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2010年8月の29件の記事

2010年8月10日 (火)

木槿2種

001_2 004_2  庭で木槿の花が咲いている。

 7月29日の記事で紹介した、赤花一重、白花八重のほかに、2種が咲く。

 左の写真は、赤紫色の八重(花笠咲きと呼ぶらしい)の花である。

 酷熱のあとの雨に咲いたので、小ぶりである。

 右の写真は、白一重の花で、清しい。雨あとなので、花に水滴がたくさん付いている。

2010年8月 9日 (月)

広部英一「畝間」

001  広部英一・詩集「畝間」を読みおえる。

 2003年、思潮社・刊。

 先の土曜日に、詩誌「群青」同人の4人が、「喫茶コケッティ」で会ったとき、前もってこぐま星座さんに頼んでおき、借りた詩集3冊のうちの、1冊である。

 「畝間」は、著者生前の最後の詩集である。

 それ以前の全詩集ともいうべき形で、思潮社の現代詩文庫で、「広部英一詩集」が出ており、それで再読も含めて、詩業を読ませてもらっていた。

 この「畝間」の63編の詩はすべて、1連5行の2連で構成され、しかも各編の詩は1行の字数が揃えられている。

 「あとがき」で著者は、「気紛れな遊び心が起きたからかもしれません」と述べている。

 僕は、この形式へのアイデアや努力に、賛同致しかねる。

 内容は、第1詩集「木の船」以来というか、亡き人の魂との交流である。早世した母親や詩の同志との、彼岸此岸を往き来する交流は、詩人の魂のなかで繁かったのだろう。

 「キャッチボール」の、初めの連を引用する。

物干し場にいたら空から飛来したかれが肩に留まった

様子を聞いたら今日も混雑しているよとかれはいった

何の日と尋ねたら日日命日だと返事はそっけなかった

太陽は真上で物干し場には布団や毛布が干してあった

裏通りをわらびもちを売る車がゆっくりと通り過ぎた

2010年8月 8日 (日)

オリガ・クニッペル「夫 チェーホフ」

001  オリガ・クニッペル「夫 チェーホフ」を読みおえる。

 1979年、麦秋社・刊。

 小型本で、箱入り、本体にパラフィン紙カバーと、瀟洒な造りの本である。

 チェーホフの妻であり、女優だった、オリガ・クニッペルの回想記、臨終を看取った記録、亡き夫への手紙、3種の文章を収める。

 その中で、度々の別居なども、チェーホフも望んだ事で、夫婦仲は悪くなかったと、述べている。

 「チェーホフ全集」(全何巻なのか、いま確認できない)の第9巻の巻頭、「妻」という短編小説で、この全集の読書も止まっているが、この中の知識人同士の夫婦(実際は、芸術家同士の夫婦)の、不一致による惑乱が、庶民には白々しくて、共感できなかった。

 チェーホフ夫妻にも、つよい葛藤のあったことは、想像される。

 

2010年8月 7日 (土)

詩誌「果実」63号

001  福井県に在住の詩人、K不二夫さんが、同人詩誌「果実」63号を送って下さった。

 平成22年8月、「果実の会」発行。

 「果実」は、福井県内の教師と教師OBが同人の詩誌である。

 T篤朗さんの「電信柱」をはじめとする、5編が優れていると思われる。心の純粋さが表れて、清々しい。

 W本爾さんの「風薫る」をはじめとする3編は、レトリック豊かに少年少女を描いているが、やや軽い。その軽みも、作者の狙いか。

 K不二夫さんの「痕跡」は、生きたという痕跡を残したい、という切実な願いを表現した。

2010年8月 6日 (金)

前川明人「空間」

002  長崎県に在住の歌人、前川明人さんの歌集「空間」を読みおえる。

 2002年、六法出版社・刊。

 著者は、「未来」「幻桃」所属。

 「空間」は彼の、「明るい驟雨」「褐色山脈」「黄砂の周囲」に続く、第4歌集である。

 著者は、長崎被爆を体験していて、被爆の語り部や反戦の活動を詠う歌も散見される。

 戦争体験や、戦後事情の風化などの体験から、狷介な心情を持つようで、一風変わった詠いぶりの作品もある。

 以下に6首を引く。

戦国の世に生きあらば磔の空より見たき蒼穹の果て

両手にてしかと握りし捧銃(ささげつつ)なにを希いて青春ありき

騎馬戦にわれの帽子を摑みたる男が空中戦で散りたり

手を離れ大空を舞う竹トンボ失速するまで茜見ていよ

たたみたる日傘を木蔭の石に置く妻の仕草の少し老いたり

くす玉の中より出でし鳩たちが五彩の紙片をけ散らして去る

2010年8月 5日 (木)

「新訂 閑吟集」

003  「新訂 閑吟集」を読みおえる。

 岩波文庫、編者・不明、浅野建二・校注、1989年・刊。

 中世の隠者が、当時の小歌311首(数は、「詩経」の詩の数と合わせてある)を集成し、序文を付したもの。

 歌謡は上下層(良し悪しを言うのではない)に別れゆき、一方では八代集の短歌のようにレトリックが洗練されてゆき、一方では小歌などとなって庶民の真の心情を詠うようになる。

 全体の3分の2が恋歌とされ、恋の情の諸相が詠われる。

 昔も今も、人の情は変わらないなあ、と僕は思った。

 今の僕の作歌には、あまり助けにならない。

2010年8月 4日 (水)

ハマナスと百日紅

002 004  庭で夏の花が咲いている。

 左の写真は、ハマナスの花である。

 妻が知人から貰って来た苗を、僕が庭に植えて、たちまち(と言っても、10年くらい経ったか)、大株になった。

 右の写真は、百日紅(普通種)の花である。

 世話をしていないが、今夏が猛暑のせいか、例年より花が多いようだ。

2010年8月 3日 (火)

西山泊雲「泊雲句集」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第1巻(昭和56年・刊)より、15番めの句集、西山泊雲「泊雲句集」を読みおえる。

 原著は、昭和9年、巧芸社・刊。

 解説に「一時は『ホトトギス』雑詠の巻頭を独占して、泊雲時代と称された」とあるが、さほどとも僕には思われない。

 また1,000句近い句が季語ごとに並べられ、各句末に制作年が付され、とても読みにくい。

 敗戦前が限界の句集だったのだろう。著者本人も、昭和19年に亡くなっている。

 以下に、5句を引く。

白酒をこぼしてのめる鼠かな

花種を蒔く古妻や児等左右

兄弟や地虫の穴にうづくまり

くらがりに筧の音す良夜かな

池の面の日かげ日向や散る柳

2010年8月 1日 (日)

コレット「シェリ」他

 午後に「BOOK OFF 米松店」へ行く。

 夏休みにはいったので、涼みがてらの少年少女が多いかと思ったが、さにあらず。

 昔の文学少年、文学少女らしき人が、数人いたのみだった。

 文庫本を4冊買ったので、以下に列挙する。

  • コレット「シェリ」岩波文庫、1994年・刊
  • プーシキン「スペードの女王・ベールキン物語」岩波文庫、1993年32刷
  • 檀ふみ「ありがとうございません」幻冬舎文庫、2001年3版
  • 檀ふみ「父の縁側、私の書斎」新潮文庫、2008年5刷

 この他にもほしい文庫本があったが、小遣い予算の関係と、いつ読めるかわからないので、買わないで帰った。

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