カテゴリ「読んだ本」の1643件の記事 Feed

2016年6月18日 (土)

「インド国立博物館」

Cimg8891 講談社「世界の博物館」(全23巻)より、第20巻「インド国立博物館」(1989年・4刷)を見おえる。

 同・19巻「シルクロード博物館」は、先の5月22日の記事(←リンクしてある)で、アップした。

 インダス文明等の古代文明の遺物が素朴である。

 仏教美術の浮き彫り、仏塔が緻密である。ギリシア・ローマ風の仏頭があり、仏伝浮き彫りも細密で、信仰を表わすか。

 ヒンドゥー教の神像、ガネーシャ、ヴィシュヌは敬虔であり、シヴァ神系はバラモン教・他の神々と共に、豊満な女性を彫ったものもある。

 今に技術の伝わる染織品が美しい。

2016年6月16日 (木)

大江健三郎「美しいアナベル・リイ」

Cimg8884 変わらずに本を読む事は好きだけれども、最近は根気がなくなって、詩歌句集でも、分けてここで紹介する場合もある。

 それでも文庫本棚より、カバーの左端が日焼けした、大江健三郎「美しいアナベル・リイ」(新潮文庫、2010年・刊)を読んでみた。文章は意外と読みやすかった。

 内容は、ロリータ傾向には興味が持てなかった。クライストの小説(?)「ミヒャエル・コールハウスの運命」を翻案して映画化するプロジェクトがあり、「私」が脚本を担当したが、挫折した。

 30年後、そのプロデューサーと女優(共に国際的に活躍した)が、再挑戦として、明治維新前後の2つの一揆を、四国の「私」の郷里で舞台化する。

 ここで、6月12日の記事、季刊「ココア共和国」vol.19で、僕が秋亜綺羅さんのエッセイを有意義だ、と書いた事に結びつく。「津波ごっこをして笑える日」で「そろそろ、震災にカーテンコールをさせなければならない、と思うのです」と述べている。

 2つの一揆は、60年安保と68年頃の学生運動ではないか。それら2つを演劇化する事で、半世紀経た怨念を、昇華しようとするのではないか。小説は、ほぼ舞台裏ばかりだが、筋書と予行も1部、描かれている。

 大江健三郎は小説で、三島由紀夫事件や、オウム真理教事件を、翻案して描いて来たと、僕は思ってもいる。

2016年6月14日 (火)

竹山広「残響」

 ながらみ書房「定本 竹山広全歌集」(2014年・刊)より、第3歌集「残響」を読みおえる。

 第2歌集「葉桜の丘」は、先の6月1日付けの記事(←リンクしてある)で紹介した。

 「残響」は、1990年、雁書館・刊。467首。

 この間、生業の印刷所を閉めて(66歳)いる。地域の歌人と交わり、核実験反対の座り込みに参加。

 また結社「心の花」や総合歌誌で注目され始める。

 悲惨な経験を経て、乏しさ(貧しくはない)と反骨精神は、時にユーモアのある作品を生んだ。

 以下に7首を引く。

椅子ふかくかなしみをれば二度三度きし鵯のおちつかず去る

活字一式地金に売りて労働のあとかたもなき空間さむし

髪触るるまで子の墓にうなかぶす妻のうしろに寄りゆきがたし

たたみ十枚干して困憊せるわれに被爆時刻のサイレンひびく

座込みで何が得られると自問して賢くなりし人は去りゆく

灯を消しし窓にをりをりきて触る昭和終焉のこの雨の音

天の橋立股よりのぞき見る妻よ眩暈(めまひ)をおそれわれはせなくに

Photo「フリー素材タウン」より、蓮の1枚。

2016年6月13日 (月)

若山牧水「樹木とその葉」(2)

 Kindle本「若山牧水大全」の随筆集「樹木とその葉」より、2回めの紹介をする。

 同(1)は、先の6月6日の記事(←リンクしてある)にアップした。

 今回に読んだのは、「枯野の旅」より「空想と願望」に至る、7詩編である。

 Kindle本をタブレットで読むには、ぱらぱらとはページを繰りにくく、元のページに戻りにくい。詩7編なら、他の紀行文と一緒に紹介しても良かった。

 牧水が詩を書いていたとは知らず、生涯に何編の詩を書いたか、全集をもたないのでわからない。

 この7編には、57調の文語の詩、散文詩と呼ばれるべきもの、口語自由詩を含む。

 心情を素直に述べた詩が多い。初期「創作」や「詩歌時代」では詩も載せたようで、詩への眼はあったようだ。

Photo「フリー素材タウン」より、花菖蒲の1枚。

2016年6月12日 (日)

季刊「ココア共和国」vol.19

Cimg8875 宮城県・在住の詩人、秋亜綺羅さんが個人詩誌、「ココア共和国」vol.19を送って下さった。

 ツイッター上で同号を発行のニュースは流れたが、詩誌「群青」終刊後は送ってもらえないかと思っていたが、思いがけなく同号が届き、ここで紹介するまで日数を経てしまった。

 同誌・vol.18は、昨年12月17日付けの記事(←リンクしてある)で紹介した。

 招待の中家菜津子さんの詩・短歌「筆箱」、打田峨者んさんの俳句「風の再話――昔むかしのどの昔」は、作品の良さが僕にもわかる。

 詩の招待作品が、僕にはわからない。僕が現代日本詩の最前線より遠く長く、離れているせいだろう。

 松尾真由美さん「崩れさるもの、巣の渾沌」、橋本シオンさん「デストロイしている」の題名が示しているように、都会の人の心は崩れ、壊れているのだろうか。

 秋亜綺羅さんの「凱歌」ほか2編は、2行1連を繰り返しており、定型への志向が読める。彼は否定するけれど、戦後詩の流れを汲むと、僕は思っている。エッセイも有意義である。

2016年6月 9日 (木)

川村信治「幸福の擁護」

Cimg8871 先日、県内にお住まいの詩人・川村信治さんより、詩集「幸福の擁護」を頂いた。

 直近の詩集として、2015年2月2日の記事(←リンクしてある)で紹介した小詩集、「百年の旅」がある。

 2016年4月、能登印刷出版部・刊。

 127編を、1編見開き2ページで収める。

 ほとんどすべての詩が、1連4行、4連を重ねる16行で1編であり、他はバリエーションである。西洋の詩に範を採っているだろう。

 苦難はあっただろうけれど、順調な生を送って、老年に入ろうとする詩人の内外をおもに描いている。

 甥を送り、母の看護と看取りがあり、姉を送るなど、身近な死があり、寄り添う夫婦像がある。

 豊かな自然に恵まれた生活があり、後期に反原発の政治にも関わって行く。

 各編には日付が付され、2002年3月31日より2015年12月に至るが、この詩集の上梓により、彼はこの詩型より脱するとしている。

 詩「不完全なるもの」4連より、最後の連を引いて、謝意としたい。


美は不完全の上にあり

物語は愚かさを語り

愛は互いの不完全さに触れあう

いとおしいこの生

 

 

2016年6月 8日 (水)

原子公平「浚渫船」

 年刊句集「福井県」第54集を読みおえ、今年3月17日の記事(←リンクしてある)、石原八束「秋風琴」以来の、「現代俳句大系」(角川書店)第10巻(1972年・刊)に戻る。

 今回、僕が読んだのは、原子公平「浚渫船」である。

 原著は、1955年、風発行所・刊。

 金子兜太の序、554句、細見綾子の跋、あとがきを収める。句の前半は、戦前の作品である。

 原子公平(はらこ・こうへい、1919年~2004年)は、戦後、「社会性俳句を推進、論作ともに活躍する」(三省堂「現代俳句大事典」2005年・刊に拠る)。

 以下に5句を引く。

四方(よも)の蟬鳴き出づる朝父死せり

根深汁すすり泣く喉(のど)痛みけり

月白の丘に煮炊きの火の手見ゆ

牡蠣飯も当座の気負いも母に享く

母と乗るロマンスカーや稲稔る

Photo「フリー素材タウン」より、花菖蒲の1枚。

2016年6月 6日 (月)

若山牧水「樹木とその葉」(1)

 Kindle本「若山牧水大全」の全14歌集を読みおえ、それに続く「樹木とその葉」より、1回めの紹介をする。

 「序文に代へてうたへる歌十首」を含め、「若葉の頃と旅」に至る8編である。

 いわゆる随筆と言ってよく、紙誌の求めに応じて書かれた作品だろう。

 身辺を描いたものの他に、紀行文と呼べる旅の記録があり、深い山を訪ね、川を遡っている。自然詠などに発するものかも知れないが、社会の煩わしさを嫌った、牧水の人間嫌いの1面かも知れない。

 「若葉の頃と旅」以降は、どこまでか判らないが、詩編が続いており、次の機会に紹介したい。

Photo_2

「フリー素材タウン」より、花菖蒲の1枚。

2016年6月 5日 (日)

歌誌「コスモス」6月号「COSMOS集」

 結社歌誌「コスモス」2016年6月号より、「COSMOS集」を読みおえる。

 その前の「その一集」特選欄は、先の6月2日の記事(←リンクしてある)で紹介した。

 「COSMOS集」は、「その二集」と「あすなろ集」の、特選欄である。「あすなろ集」より30名、「その二集」より12名、各5首(稀に6首)が選ばれて、選者による題名を付されて載る。望みの叶った場だろう。

 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。T・竹子さんの「妖怪ゲーム」5首より。

マットレスに転び飽かずに遊びをり幼き妹兄が助けて

 兄妹、姉弟の助け合いは、独特の情感のあるもののようだ。僕は2人兄弟だけれども。

Photo「フリー素材タウン」より、花菖蒲の1枚。

2016年6月 4日 (土)

「梅崎春生全集」第2巻(2)

 沖積舎「梅崎春生全集」第2巻(1984年・刊)より、2回めの紹介をする。

 同(1)は、先の5月20日の記事(←リンクしてある)にアップした

 今回、僕が読んだのは、「紐」、「蜩」、「行路」の3編であり、戦後に発表された非戦記もの・非従軍ものの初めである。

 「紐」は戦時下の留置所で、贈賄罪を問われる鬼頭と、同房の確信政治犯・六車の話である。鬼頭に絹の紐が与えられ、自殺を示唆される。鬼頭と六車が共に、死を選ぼうとして、迷っている所で終わる。執筆当時、今とは違う世相状況があったのか。

 「蜩」は、作家が出版社に3度めの前借りをしようとするが、首尾が悪く、身重の妻に出向かせる話である。郷里の母と弟、他の出版社の者も絡んで、心理的にねじれた状況をよく描写している。ただし単なる私小説では、ないだろう。

 「行路」は、少女が男と戦争に苦しめられ、地下道に寝泊まりまでしながら、小さな鰻屋を営んで行くまで、おりおりに関わった「私」の視点で描く。戦後風ながら、危うさも作者は見抜いている。

Photo「フリー素材タウン」より、花菖蒲の1枚。

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