初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、8番めの歌集、「水の上」を読みおえる。
先の7月7日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「夕映」に続く歌集である。
原著は、1962年、初音書房・刊。492首。
3年の歌作の間には、住友電気工業・社史、伝記「鈴木馬左也」の上梓を果たした。
また60年安保の年を含むが、若干首で触れているのみである。
以下に7首を引く。
もろともに床のぶる夜半(よは)に月照りて若きらはまた峯に出でゆく
つぬさはふ石見(いはみ)の海をおほふ曇り濃き雲淡き雲みだりつつ
もの言はぬ老の心となりにけりあらはなるわが合歡の淡紅(うすべに)
もろともに泛きてたゆたふ鳰ふたつ相寄るときに啼くことはなし
夜の梅に出でて歩みし我といふ醉ひて覺えぬことは寂しき
今までに生きつぎしさへ運強き我とおもはむ社史が本に成る
折々に濁れる川を見下して明るき高層の室に落つかず
今年も花菖蒲の花を見ずに過ぎてしまった。
初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、7番めの歌集、「夕映」を読みおえる。
先の6月22日に、6番めの歌集「屋上泉」を紹介した記事(←リンクしてある)以来の、紹介である。
原著は、1959年、林泉短歌会・刊。
歌人の還暦に至る3年間の、530首を収める。
この時期、特別な事件はなく、主宰する歌誌「林泉」の編集、歌会、吟行などに励んだようである。或る女性に思いを寄せるらしい歌群もある。
以下に7首を引く。
船のゆきのままに移ろふ靑山のここにも高く家群(やむら)こもれり
寂しきは我といづれぞ瀨々の音ひびく日を夜をしづまりて臥す
アララギの友のすくなきふるさとに井坂吉惠(ゐざかきちゑ)も死にゆきにけり
雨具ぬれて岬端(さきはな)に立つは朝くらき海を見張れり群れくる鰤(ぶり)を
あくがれは齡(よはひ)とともに深くして夕日ヶ濱をまた何時か見む
折紙(をりがみ)の上にうつ伏し眠りたる幼き孫を見るしづごころ
川波の響の中に横(よこた)はり聲とどかねば言はぬもしたし
涼を求めて。
埼玉県・在住の歌人・羽矢通子さんの第2歌集「青草の原」を読みおえる。
2007年、短歌新聞社・刊。
彼女は「未来」会員、「葱」同人。
第1歌集「羊の家」よりの、7年余りの作品を収める。
戦争の経験があり、キリスト教に近く(歌集名は聖書より採られた)、反権力的な立場にいる。
彼女が短歌の他にも、幾つか関わる事は、女性が解放される事の、困難さを示している。
以下に7首を引く。
砥ぎ草の硬き木賊はすっぱりと伐られて山を出るときを待つ
病み重く君はメールを送りつぐ最期の手紙に「つよく死にたい」
ダイアナ妃を悼む花束鉄柵に溢れて蜂の羽音うるさし
毛繕いに余念なき猫かたわらにわが頸筋のしんしん痛む
歩み入る疎林の木陰足裏に関東ロームかすかに湿る
深海に目の光るとうメヒカリの胡麻ほどの目の硬い歯ざわり
冬の夜の道路計画説明に難民のごと集められたり
初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、6冊めの歌集「屋上泉」を読みおえる。
原著は、1956年、林泉短歌会・刊。
463首、「巻末記」を収める。
先の5月21日の記事(←リンクしてある)、「雅歌」に続く歌集である。
住友家先代家長(当時)伝記「住友春翠」の執筆・完成、また主宰する「林泉」の吟行、歌会など、繁忙でありながら充実していたらしい、約3年間の作品である。
以下に7首を引く。
この白き石の佛のにほふ面(おもわ)あくがれ立つは人に障(さや)らず
勞はれと言ひ給ひしといふことも人傳なれば寂しきものを
苦しみの集る如き七月の曇りに左千夫先生死にき
花すぎて花莖垂れし擬寶珠(ぎぼうしゆ)の下より涌ける水にまた對く
破れたるソファーにふかく身を沈む立ちあがる氣力殘れりや否(いな)
朝に寄りゆふべに跼みかなしめば幼き合歡の芽は葉となりつ
青空のした架線ありて電流の鳴れるは雨の音よりわびし
東京都・在住の歌人・吉田律子さんの第2歌集、「残華」を読みおえる。
2010年、ながらみ書房・刊。
帯、1ページ2首。近田順子・跋、あとがき、を付す。
第1歌集「孤高の貌」の完成を待たずに夫(大恋愛の末に結ばれた、とのこと)が癌再発により逝き、10年所属した「かりうど」の師・青井史が逝き、自身は鬱病となった。
しかし短歌との縁は切れることなく、「未来」所属の近田順子の指導を受け、信仰の力もあり、第2歌集上梓に至った。
亡夫恋の作とともに、海外旅行詠も混じる。お孫さんを詠んだ作もほほえましい。
以下に7首を引く。
此の世との別れ告ぐるか夫の眼は見守る吾にしかと真向かう
胸内に牡丹を秘めて生きし師よ唐突に崩れ逝きてしまいぬ
子には子の我には我の思いあり夫三回忌 水無月の風
水脈(みお)という美しき生すでになくただひたすらに混濁を生く
我の手に暖かき手の重ねられ誰なんだろう夢から覚めて
売却の印鑑押しつつふとよぎる三十代のローン重き日
君の亡き初春四たび迎えつつ残華秘めゆく女となりぬ
このブログの5月18日の記事で、入手を報せた歌誌、「コスモス」「歌壇」各2013年6月号より、「歌壇」(本阿弥書店)を読みおえる。
特集の「近藤芳美生誕百年―晩年の歌境」では、盟友・岡井隆の「近藤芳美の晩年について 総論」を始め、7編の論が並ぶ。僕は近藤芳美の短歌を、歌集としては1冊も読んでいないので、「近藤芳美集」に読み入るのが楽しみである。
もう1つの特集「父の詠む子の歌―家長から育メン」まででは、小塩卓也の「若き父よ、もっともっと子を詠え 総論」、黒瀬珂瀾・選の「『父』のうた五十首」、栗木京子・本多稜・大松達知の鼎談「短歌に見る変貌する父と子の関係性」が、いずれも興深かった。
今号は、短歌作品のみでなく、文章も多く読んだ。
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