カテゴリ「歌書」の467件の記事 Feed

2012年7月14日 (土)

三國玲子「蓮歩」

 短歌新聞社「三國玲子全歌集」(平成17年・再版)より、4番めの歌集「蓮歩」を読みおえる。

 原著は、昭和53年、角川書店・刊。461首。

 46歳~54歳頃の作品と思われる。

 家庭は平穏(子供には恵まれなかったが)、仕事は出版社の書籍編集と、充実した時期の作品である。もっとも、歌集発行年7月には、会社を退職している。

 この頃より、短歌欄選者、短歌通信添削、短歌会講師、などの担当が多くなってゆく。

 以下に6首を引く。

労働の酬いさびしと歩廊より仰ぐ堤はれんげうの季

蔭の力むくはれたりとパーティのいよよ華やぐときに罷りきぬ

久しかる自立の希ひ遂げたりと思ひしときに老は迫りぬ

行きてまた孤立せむとすれんげうの黄のたなびきは朝光のなか

遊ぶこと拙きわれは重き扉をひらきて夜の潮の香を浴ぶ

卯月早や熱き舗道にいでて来つ本編む仕事けふはもの憂く

2012年7月 7日 (土)

樋口覚「短歌博物誌」

Cimg6184 短歌の先輩、竹の子さん(ブログ「竹の子日記」を運営。このブログのリンク集にあり)に勧められて、2007年6月2日に取寄せた(記事あり)、樋口覚(ひぐち・さとる)「短歌博物誌」を読みおえる。

 文春新書、2007年4月20日・刊。

 発刊より5年を経て、僕が成熟したのか、本が本性を現したのか。

 生き物を詠んだ短歌を集めて、1冊の博物誌を成した労は、多とする。

 ただし博学ではない僕が、納得できない箇所があり、貼った付箋は8枚になる。

 45ページに「近年 愛玩動物としての首位の座を確立した猫…」とあるが、その根拠を知りたい。愛玩動物としても、最近の日本では犬が首位の気がする。

 53ページに「馬が近代だとすると牛は古代である。」と述べる。その断定の根拠を僕は知りたい。牛は牛乳と牛肉によって、現代的でさえある。

 167ページで中原中也の詩「サーカス」のオノマトペを「ゆぁーんゆょーよーんゆやゆよん」としているが、正しくは「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」である。

 237ページで「現代の藤原定家といわれた塚本邦雄…」とあるが、僕は不明にしてそう書かれた文章を知らない。春日井建が三島由紀夫より「現代の藤原定家」と書かれた事は知っているけれども。

 僕は何も、彼が間違っていると書くのではない。彼ほど博学ではない僕らにも、彼の著述を信頼できるよう、その根拠、典拠を示しつつ述べてもらいたいのである。

 僕がその根拠、典拠を確認しなくても、確認が可能である事に拠って、著述の正しさは保障されるだろう。

2012年7月 3日 (火)

三國玲子「噴水時計」

 三國玲子(1924~1987)の全歌集(2005年、短歌新聞社・刊)より、第3歌集「噴水時計」を読みおえる。

 先の6月18日の記事、第2歌集「花前線」読了に続くものである。

 原著は1970年、短歌新聞社・刊。

 これらの短歌が詠まれた1966年~1970年の間に、彼女は歌人として、「ベトナムに平和! 歌人の集い」事務局員、合同歌集「平和への希求」(短歌新聞社・刊)編集委員として活動したが、それらを作品化したのかどうか、歌集には収められていない。

 母と、歌友二人が亡くなり、それらは作品化された。また洋裁を止め、市街地の高層アパートへ転居し、都心の出版社に勤めた。

 「あとがき」で彼女は、「皮相な新しさよりも内部の深化をと心がけてきましたし、…」と述べている。

 以下に6首を引く。

空濁る方に帰らむ紅梅の咲き照る下も寒くなりたり

ものぐらき土間に刃物を打つ火花さやかなりしかわが父祖の家

俊敏なるけものの如く過ぎゆきし児らの裸身はまぶしかりにき

年古りし門扉も凍てて籠る日にたはけし神話読めばたのしき

遺されし者かぎりなくあはれなれど急ぎ帰らなむ常のくらしに

移り来し高層のわが窓のへに朝はしきりに鳩の影動く

Phm10_0103
ダウンロード・フォト集より、野草の花の写真。

本文と無関係。

2012年7月 1日 (日)

「歌壇」7月号

Cimg6173 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2012年7月号を読む。

 特集の「斎藤史没後十年」は、8氏が見開き2ページの追慕の文章を載せて、意義あるものである。

 また「追悼 安永蕗子」では、久々湊盈子氏はじめ3氏が、見開き2ページの追悼文を寄せている。

 巻頭20首4編のうち、岡井隆氏の「揚羽蝶、産卵以後の日々に」にとくに惹かれた。

  読むつもりで買ひ込んだ本いつのまにか消えて行くほかの本に食はれて

 第1首めだが、蔵書には普通でない事態が起こる。僕の場合は、蔵書が生殖して増えて行く感じだけれども。

2012年6月23日 (土)

4冊を買う

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 今日午前、久しぶりに書店「Super KaBoS ワッセ店」へ行き、4冊の本を買った。

 まずは毎月買っている、「歌壇」(本阿弥書店)7月号である。毎月16日くらいに発売なので、今回は僕が少し遅れた。

 Word関係で良い本があったら、と思っていたので、朝日新聞出版の「ワード2010で困ったときに開く本」を買った。同社の「パソコンで困ったときに開く本 Office 2010」、インプレスジャパン「できるWord2010」も既にあるのだが、関心のある肝心な所がわからなかった為め。

 文庫本2冊は、同店内の古書店で100円均一ワゴンセールより買った。

 吉田絃二郎「小鳥の来る日」(新潮文庫、1996年)は、往時の流行作家の感想集である。

 もう1冊は、井上荒野の小説「グラジオラスの耳」(光文社文庫、2008年3刷)である。


2012年6月22日 (金)

河西治枝「リテラ・ポプリ」

Cimg6135 河西治枝さんの第1歌集、「リテラ・ポプリ」を読みおえる。

 2003年、砂子屋書房・刊。

 初め「宇宙風」に属したが、カルチュアセンターで岡井隆の添削と講義を受けるようになり、「未来」へ移った。

 また投稿を大きな軸として、詠んでいくと「あとがき」にある。岡井隆の跋文「『リテラ・ポプリ」』の著者に」を載せる。

 題名は、「ポプラからの手紙」の意味とある。

 息子さんの住む北海道を始め国内の旅行、多くの海外への旅行で、詠まれた短歌が多い。

 文法と叙述が、押さえられていない作品もある。

 ともあれ、歌集を上梓するまでの、短歌への情熱は、讃えられてよい。

 以下に7首を引く。

天よりの白き伝言携えて定家かずらは返り咲きたり

鯵鰯銀鱗泳ぎ床下のガラスに映る客人(まろうど)に飽かず

タンバリン打ち鳴らしつつ行進すポプラ並木に白昼夢みる

雁来紅(かまつか)の緋の色みれば行きどまりの思いわずかにほどけゆくなり

あの世でもおみななれかしたらちねの母にふうわり小袖掛けたり

漁火の波にゆらぐを遠々に春呼ぶ螢と漁夫は言いたり

ファゴットはアンダンテなり<トウオネラの白鳥>ひとりシベリウスを聴く

2012年6月18日 (月)

三國玲子「花前線」

 短歌新聞社「三國玲子全歌集」(平成17年・刊)より、2番めの歌集「花前線」を読みおえる。

 原著は、昭和40年、新星書房・刊。

 なお本・全歌集は、1ページ12行組で、やや読みにくいが、余韻は少し味わえる。また「巻末記」にあるように、没後17年の刊行で、真摯な作品は支持され続けている。

 この歌集の作歌時期は、第1歌集「空を指す枝」で「第2回新歌人会賞」受賞、十月会・入会、「一路」会員のN久雄と結婚、青年歌人会議・参加、また60年反安保闘争に加わるなど、人生の高揚期だったようだ。

 以下に5首を引く。

めぐりあはむ一人のために明日ありと紅き木の実のイヤリング買ふ

奪はるるのみの愛情もよしとする今の心の長くつづけよ

かち得しと思ふ涙よ父母の言葉を今朝は伝へむとして

長身にオーバー厚くいでてゆき何を贖ふ夫の病か

翔らざる心を悼み筋深き双手ねんごろに湯に浸しゐつ

2012年6月11日 (月)

三國玲子「空を指す枝」

Cimg6091 「三國玲子全歌集」を読み始める。

 短歌新聞社、2005年・刊。

 7歌集、略年譜、初句索引、等を収める。

 写真は、箱の表。かつての僕の保存が悪く、くすんでいる。

 他の全歌集より先に読み始めたのは、三國玲子(1924~1987)が、63歳で自死という悲劇的な最期を遂げたからだろうか。

 彼女は戦後より、アララギ系の「潮汐」(鹿児島寿蔵・主宰)で活動してきた。その廃刊後は「求青」の編集人となった。

 第1歌集「空を指す枝」(1954年、白玉書房・刊)は、出版が前衛派の最盛期の頃であったため、対比的意味合いからアララギ写実系出の新人として迎えられた、とある。

 若さの過ぎゆく時期の動揺と自負を詠って、当時の女性に受け入れられたのだろう。

 以下に6首を引く。

うづくまるわが片頬に光さし自負の心のたかまらむとす

誤解され易きわが性を折ふしに庇ひくれし友も遠く嫁(ゆ)きたり

芸術家の父もつ故のかなしみも誇も知りぬ幼き日より

なほ長く若き月日のある如く髪を短く切りて貰ひぬ

ささくれし唇乾き目覚むれば薫らぬ花のごとく侘しき

残雪の斜面を照らす夕映えに地下よりいづる車内あかるむ

2012年6月 4日 (月)

永井陽子「小さなヴァイオリンが欲しくて」

Cimg6074 青幻舎「永井陽子全歌集」(2005年・刊、写真はその表紙)より、最後の歌集「小さなヴァイオリンが欲しくて」を読みおえる。

 原著は、2000年、砂子屋書房・刊。

 592首、高瀬一誌・解説。

 彼女は、父50歳、母40歳の、次女として、1951年に生まれた。22歳で父を亡くし、41歳ころに母を送った。

 2000年、48歳の若さで亡くなった。生涯、独身であった。

 「小さなヴァイオリンが欲しくて」」は、没後に刊行された遺歌集である。

 この歌集も、全歌集も、生前の友人の篤い努力によって、刊行されたと聞く。

 以下に6首を引く。

無造作に右へ右へとよぢれゆく風を見しかな疲れたる目は

死して行く宙とはいづこ飛行機の大きな銀の腹を見上ぐる

今はもうかの樟のみが記憶する喪服のわたし二十歳のわたし

癪の種拾ひ集めてベランダのプランターにぞ蒔かむとおもふ

こころより外れし箍がかげろふのもえたつ坂をころがりゆけり

死ぬ前にいまひとたびをかぎりなく美しきもの見たしと思ふ

2012年5月30日 (水)

「歌壇」6月号

Cimg6053 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2012―6月号を読みおえる。

 小島ゆかり氏による岡野弘彦氏へのインタビュー「歌は世につれ情(よ)はうたにつれ」の第2回、「私の学生時代」は興味深かった。

 皇學館大學より国学院大学へ移った岡野氏の、短歌の状況、寄宿舎での様子、学徒出陣式・前後の折口信夫の言動、工場へ学徒動員での様子、みな僕には初めての話だった。

 小塩卓也(おしお・たくや)氏と、星野恒彦(ほしの・つねひこ)氏による、特別対談「海外日系人の短歌と俳句」も興味深く読み通した。

 歌誌「コスモス」での、海外より出詠される作品に、心惹かれる事があるからである。おもにブラジル、アメリカ等での活動が多く、語られたようだ。

 「コスモス」では、カナダでの活動が盛んなようである。

 学生、日本語を学ぶ外国人からも、コンテストへの参加があるようで、頼もしい。

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