カテゴリ「歌書」の467件の記事 Feed

2013年5月23日 (木)

川越惠子「庭の音」

Cimg6993 東京都にお住まいの歌人・川越惠子さんの第1歌集、「庭の音」を読みおえる。

 2007年、砂子屋書房・刊。

 帯。岡井隆・跋。約350首、エッセイ3編。

 彼女はNHK学園短歌教室で、岡井隆の指導を受け、「未来」に入会した。

 どことなくおっとりした歌風を、岡井隆は跋文で、NHK学園出身のせいのように書いている。しかし僕は、彼女が商家(拡大→衰退→安定、を経ている)の、いとはん(良家の娘の敬称、おもに京阪言葉)の性格が身についているのだと思う。

 以下に7首を引く。


捨てられし一升瓶が浜風を詰め込んでゐる小坪海岸

生前にしかと見ざりし父の目を遺影に寄りてしみじみと見る

ノースリーブの肩を過ぎゆく今朝の風細き芯ある風と思はむ

スプリンクラーの水の翼はのびやかにアンダルシアの野に回転す

うす暗き楠の大樹の下に待つ思ひ出し笑ひ呑み込みながら

おほどかに風車の廻るロンドンに我等着きたり夏至の夕べに

柚子の香の残る右手を胸の前で小さく振つて母を見送る

 

2013年5月21日 (火)

鈴江幸太郎「雅歌」

 初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(1981年・刊)より、5番めの歌集、「雅歌」を読みおえる。

 今月9日の記事(←リンクしてあり)で紹介した、「柘榴の家」に継ぐ歌集である。

 原著は、1953年、林泉短歌会・刊。446首。

 1951年(52歳)~1953年(54歳)の作品を収める。この時期、作者には大きな事柄が多くあったようだ。

 まず長女(亡くなった先妻との娘)の結婚。

 「アララギ」の先輩、岡麓と斎藤茂吉の逝去。

 そして自身が主宰する歌誌「林泉」の創刊。

 住友電工(株)社史編纂の仕事を続けながら、短歌に励んだといえる。

 以下に6首を引く。


くらき工場に灼
(や)けし鋼塊の辷りゆき人は潛(ひそ)めるごとく立ちたり

起きいでてみ寺の山の草踏めば那智の山みゆ白瀧も見ゆ

たちまちに嫁ぐ日ちかくなる汝に言ひたきひとつまだ言はぬかも

くれなゐの濃染(こぞめ)の牡丹散りかかる時にしあひぬ君の忌に来て

傍らに來りて小さき者が臥す赤チンキ附けし小さきその指

わが知らぬわが力涌き出づるべし我に寄りくる若き友らのこゑ

                          (「林泉」創刊)

Phm10_0489
ダウンロード・フォト集より、湖の1枚。

暑い日々に、1枚の涼を。

2013年5月18日 (土)

「コスモス」と「歌壇」

Cimg6987














 昨日に結社歌誌「コスモス」2013年6月号が届いた。

 今日(土曜日)の午後、ショッピング・モール「パワーセンター ワッセ」内の書店、「KaBoS ワッセ店」で、総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2013年6月号のみを買った。

 「コスモス」6月号に、僕は欠詠した。アクシデントで、出詠できなかった。

 その事は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」(このブログのリンク集にあり)の、今年3月23日の記事(「パソコン・インターネット」テーマで探すと、見付けやすい)に、細かく書いた。

 「歌壇」6月号には、惹かれる記事が多い。特集の1つは、「近藤芳美生誕百年――晩年の歌境」である。僕は生前版の「近藤芳美集」10冊を持っている(まだ読んでいない)。

 もう1つの特集は、「父の詠む子の歌――家長から育メンまで」であり、1子をもうけられたばかりの大松達知さんが鼎談に加わっている。

 2誌とも、いつものようにて読みおえたなら、ここで報告する。

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2013年5月15日 (水)

中田道子「未完のカンバス」

Cimg6975 中田道子さんの第1歌集、「未完のカンバス」を読みおえる。

 角川書店、2010年・刊。

 帯、村山美恵子・跋、あとがき。

 彼女(大阪府・在住)はヨガ教師として生計を立て、幼い頃から好きだった絵を続け、「水甕」に短歌を寄せて心の安定を得る。

 その鼎立は成功したらしく、母を看取って送り、息子・娘を巣立たせた。歌に「別れたる夫も」の語がある。

 海外旅行にも何度か出掛け、旅行詠を残している。

 以下に7首を引く。


足らぬものいつも捜しているように未完のカンバス幾つも並ぶ

シャッターを上げてひかりを入るるとき絵がいっせいに息づき始む

暮れなずむ梅田ビル街 中世のだまし絵の中まぎれ込みゆく

おはようの「う」の音高き秋の朝ヨーガ教室軽やかである

春に子は雲雀とならんいそいそと巣立ちの前の羽づくろいして

デイサービスに向かえる母はいそいそと青年の腕に護られ歩む

われの絵の下に並べる娘の花器を見せたき母はもう今はなく

2013年5月12日 (日)

遠藤たか子「水のうへ」

Cimg6967 遠藤たか子さんの第2歌集、「水のうへ」を読みおえる。

 砂子屋書房、2010年11月25日・刊。

 帯、432首。「かりん」「まひる野」「あんだんて」会員。

 著者は、福島県南相馬市原町区に在住で、福島第1原発に近く、原発への不安を多く詠んでいる。

 歌集発行の3ヶ月余りのちには、東日本大震災と原発災害に遭っている。原町区は、1部が警戒区域(現在も住民避難中)、多くが緊急避難区域に指定(現在は解除)された。

 原発への危機感と、息子さんたちの独立等の歌から、以下に8首を引く。

原発事故想定訓練二日目の冬陽うごかず刈田に染みて

地下室(シエルター)をもつ家ひそかにふえるまで古りし原発の故障はつづく

逃しやる小鳥のやうに子どもらを一人またひとり発たせて眠る

ひしひしと喪失の予感熄みがたき夜の白鳥座夏越えて冷ゆ

グラウンドゼロとなるかもしれぬわが町のどんぐり林のどんぐりかこれ

換気音はげしき建屋(たてや)に原子炉の安全説かるガラスを隔て

しばし目を瞑り数ふる原発に働くめぐりの幾人の顔

みぎ火発ひだり原発 早春の風の岬は波荒く寄す

2013年5月 9日 (木)

鈴江幸太郎「柘榴の家」

 「鈴江幸太郎全歌集」(初音書房、1981年・刊)より、4番めの歌集、「柘榴の家」を読みおえる。

 今年4月6日の記事(←リンクしてあり)で紹介した、「白夜」に継ぐ歌集である。

 原著は、1951年、高槻発行所・刊。420首。

 末子を得て、また療養園の歌会に参加するなど、人間味のある作品を読むことができる。

 以下に7首を引く。

(たたかひ)に子を失ひ窯(かま)を家を焼きくるしみて更に成りし工房

鳥が音のごとき短きみどり子のこゑに立ちゆく幾度(いくたび)となく

わが腕に眠りゆく子の笑ふとも見ゆればこゑに出でし嘆きか

工場とも事務とも孤立せる室にサイレンが鳴ればひとり晝餉す

瀬の音はさみしき音かひとりのみ酔ひて眠らむときにひびきて

怒りつつかくしづかなる我の言葉おのれ寂しむ齢(よはひ)となりぬ

杉山の空澄みあかり川原の温泉(いでゆ)にをれば月ものぼらむ

Phm02_0877
ダウンロード・フォト集より、森の1枚。

本文と無関係。

2013年5月 2日 (木)

狩野一男「悲しい滝」

Cimg6935 楽天ブックスの「ネオウィング」に注文していた、狩野一男・歌集「悲しい滝」が届き、先日に読みおえた。

 2012年、本阿弥書店・刊。

 4冊めの歌集、帯。385首。

 氏がクモ膜下出血を起こし、4度の脳外科手術を受けて、立ち直るさまと、岩手・宮城内陸地震、東日本大震災により罹災した氏夫妻の故里への愛情が、歌の源となっている。

 現実を見つめて詠い、おのずと悲痛とユーモアを醸す作品がある。

 以下に8首を引く。

退院後三百余日、再発を警戒しつつさくらに見(まみ)

クモ膜下出血を経てウツ病をわけもわからず直(ひた)走るかな

はつあきの夜の不覚の涙かな毛利ひいなの死をくやしみて

前頭葉、側頭葉にひびくかな春のいろんな風景の音

ありて無きごとき故郷となるなかれ妻の釜石われの栗原

惨状を目の当たりにし諦めがつきたるらしも泣きつつ妻は

古い深いうつくしいはた新しいやさしい強いわが東北は

いろんなるあの日の果ての今日にして思へば遠く来たり 老いたり


2013年5月 1日 (水)

大松達知「スクールナイト」

Cimg6928 大松達知(おおまつ・たつはる)氏が、「コスモス短歌会」F支部へ贈って下さった歌集のうち、第2歌集「スクールナイト」を読みおえる。

 2005年、柊書房・刊。

 帯、465首。29歳から33歳の作品。

 彼は高校生時代に短歌を詠み始め、中学・高校で英語を教えている。

 既婚であり、当時は子供さんをもたなかった(現在は、1子をもうけていられる)。

 そのような状況で、時に軽妙な詠みぶりに読まれながら、彼は文学(言葉、短歌)と人生の深部を探っているようだ。

 以下に7首を引く。

焼きそばをあと何度食ふ人生か 味濃かりけり母の焼きそば

あなたには(くつしたなどの干し方に)愛が足らぬと妻はときに言ふ

いつしんに砂地を掘りてゐる夢をおだやかなりし日の果てに見つ

お米おねがい 失踪前のメモのごとく妻の指令がくだされてゐる

われとわが父のジョークは似てゐるとふきげんなとき妻は言ふなり

私語ほども罪はなけれど不登校の生徒の親がひたに謝る

まじめにてやや鬱気味の生徒なりき うるせーばばーと言つて治りき

 

2013年4月29日 (月)

大松達知「フリカティブ」

Cimg6926
 事情があって、東京都・在住の歌人・大松達知(おおまつ・たつはる)氏が、僕を含め「コスモス短歌会」F支部へ、彼の第1歌集「フリカティブ」、第2歌集「スクールナイト」を贈ってくださった。

 彼は「コスモス」選者、「棧橋」同人、他。

 なお彼の第3歌集「アスタリスク」については、2009年5月13日の記事(←リンクしてあり)で既に、紹介している。

 「フリカティブ」について。

 2000年、柊書房・刊。25歳~29歳の作品、361首。

 帯・栞(3歌人による)。

 拙い感想を書くと、短歌において、生活において、大人(たいじん)の風格を見せる彼にも、こんな若い(しかし、しっかりしている)時代があったのだなあ、という感慨が湧くのである。

 以下に7首を引く。

待ち合せは例の公園 待たされていつもながめてゐたる噴水

自転車に足枷をするごとき朝 首輪をはづしやるごとき夕

考へごとして眠れずに妻ゐるを知りつつ全き個の闇に落つ

業務上偽(にせ)笑顔はた偽(にせ)激怒あればゆがめりいちにちの飢ゑ

疲れゐるわれに気づけり授業するわが声の高くなりゆくときに

掃除する妻はジグザグ怒りをりわたしは森となりてしのげり

つかれゐるからだの森にうづまきてしづみゆきたりジョン・コルトレーン

2013年4月25日 (木)

「歌壇」5月号

Cimg6913 先の4月18日の記事で買い入れを報せた、総合歌誌「歌壇」2013年5月号を読みおえる。

 ただし短歌作品がおもで、散文はあまり読んでいない。

 僕は短歌作品よりおもに学んで、歌論を読む事が少ない。僕の現代短歌入門は、「昭和萬葉集」全21巻だといえる。

 巻頭20首では、岡井隆「武蔵野と名古屋のあひだで」が感興深い。

 また研究者・歌人として活躍する、永田紅(ながた・こう)「いま二センチ」20首は胎児を描いて、生命の連鎖を思わせる。以下に1首を引く。

この子には祖父母の三人すでになし白黒写真のごと遠からむ

 胎児の祖父母(つまり夫婦の両親)を思わせ、また自分の祖父母(僕の生まれた時、父方の祖母はいなかった)を偲んでしまう。勝手な観賞である。

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