く。
原著は、1952年、渋柿図書刊行会・刊。
松根東洋城・久保田万太郎・水原秋桜子の序文、1000句(原著には3607句あったが、この「大系」の都合により選んだ)、自跋を収める。
野村喜舟(のむら・きしゅう、1886年~1983年)は、松根東洋城の「渋柿」に参加、1977年・主宰。
この「小石川」」には、東京・小石川に住んだ頃(明治43年~昭和8年)の、下町情緒濃い作品を収める。戦前の句だが、抒情的なところがあり、息苦しいところが無い。
新年春夏秋冬より、1句ずつを引く。
一切空赤く出でたる初日かな
解き捨てししごきの中の子猫かな
居眠りの老のうなじや時鳥
懶さも暑さも残る己かな
磧湯に馬を入れやる冬至かな
結社歌誌「コスモス」2014年10月号の、「その一集」を読みおえる。
先の9月26日の記事(←リンクしてある)「『コスモス』10月号」で、「月集スバル」「月集シリウス」、各集・特選欄等の読了を、報告して以来である。
今回はペースが遅いので、次号が来るまでに、今号を全部読みおえるのは無理だろう。
今回、僕が付箋を貼ったのは、次の1首。石川県のK・啓子さんの作品(68ページ・上段)。
ヨガでする死体のポーズの五分間に眠る人あり鼾のきこゆ
現実の死が、眠るように安らかであれば良いのだが。
今月6日の記事(←リンクしてある)、「ミニ薔薇と栗」で、2輪をアップして以来である。
順次に4輪が咲いたので、写真を撮り溜め、1度に紹介する。
これらの花は、ホームセンターで買った時に比べて、ずいぶん貧弱になってしまった。この株が冬を越え、来春に(植え替えのあと)また咲くとして、どんな花を咲かせるだろうか。
発起人が川上明日夫さん(詩誌「木立ち」編集者)他4名で、「広部英一全詩集 刊行記念会」名で招待されたので、参加した。
昨日(日曜日)午後1時半より、ユアーズホテルの1室に、約55名が出席した。掲げられた額では、「広部英一全詩集」刊行記念 第9回苜蓿忌 祝賀会、となっていた。
増永迪男さんの司会で、川上さんが発起人代表挨拶。
来賓祝辞では、作家・津村節子さんが涙ぐみながら、故・詩人の思い出を語った。広部さんが図書館職だったから、資料的な事で、何度も尋ねたという。
詩人・評論家の倉橋健一さんが、裏話をまじえながら、思い出を語った。
乾杯のあと、祝宴に入り、何名かがスピーチした。僕の他にも、詩人・作家と久闊を叙する者が、多かった。
故・詩人の令弟・広部正男さんの謝辞(令夫人―アメリカ在住―の謝辞の代読を含む)により、祝賀会を終えた。
そのあと、集合写真を撮り、午後2時前に散会した。
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