2003年、思潮社・刊。
先の土曜日に、詩誌「群青」同人の4人が、「喫茶コケッティ」で会ったとき、前もってこぐま星座さんに頼んでおき、借りた詩集3冊のうちの、1冊である。
「畝間」は、著者生前の最後の詩集である。
それ以前の全詩集ともいうべき形で、思潮社の現代詩文庫で、「広部英一詩集」が出ており、それで再読も含めて、詩業を読ませてもらっていた。
この「畝間」の63編の詩はすべて、1連5行の2連で構成され、しかも各編の詩は1行の字数が揃えられている。
「あとがき」で著者は、「気紛れな遊び心が起きたからかもしれません」と述べている。
僕は、この形式へのアイデアや努力に、賛同致しかねる。
内容は、第1詩集「木の船」以来というか、亡き人の魂との交流である。早世した母親や詩の同志との、彼岸此岸を往き来する交流は、詩人の魂のなかで繁かったのだろう。
「キャッチボール」の、初めの連を引用する。
物干し場にいたら空から飛来したかれが肩に留まった
様子を聞いたら今日も混雑しているよとかれはいった
何の日と尋ねたら日日命日だと返事はそっけなかった
太陽は真上で物干し場には布団や毛布が干してあった
裏通りをわらびもちを売る車がゆっくりと通り過ぎた
1979年、麦秋社・刊。
小型本で、箱入り、本体にパラフィン紙カバーと、瀟洒な造りの本である。
チェーホフの妻であり、女優だった、オリガ・クニッペルの回想記、臨終を看取った記録、亡き夫への手紙、3種の文章を収める。
その中で、度々の別居なども、チェーホフも望んだ事で、夫婦仲は悪くなかったと、述べている。
「チェーホフ全集」(全何巻なのか、いま確認できない)の第9巻の巻頭、「妻」という短編小説で、この全集の読書も止まっているが、この中の知識人同士の夫婦(実際は、芸術家同士の夫婦)の、不一致による惑乱が、庶民には白々しくて、共感できなかった。
チェーホフ夫妻にも、つよい葛藤のあったことは、想像される。
長崎県に在住の歌人、前川明人さんの歌集「空間」を読みおえる。
2002年、六法出版社・刊。
著者は、「未来」「幻桃」所属。
「空間」は彼の、「明るい驟雨」「褐色山脈」「黄砂の周囲」に続く、第4歌集である。
著者は、長崎被爆を体験していて、被爆の語り部や反戦の活動を詠う歌も散見される。
戦争体験や、戦後事情の風化などの体験から、狷介な心情を持つようで、一風変わった詠いぶりの作品もある。
以下に6首を引く。
戦国の世に生きあらば磔の空より見たき蒼穹の果て
両手にてしかと握りし捧銃(ささげつつ)なにを希いて青春ありき
騎馬戦にわれの帽子を摑みたる男が空中戦で散りたり
手を離れ大空を舞う竹トンボ失速するまで茜見ていよ
たたみたる日傘を木蔭の石に置く妻の仕草の少し老いたり
くす玉の中より出でし鳩たちが五彩の紙片をけ散らして去る
角川書店「増補 現代俳句大系」第1巻(昭和56年・刊)より、15番めの句集、西山泊雲「泊雲句集」を読みおえる。
原著は、昭和9年、巧芸社・刊。
解説に「一時は『ホトトギス』雑詠の巻頭を独占して、泊雲時代と称された」とあるが、さほどとも僕には思われない。
また1,000句近い句が季語ごとに並べられ、各句末に制作年が付され、とても読みにくい。
敗戦前が限界の句集だったのだろう。著者本人も、昭和19年に亡くなっている。
以下に、5句を引く。
白酒をこぼしてのめる鼠かな
花種を蒔く古妻や児等左右
兄弟や地虫の穴にうづくまり
くらがりに筧の音す良夜かな
池の面の日かげ日向や散る柳
午後に「BOOK OFF 米松店」へ行く。
夏休みにはいったので、涼みがてらの少年少女が多いかと思ったが、さにあらず。
昔の文学少年、文学少女らしき人が、数人いたのみだった。
文庫本を4冊買ったので、以下に列挙する。
この他にもほしい文庫本があったが、小遣い予算の関係と、いつ読めるかわからないので、買わないで帰った。
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