2006年、砂子屋書房・刊。
2001年に砂子屋書房・刊の歌集、「律速」に続く、第2歌集である。
200首、岡井隆の跋「三好みどりさんに -解説にかへて」、後記「歌はこころの癒し」を収める。
彼女は大学薬学部を卒業し、製薬会社の研究員、高校などの化学講師を経ており、その方面をおもに、僕の知らないカタカナ語が多かった。
多くは電子辞書の「カタカナ語辞典」を引けばわかるが、どこかで読んだような「オピウム」がわからない。opiumだろうと見当をつけて、英和辞典で調べると、阿片の事だった。
1ページ2首、数ヶ所にモノクロ写真を挿み、効果を上げている。
以下に日常を詠んだ歌をおもに、7首を引く。
いま家族壊れつつある昼さがりファミレスに聴く淡き幻想曲
あかねさす紫オパールひかりおり大腸ガンの染色組織
淡緑のレタスの繭のなかに抱くくらき想いにひっそり浸る
夏萩のさやぐ音する初夏に呼び覚まされるわれの半音
気遣いていし子にいつか気遣われ山手線に子と別れけり
お客様お好みのものは何ですか口紅のごと売るかぜ薬
雪ふる夜、午前零時のコンビニに夕食購いつつ家族するひと
河野裕子・永田和宏「たとへば君 四十年の恋歌」を読みおえる。
文芸春秋、2011年・2刷。
このブログの8月20日の記事で、購入を報せた3冊の内の、1冊である。
歌人・河野裕子の闘病と死去、家族の看取りは、歌壇以外の社会にも知られて、幾冊かの本になった。
この本は、河野裕子・永田和宏の出会いから、河野の死去まで、二人の相聞歌380首に、河野のエッセイ集からの抜粋、永田の文章を挟んで、感動深い世界が明らかになる。
「蒸留水(永田)」と「井戸水(河野)」と河野裕子が喩えた、純粋な二人が頼り合って、歌を支えに生きて、学問で業績を挙げ(挙げさせ)、二人の子供たちを独立させた生涯は、讃えられるべきである。
河野が癌を病む前の、壮の頃の歌を、1首ずつ引く。
もの言わで笑止の蛍 いきいきとなじりて日照雨(そばえ)のごとし女は
永田和宏
このひとは寿命縮めて書きてゐる私はいやなのだ灰いろの目瞼など
河野裕子
初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、12番めの歌集、「花筵(はなむしろ)」を読みおえる。
原著は、1975年、初音書房・刊。515首、後記を収める。
75歳の高齢ながら、後記では「そしてなほこれからが大切な時だと思つてゐる」と元気である。
鈴江幸太郎(すずえ・こうたろう、1900~1981)は、徳島県生まれ。1921年(大正10年)「アララギ」入会。中村憲吉に師事。
1953年、歌誌「林泉」創刊・主宰のあとも、「アララギ」の歌会に参加し、出詠もしていたようだ。
この歌集でも、旅行詠が多い中で、生活詠も混じる。
以下に6首を引く。僕の好みで、生活詠が多い。
妻子措きてある日寂しみこの島に渡りし若きこころ忘れつ
古き代に吉津(よしづ)と呼びて住みつきぬ草に返りゆく峠ひと谷
あるかなきかにそがひに眠りゐる妻を月の光は照らし出しぬ
次ぎつぎて老をさいなむ事や者愛(かな)しきものはましてさいなむ
夜明くれば行きて働くあはれさも五十幾年になりやしぬらむ
光秀の夜半をひそかに落ちゆきし跡ちかく住むとおもふ折ふし
ダウンロード・フォト集より、ひまわり畑の1枚。いかにも暑そうだ。
この夏の暑さも、ピークを越えたか。
初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、11番めの歌集、「月輪」を読みおえる。
今月9日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「夜の岬」に継ぐものである。
原著は、初音書房、1972年・刊。
歌人・70歳~73歳の、538首を収める。
日常をあまり詠まず、旅の連作などに豊かな作品が多い(解説では「円熟」と書いてある)。
「アララギ」の流れだから、「写生」の自然詠・叙景歌が多いのも、肯われる。
以下に7首を引く。
瓶さまざまビニールの類の押し騰(あが)りし濱といへども春の草萌ゆ
一時閒走らば至る家の墓おもふのみにてこの度も見ず
ふる雨にうごく草踏みみゑさんのみ墓に立てり縁(えにし)おもひて
こころ伸ぶるけふの宿りを夕ぐるる波止(はと)は船より魚揚げてをり
爪叩(つまだた)くわが耳にのみ鳴りゆらぎやさしかそけし遠き世の鐘
甲板に柱をめぐり相追ひてゑらげる聲は幼な孫三人(たり)
それぞれに高層に慣れて子ら住めば我さへ移るマンション五階
涼を感じてもらえたら。
初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、10番めの歌集、「夜の岬」を読みおえる。
先の7月30日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「山懐」に継ぐ歌集である。
原著は、初音書房、1969年・刊。560首。
歌人67歳~69歳の、3年間の作品。
「後記」で著者は、「命のあるかぎりまだまだ欲を出して、(中略)よい歌を作りたいものであります」と意欲的である。
住友の修史に関わる仕事をしながら、歌会、吟行(宿泊の場合を含む)、追悼などの作品が多い。嘆きも喜びも淡くなったのだろうか。
以下に6首を引く。
安きさまに富士のかかれる熟田(うれた)のはて暑き光に送りたまひき
宿の燈(ひ)の照らす草踏み入りてゆく闇のはたては灘の上の崖
わが賴む君の命の立ちかへり出雲のみ湯にすこしづつ癒ゆ
この島も食を賴みて船を待つ靑葉うつくしく近づきくれば
草の上に高き夕菅(ゆふすげ)すでにして黄にひらきたり帰りか行かむ
ふたたびを君にしたがふ面河(おもがう)のこよひも雨の木群(こむら)にひびく
というより、渓流と呼ぶべきだろう。
笠井朱実さん(「音短歌会」所属)の第1歌集、「草色気流」を読みおえる。
2010年、砂子屋書房・刊。
337首。栞付き。
米川千嘉子、黒瀬珂瀾、玉井清弘、3氏の栞文を得て、幸福な出発であっただろう。
「あとがき」で彼女は、「言葉は楽しい。言葉のつくる、生み出す世界が、わたしにとってほんとうよりもずっと親しく思えるほどに。」と述べる。
ただし僕は、詩としてレトリックのトップのきらめく作品より、少しだけトーンダウンした作品を好んだ。
以下に7首を引く。
中也の帽子まぶかにかむり青年はひどくおほきな歩幅に降りる
うすあをき瞳に見ゆるニッポンはゆふぐれですか異国の人よ
ふつくらと胸ふくらませ青き鳥いくつ眠れるりんだうの花
めそめそと泣く母われのそばに来て薄荷(はつか)飴玉食べてをり子は
根来塗お弁当箱たいせつの言葉のやうに少女はつつむ
イギリスのちひさな町に朝なさなしましま靴下干す姪がゐる
強がりの十八歳のうつむけば樹液のやうに涙ふくらむ
初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、9番めの歌集、「山懐」を読みおえる。
今月14日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「水の上」に継ぐ歌集である。
原著は、1966年、初音書房・刊。491首に後記を付す。
著者64歳~66歳の作品であり、伝記「小倉正恆」執筆刊行の他は、短歌に関わる事が多かったようである。
末尾に近い連作「奥羽四日」は106首の力作である。
以下に7首を引く。
歡びて歎きてはやく一生(ひとよ)過ぐ岩をかくして若葉茂りぬ
生きあぐむその折々を寄らしめし合歡(ねむ)も柘榴(ざくろ)も衰へむとす
獨り言(ごと)おほくなりたる言ひ合ひて谷くだる君も我も老いたり
木に草に足をとどめて心足(た)る坂の上(のぼ)りもどこまでとなく
安らかに妻の寢息の定まればこころ落著くいつごろよりか
人のため計り努めて仆れしをただ見守りて過ぎし年月(としつき)
君の跡老いて巡らむと思ひきや世に怖れつつも生きをれば來つ
季節は合っているだろうか。
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