庭で椿の花が咲いている。雪が止むまで待ったので、花が傷んでいる。
左の写真は、「西王母」(せいおうぼ)。淡桃色の一重筒咲き、中輪で可愛らしい。
右の写真は、「太神楽」(だいかぐら)。斑入りの牡丹~獅子咲きで、ダイナミックな花である。
近頃、2冊の本が届いた。
1冊は、稲木信夫さん(「福井県詩人懇話会」元・事務局長、「福井詩人会議・水脈」代表)の評論集「詩人中野鈴子を追う」である。
彼の中野鈴子論の著作も、3冊めとなる。2014年3月、コールサック社・刊。
もう1冊は、村上春樹へのインタビュー集、「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」(2012年、文春文庫)である。Amazonより、新本を取り寄せた。
僕はすでに、2010年10月18日の記事(←リンクしてある)で、単行本を紹介している。彼の本の読解だけでなく、創作にも役立つかと、文庫本を(単行本は処分したので)買った。
時どきページを繰って、頼りにしたい。彼は既に、これらの境地から出ているかも知れないが。
角川書店「増補 現代俳句大系」第8巻(1981年・刊)より、8番めの句集、上野泰の第1句集、「佐介」を読みおえる。
先月23日の記事(←リンクしてある)で紹介した、前田普羅「能登蒼し」に継ぐ句集である。
原著は、1950年、書林新甲鳥・刊。1946年~1950年の、326句を収める。
著者は、従軍の経験もあるが、戦後に俳句と本格的に取り組んだ。口語調、比喩の多用、題材の選び方などに、戦後の自由さを感じる。
なお題名の「佐介」は、当時住んでいた、地名との事。
以下に5句を引く。
春著きて孔雀の如きお辞儀かな
緑陰の大きな下の靴磨き
黒揚羽花を蔽ひてとまりけり
巌石の如き冬雲日をかくし
春の野ののつかつてをる籬かな
2003年、砂子屋書房・刊。
彼女は「未来」他・所属。
もう余り力まなくても良いのではないか。夫を見送り、子供たちを巣立たせて、女性の一人暮しには、困難もあるだろうが。
また短歌では、比喩などのレトリックを多用して、芸術性を高めようとしなくても、良いのではないか。芸術性を求めるなら、詩を書けば良い。
短歌は個人の真実を表現して、救われてあれば良い。また救われるからといって、歌人もあまり無理をしてはいけない。
お説教めいた事を書ける立場ではないが。
以下に7首を引く。
海に向くベランダに椅子持ち出して遠き自分を見つめてゐたり
うつしみを抜け出しものか逃げ水の光となりてわれを呼ぶなり
歳末のスクランブル交差点 時代頒ちていとしき人人
炎昼の花びらうすき立葵わがトルソーを支ふ手あれな
切り捨てて君は歩めた 葉がくれにかろく鳴りゐる空蟬の殻
君といふ存在遠きかなしみに昨日と違ふ月の昇りぬ
子といへどここは私のサンクチュアリ汝(な)がスニーカー踏み入るなかれ
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