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2012年11月の28件の記事

2012年11月30日 (金)

京極杞陽「くくたち 上巻」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第5巻(昭和56年・刊)より、10番めの句集、京極杞陽「くくたち 上巻」を読みおえる。

 原著は、昭和21年、菁柿堂・刊。

 高浜虚子の序文、322句、後記を収める。

 この上巻には、昭和11年~16年の句を収める。

 俳句に素人の僕が読んでも、稚拙な作が多い。戦後すぐに、非戦だった句を集めようとすると、致し方のない事だったか。彼はまた欧米漫遊の経験があり、土地の名家で生活の苦労がなかったのかも知れない。

 以下に5句を引く。

美しく木の芽の如くつつましく

青天に音を消したる雪崩かな

白靴を穿いて歩きしアメリカよ

老犬の如くにわれも日向ぼこ

簡単な食事ストーブ蓄音機

Phm10_0120
ダウンロード・フォト集より、野の花の1枚。

本文とは無関係。

2012年11月29日 (木)

石原吉郎「禮節」

 花神社「石原吉郎全詩集」(1976年・刊)より、5番めの「禮節」を読みおえる。

 原著は、1974年、サンリオ出版・刊。

 先の11月19日に紹介した、「水準原点」に続く詩集である。

 冒頭の作品「断念」には、シベリア抑留時代の考えと、日本での生活の考えを、切り離そうとするようだ。初めと終わりを引くと、次のようである。

この日 馬は

蹄鉄を終る

あるいは蹄鉄が馬を。

  (中略)

馬は脚をあげる

蹄鉄は砂上にのこる

 「犯罪」では、言葉の意味やイメージから、語感の詩へ移る、と宣しているようだ。初めの3行のみ引く。

音楽であるために

かくもながい懲罰を

必要とした

  (後略)

 「闇と比喩」では、彼の詩の出発が、戦後詩の主流であった、比喩に比喩を重ねるような手法を、採らなかった理由を示すようだ。末尾の4行を引く。

  (前略)

比喩とはならぬ

過剰なものを

闇のかたちへ

追い立てながら

 このあと彼は、後期の「北條」「足利」の詩集へ、移って行く。

2012年11月28日 (水)

エッセイ集「最高の贈り物」

Cimg6611 日本エッセイスト・クラブ・編「’98年版ベスト・エッセイ集 最高の贈り物」を読みおえる。

 文春文庫、2001年・2刷。

 先の11月14日の記事で紹介した、「’97年版 司馬サンの大阪弁」に継ぐ本である。

 小学4年生の女の子、主婦から作家、大学教授たちによる62編のエッセイを収める。’97年中に発行された紙誌に掲載の作品より選ばれた。

 主婦・前川ひろ子さんの「五十六の美容整形」は、1重だった右目蓋を、五十六歳になって念願叶い(独断独行で)2重に美容整形し、成功するが、夫も親友も関心を示さない、というオチが付く。

 サイエンス・ライター・柳澤圭子さんの「生と死が創るもの」では、冒頭に惹かれた。「自分の実験結果を論文として発表するときは非常に不安なものである。」と始まる。

 その気持ちは、よくわかる。僕でもブログ記事を書いて、一返で済む事は少ない。確認欄より戻ったり、1度アップした記事を書き直したりしている。

 先の11月25日の記事で、花びらのフリル風を、フレアーと書きそうになった。また同じ記事で「そば枕」と書いたが、「そばがら枕」が正しく、のちに書き直しておいた。

 文筆の事は、やり直しが利いて佳い。

2012年11月27日 (火)

川辺古一「駅家」

Cimg6604 川辺古一(かわべ・こいち、1926~)氏の第3歌集、「駅家(えきや)」を読みおえる。

 1977年、伊麻書房・刊。

 宮柊二・題簽、箱、本体にパラフィン紙カバー。

 1966年(40歳)~1974年(48歳)の作品より、724首を収める。

 氏は、1945年「多磨」入会、1953年「コスモス」創刊に参加。宮柊二への敬愛が篤かった。

 自然を詠んだ歌が多いが、その中に自己・他者を押し出して、純粋な自然詠にならない。例えば「素枯れたる林の中に頸伸ばし雉一羽いまわが方を見る」のように。

 以下に6首を引く。

これ以上乾く筈なき枯草に風音こもる昼間を歩む

山上の墓前に妻が供へたる牛乳壜に夕陽は当る

いきいきとわれを見給ふ神護寺の虚空菩薩の腕太しも

自動車の風圧の音いさぎよし校正終へて帰る夜道に

汗ひきてゆくを待ちつつ立ちをれば山畑の紫蘇焼く匂ひする

会議故今日も遅しと告げしとき妻よりも子は寂しき顔す

 

2012年11月26日 (月)

「歌壇」12月号

Cimg6602 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2012年12月号を読みおえる。

 短歌作品をおもに読み、散文では飛ばした作も多い。

 巻頭20首では、俵万智「秋の入り口」が懐かしい。僕は「俵万智・以後」に作歌を始めた者だから。

 特集は、「身体感覚の短歌」であるが、観念的である。「仕事は体で覚えよ」と言われて覚えた、作業の身体感覚や、老いの不自由な手足が論じられていない。

 田中槐さんの年間時評は、「震災後一年と短歌のこれから」と題する。まっとうな感覚である。

 また12月号という事で、幾つかの連載がおわる。武下奈々子さんの「働く女性たちの風景」を始め、惜しい事である。

2012年11月25日 (日)

ミニ・シクラメン、他

 今日午後、車で出掛けて、わずかな買い物をした。

 まずJAのSスタンドで、

①ガソリン、48,3リッター。

 僕はセルフ給油をした事がないので。

 ホームセンター「みった みゆき店」にて、3品を買う。

②白花ミニ・シクラメン、1鉢。

 近頃のシクラメンには、花びらがフリルのように波うつ品種がある。莟が幾つかあるが、咲かせられるかどうか。正月まで保つかどうかも、わからない。

③そばがら枕。

 細いビニール・パイプを短く切ったものを詰めた枕をほしかったのだけれど、棚に置いてなかった。消耗品的に、廉価なものを短期で取り替えよ、という事か。

④年賀状・干支柄スタンプ。

 年賀状に、干支のスタンプを押すようにしているので。早めに買わないと、気に入るデザインのものがなくなる。気づかなかったのだが、「インク不要、300回押印可」とあり、試しに押してみると、朱色で良かった。

Imgp0013
②で書いた、白花ミニ・シクラメン。

内玄関の靴棚の上で。

2012年11月24日 (土)

「群青の会」会合

 今日午前9時より、同人詩誌「群青」の発行母体、「群青の会」のメンバーが、喫茶店「K」に集まった。

 メンバーといっても、僕、こぐま星座さん、AUさんの3名である。

 まず先だって、こぐま星座さんが県文学コンクールの小説部門で知事賞(第1位)を受賞したので、AUさんと僕から、わずかながらお祝いを差し上げた。

 彼は、受賞作品集を見せてくれた。ただし受賞作品は、既にパソコン稿を郵送してもらっているので、内容を知っている。詩の受賞作品を含め、意見を述べ合った。

 僕は詩誌「群青」25号の反響を述べ、また送られた「木立ち」「果実」「角」「青磁」各誌をふたりに見せ、ほとんどを読んでもらった。

 AUさんが「群青」25号を県外の詩人に送ったところ、反響は良く、AUさんの詩「バネ」が好評だったとのこと。

 今日はそのあと、自分の詩作の信念をおもにめぐって、深くまで入る話をかわした。今後の詩作に、その事が表れるかも知れない。

 各自1杯で2時間も粘って、11時に散会した。「K」のママさん、ありがとう。

Phm10_0516
ダウンロード・フォト集より、湖の1枚。

本文とは無関係。

2012年11月23日 (金)

「中勘助全集」書簡篇

Cimg6598 書店「Super KaBoS ワッセ店」内の古書店で、「中勘助全集」(全17巻)の書簡篇(第15、16、17巻)を買った。

 岩波書店、1991年頃・刊。箱、月報あり。

 写真は3冊の箱の背である。

 その棚には、この全集の途中(小品・随筆篇より)からしかなく、第14巻は詩歌篇だった。

 しばらく前から気になっていて、今日午前、書簡篇3冊揃いを買った。

 彼の小説は、有名な「銀の匙」を含め、1冊も読んでいない。

 しかし岩波書店の「中勘助 小説・随筆 <復刊>7冊」より、「銀の匙」を含む5冊を所蔵している。

 また岩波文庫の「中勘助詩集」を読んでいる。

 それで書簡篇を買っても、そんなに不義理ではないと思う。

 第17巻の末尾に、中勘助宛山田又吉書簡、補遺、年譜、総目索引、他を収めている。

2012年11月22日 (木)

「リルケ全集」第5巻

Cimg6596_2
 彌生書房「リルケ全集」(全7巻)の、第5巻「美術論・エッセイ」を、昨夜に読みおえた。

 昭和48年・初版。箱、箱に紙カバー、月報あり。

 このブログの管理画面で調べてみると、第4巻の読了記事が、2011年11月11日にあり、第5巻を読むのに1年余りかかってしまった。

 ちなみにそれ以前の巻の読了記事は、第1巻・2008年12月24日、第2巻・2010年4月7日、第3巻・2010年6月13日に、アップしてある。

 第5巻になぜそれほど月日がかかったかと言えば、美術評論(今は名の残っていない画家が多い)が好きではないからである。ただし今となっては、著名なロダン論2編によって、ロダンの彫刻を嫌いではなくなった(作品の写真を通してのみ)。

 さて次の第6巻は、書簡集である。

 今年8月23日の記事で購入を報告した、国文社・版の「リルケ書簡集」全4冊があるので、そちらを読みたい。

 そのあと、第7巻「日記(236ページ)、リルケの生涯(伝記ではなく、多くの知友の短い回想を集めたもの)、年譜」に戻りたい。

 

2012年11月21日 (水)

「コスモス」12月号

 僕の属する短歌結社・誌「コスモス」の、2012年12月号を読みおえる。

 ただし例により、初めから「その一集」特選欄まで(35ページまで)と、「COSMOS集」(その二集、あすなろ集の、特選欄—5首掲載、まれに6首—。7ページ)、「新・扇状地」(15首ずつ、2名)、他である。

 今号で僕が付箋を貼ったのは、「月集 シリウス」の、A道夫さん(大阪)の4首(23ページ上段)より、次の作品である。

夜の蟬が「爺イ」と鳴きて声絶てりこの捨て台詞きき流すべし

 瞬時の事柄と心理を、短歌にドラマ化するには、力量が要る。

 啄木の短歌を思い出す。啄木は小説家を目指した事があるから、このような場合の機微を捉えて作品化する事は、うまかったと僕は思う。

Phm02_0312
ダウンロード・フォト集より、原題Autumnal Leavesの1枚。

本文とは無関係。

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