平成16年、角川書店・刊。
かりん叢書181篇、帯、490余首。
彼の父は沖縄戦で亡くなり、母は4人の子を育てあげて亡くなった。
沖縄を訪ね「平和の礎(いしじ)」等を巡る旅を繰り返す。また母への挽歌も多い。
戦争とその後遺の悲惨を生活で以って体験した彼は、平和主義の崩れてゆく日本、アフガニスタン戦争を怒る。生活詠に挟まれながら。
以下に7首を引く。
たんぽぽに似たる小花の咲き闌けていのちしぶとき地縛りを抜く
空襲に焼けただれなお無花果は乳(ち)垂るる実を恵みくれたり
髪刈られ痩身いよよ細まれり今年芽吹かぬ冬木立、母
沖縄の土となりたる魂魄の父に触るると五体投地す
夢の島、ベイエリアなどと呼び換えて都市のダスト・ボックス埋立地
ひどくひどく耳ざわりなる「空爆」を伝え冷静なこのバリトンは
USA、きみらはいつまでよその国を戦場にして踏みにじるのか
2007年、砂子屋書房・刊。
彼女は「未来」会員。
歌集は、近藤芳美氏への挽歌、「沙羅の花」1連16首より始まる。
子供が幼い時代から、下宿して家を出る頃まで、妻・母の立場に安住できない心情を歌に仕立ててきたようだ。
また短歌に写実ではなく、芸術性を求めているようで、詩性を強く感じさせる作品が多い。
以下に7首を引く。
青い薔薇誰に向かって咲いている初雪の便り届く日暮れに
再会の切なき夜に薄墨の桜散りゆく帰れなき時
雨の前の重き空気をまといつつ夕暮れに煮る無花果のジャム
茸飯炊きあがるころ夕映えて枯れ芝に子はボールを蹴りぬ
桃の香の流るる部屋に長く居る無口な子との満月の夜
柿の葉の玉虫色に輝くを君と見ており冬のはじめに
ついさっき魚をさばいた指先で君のメールに返信をせり
初音書房「鈴江幸太郎全歌集」(昭和56年・刊)より、3番めの歌集「白夜」を読みおえる。
原著は、昭和24年、高槻発行所・刊、594首。
鈴江幸太郎(1900~1981)が、のちの昭和28年に創刊・主宰した歌誌「林泉」の今がわからなくて、三省堂「現代短歌大事典」(2004年・刊)や角川「短歌年鑑2005年版」を調べても、載っていない。
しかしYahoo!で検索すると、「林泉短歌会」のホームページ(←リンクしてある)があり、月刊誌の発行など、活発に活動している。指導者の1部が、「新アララギ」の指導者と重なり、「新アララギ」系の地方誌と見て良いようだ。
「白夜」では、敗戦前後の困難な時期の、喜憂が詠まれている。
以下に6首を引く。
うちひびく川瀬の音にゆらゆらと螢火くだりその影も映ゆ
焼けあとのここにしろじろと浄き灰書物(しよもつ)の灰にわれはかがみぬ
清きもの戀ふるおもひに出でて來つ雪の散りくる川面(かはも)に飽かず
焼けしもの我の言はねば妻子らも我のまへにはいはぬにやあらむ
樹々のなか出でて明るきひろ池の丘の日向(ひなた)に山吹さきぬ
草のごと小さき檜苗(ひなへ)がかぎりなく吹かれてゐたりうす紅(くれなゐ)に
季節に合わせて。
総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)の、2013年4月号を読みおえる。
ただし散文で、読まなかった作も多い。
先の3月18日の記事に、当誌の購入と、「コスモス」4月号の到着を、報せてある。
柏崎驍二氏の「うたを磨く」が始まった。「第一回 形式を守る」である。応募作品の添削と解説、というスタイルである。
氏の指摘するもう1つの問題、若い歌人(歌会に出席するような)の少ない点をも、論じてほしかった。切実な問題だから。
特集は、「前登志夫没後五年――遥かなるコスモロジー」で、多くの歌人が寄稿している。彼の全歌集が出版されたという情報は、僕には入っていない。
付箋を貼った1首がある。「巻頭作品二十首」より、沖ななもさんの「翼もつもの」の、下記の作品である。
戦争を知らざるは幸 戦争をおこさぬは賢 師走八日の
師走8日は、太平洋戦争の勃発した日である。反戦を謳うのに、勇気が要る今となった。
結社歌誌「コスモス」2013年4月号を読みおえる。
ただし初めより「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地」など。
散文では、Fりかさん「展望 淡さを生み出すもの」、Kゆかりさん「日本語こぼれ話13 のんのさま」が興深かった。「のんのさま」に近い当地・方言に、「なんなはん」「まんまんちゃん(幼児語)」がある。
僕が付箋を貼ったのは、「その一集」特選のS美恵子さんの5首より、次の1首である。
道沿ひの冬のけやきの下に聴く梢の沈黙、瘤のつぶやき
短歌では、アマチュアにも(彼女はベテランだろうが)名作が生まれる場合がある、と伝える。この1首は気品があり、味わいがあり、名作である。
本文とは無関係。
総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)の、2013年3月号を読みおえる。
ただし散文で、読み通していない作が多い。
また「特集 アンソロジー二〇一二 テーマ別 私の一首 八〇〇氏」も1部人事テーマを除いて、読めなかった。
じっくり構えれば読めるかも知れないが、他の本を読めないし、次号の発売日も近づいている。
各歌壇の選者の方がたは、凄いなあ、と僕は思う。
4氏の「巻頭作品 二〇首」では、永田和宏「お母さん似」に惹かれた。以下に1首を引用する。
猫と娘とどちらが長く寝るのだろう見較べをりしがどちらも起きず
「第二十四回歌壇賞受賞第一作三十首」の服部真理子「雲雀、あるいは光の溺死」は、さすがに新しい。以下に1首を引く。
幻ではないのですから石鹸を取り落したらそれが死だから
言葉が既存の意味を失ってゆく、(バーチャル――仮想の意味を付与されている)とでも呼ぶしかない1首だろう。
「鈴江幸太郎全歌集」(1981年、初音書房・刊)より、第1歌集「海風」を読みおえる。
前の初期歌集「くろもじ」を紹介した、先の2月17日の記事より、間が空いた。
原著は、昭和18年、八雲書林・刊。
505首、アララギ叢書第104篇。
彼の事は、僕の蔵書の三省堂「現代短歌大事典」に、多くは載っていない。1900年~1981年。中村憲吉、土屋文明に師事。1953年、歌誌「林泉」を創刊・主宰。他。
「海風」では、母を亡くした娘を慈しむ歌に、戦前では珍しいと思える家庭的な面を感じた。
以下に6首を引く。
晩春(おそはる)の雨あとさむき峡(かひ)の家ひとつ炬燵によらしめたまふ
うづたかく雪積むかげに燈(ひ)ともせる除雪人夫ら夜もすがらなる
部屋ごとに晝臥(こや)りゐる人みれば寂しき谷の湯宿に来つる
柩あけてなげかざらめや埋花(うめはな)のかくめる妻の顔は浄(きよ)らに
この夜半(よは)も眠りながらにすすり泣く幼兒は何を夢見るならむ
じりじりと時の来向(きむか)ふうつつにもけふ来てあそぶ磯の上の園(その)
本文とは、無関係。
結社誌「コスモス」2013年3月号を読みおえる。
初めより「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地 96」など。
今号は、「創刊60周年第一記念号」という事で、特別な記事や、特別作品の欄がある。それらも、ほぼ読みおえる。
僕が付箋を貼ったのは、次の2首である。「その一集」特選欄の東京・T英夫さんの痛哭である(94ページ下段)。
老兵はひとり寂しむ生(せい)かけし貿易立国かたむくさまを
わが長き単身赴任を語るたび妻は涙すいまも恨みて
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