福井県に在住の詩人、S章人さんが、同人詩誌「角」第25号を送って下さった。
2012年3月10日、角の会・発行。
O純「メルト・ダウン」、S章人「とどかないことば」、T常光「私たちは何を見たのか」、3氏の3編が、東日本大震災への驚きと、悼む心と、復興への願いを描いている。
その他に詩では、H秋穂氏の「樹の陰」「菊花石」2編による、詩界への復帰が大きい。
散文では、I勝氏の「僕の懐かしシネマ館(閑話休題) 宇野重吉とチェーホフ」が面白い。2氏への敬愛がある。
H秋穂氏の短詩、「菊花石」全文を引く。
菊花石H秋穂
”ここよ ここ”杜(もり)のなかで何度その声を聞いた事か
地の底から地の底へと
木霊する そのはざまで覚えたものは
繕いつづけた糸と
いとおしさでしかなかった
兵庫県にお住まいの詩人、S陽子さんが、兵庫県を主とする同人詩誌、「アリゼ」第147号をお便りとともに送って下さった。
2012年2月29日、アリゼの会・発行。
詩21編、エッセイ等の散文11編を収める。
詩では、第二次大戦に関わるM真由美さんの「冬の旅」T久美子さんの「あざなえる縄」、宇宙論的なYやすこさんの「星の欠片(かけら)」Y幸子さんの「こんにちは」、早逝の父をうたったO昭代さんの「夏の別れ」母を偲ぶA洋子さんの「舗道の石臼」など、興趣の深い作品が多い。
散文11編は多めで重い内容のものもあり、「読みたい人はどうぞ」の意趣かと、読まなかったもの、拾い読みしたもの、完読したものがある。
批評の他では、詩誌の散文は軽めのものが、読む気になる僕である。
仙台市・在住の詩人・秋亜綺羅さんより、彼の個人詩誌「季刊 ココア共和国」vol.9が、「群青の会」宛てに送られてきた。
2012年3月1日、あきは書館・刊。
冒頭の「編集前記」では、東日本大震災の被災と思い、今号の紹介を記す。
「小詩集」欄は、S英昭さん(詩人・俳優、寺山修司の映画「書を捨てよ、町へ出よう」に主演)の「若いおんなと老人」、十六夜KOKOさん(ブログで活躍する詩人)の「十六夜の月の下」である。
秋亜綺羅さんの長詩「み」「遠泳」が載る。他に彼の地域の詩人、2人の詩が載る。
他に秋さんの美術評「アート・アトランダム」と、彼のブログ「ココア共和国」でのコメントの遣り取りの転載も、24ページにわたる。
こういう所に、戦後詩がひそやかに生き延びているのか、と書いては賛辞にならないだろうか。
荒川洋治・以降の戦無詩の意義がわからない。もっとも現代詩は(現代短歌も)、「わかる」「わからない」レベルで読んではいけない、という人々もいる。
僕の詩はだから(?)、お笑い路線や、ほのぼのしみじみ路線へ、走ってしまう。
芸術詩と大衆詩の分化、と言ってしまえばカッコはいいけど。
印刷所の「宮本印刷」へ電話したところ、昨日の夕方には出来ている、という話だったので、昨日の仕事帰りに「宮本印刷」へ寄って、同人詩誌「群青」第23号、100部を受け取った。
同人3名、目次とエッセイ1ページを含めて8ページの、ささやかな詩誌である。
1年3回の発行を保ってきたので、創刊より8年に近い。
詩は、AUさんの「木綿糸」、こぐま星座さんの「シャッター商店街」、僕の「目録」の3編。
個性が出て、常凡にみえてそのままで無さそうな作品もある。
エッセイ1ページ(持ち回り)は、僕の「協力」である。知的にも老い初めた同僚二人(僕とヤッさん)でも、協力すれば事が(仕事以外の事だが)成せる、というエピソードを描いた。
同人3人が会う、日時も場所も決めてある。
詩誌の発送(贈呈)の作業は、僕一人でやる。宛先を1つずつ、サインペンで書いて(宛先シールの作りかたがわからないから)。
福井市在住の詩人、A幸代さんが、個人詩誌「野行き」vol.3を送って下さった。
平成24年2月・刊。
初めより順に、「あじさい」「月夜」「じゃまもの」「釣り」「音」の、5編を載せる。
穏やかな心境、レトリックは進み、知的好奇心が生きているなど、彼女は秀でた境地にいるようだ。
亡き父を思い遣る「釣り」にも惹かれるが、今回は以下の「月夜」全編を引用する。なお、作者のご了解は得てある。
月夜A幸代
冬の夜一人で家路を急いでいた
糺の森の中を通るのが
いつもの帰り道
ふと足もとを見ると葉を落とした木々の枝が
網目状に影を広げている
皓皓とした月夜だ
その中を歩いていた
月と木と自分とがつながる深い夜に包まれて
先月27日の会合(記事あり)のおり、AUさんより頂いた同人詩誌、「間隙」第32号を読みおえる。
沖縄県に在住の詩人、A盛勝さんが編集し、同人は彼を含めて全国の6名である。
AUさんの詩「手すり」は、若くして亡くなった母親が、幼女として現れる。何か神話的パターンがあるのだろうか。こぐま星座さんの詩にも、そのような詩想がある。
故・広部英一さんの詩には、若くして亡くなった母親の娘時代を、想像的に描いた作品はあったが、幼女としては現れない。
僕の母親は、老いてから逝いたので、僕が幼く母が若かったころのエピソードを思い出す時はある。
AUさんはエッセイ「母のこと」で、ヒステリー症ぎみの母親と、その突然の早逝を描いて、詩への出発への因をうかがわせる。
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