坂井市にお住まいの詩人、N・としこさんが、同人詩誌「角(つの)」第36号を送って下さった。
B5判、26ページ。
先達詩人の、O・純さん、S・章人さんの作品が見えないのは、淋しい。
H・信和さんの「四月のしっぽ」が、同人からの摂取、詩集出版の自信か、新しい1編である。
2年ぶり、Y・勝さんの映画論、「続・僕の懐かしシネマ館 14 フランソワ・トリュフォー 1 『アデルの恋の物語』」が、2段4ページにわたって、熱く語られている。
K・久璋さんの評論、「アブラハムの末裔と現代イスラム」が所謂イスラム原理主義に分け入って、また「ヒトゲノムの解読をめぐって」が科学者の敬虔を説いて、重要である。
N・としこさんの「ある時」全6連から、最終連のみを引く。
ある時
(前略)
いくつもの時間が過ぎて
ある時
芝生が根をはり
くぼみの中に いっそう濃いみどりを
みつけたりして
沖積舎「上村占魚全句集」(1991年・刊)より、第6句集「橡の木」を読みおえる。
今月4日の記事(←リンクしてある)、「萩山」に継ぐ。
原著は、1972年、みそさざい社・刊。
1966年~1969年の、自選680句を収める。
「後記」で、徹底して基礎を実行して、思いがけず幽玄、象徴の句をわずかながら得た旨を、述べている。
句集の後期の作品に、それらしい作品がある(引用句がそれらとは言えない)。これ以降の句集が、楽しみである。
以下に5句を引く。
湯浴み寝しぬくとさ木の芽雨となる
岬覆ふ大夕焼といふしじま
あるだけの酒くみ寝(い)ぬる雨月かな
目をとほす添削句稿初仕事
炬燵して塵づく書斎年暮るる
(注:1部、旧漢字を新漢字に替えた所があります)。
フリー素材サイト「Pixabay」より、バラの1枚。
キッチンの窓辺で、2輪のミニ薔薇が咲いた。
昨年10月6日の記事(←リンクしてある)、「ミニ薔薇と栗」で約束した通り、この春に1回り大きなビニ鉢に植え替えた。昨季は、今年1月6日の記事ぶんまで咲いた。
新しい枝が伸び、たくさんの莟を付けたが、期待の花を咲かせるほど大きくない。
3本の幹のうち2本の(のちに残りの1本も)、根元より新しい太い茎が伸びてきたので、それに大輪の期待を賭けて、元の幹を切ってしまった。ただし1本の新しい茎は、途中で萎れたので、切った。この賭けが、当たるかどうか。
写真の2輪は、残した古い木に咲いた花である。
筑摩書房「村野四郎全詩集」(1968年・刊)より、第1詩集「罠」を読みおえる。詩集が逆編年順に置かれているので、詩集編の最後にある。
記事としては、今月18日の記事(←リンクしてある)、「『体操詩集』拾遺」に継ぐ。
村野四郎(1901年~1975年)は、初め新傾向俳句を創ったが行き詰まり、大学での独詩の講義を受け、詩作に移った。川路柳虹らと「炬火(たいまつ)」を創刊した。
この「罠」(1926年、曙光詩社・刊)には、川路柳虹の序文を受け、52編を収める。
モダニズム風の新しい修辞(レトリック)を発見して喜んでいる状態である。のちのノイエ・ザハリヒカイトにも実存にも至っていない。
「都府の詩」より「3・暁」を引用する。
3・暁
広場には多くのBUSが
まだ羊のやうに やさしくまどろんでいる
――酷い今日が
その荒々しい手で追い回すには間(ま)がある
先の5月20日の記事(←リンクしてある)で紹介した4つの内、総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2015年6月号を読みおえる。
特集の「戦後七十年、沖縄の歌」を、読み通せなかった。非戦の思いはあるけれども、集団自決、基地問題などは、僕には荷が重い。
特別企画「雨の歌」は、面白かった。行楽が減り、木の混み合う庭があると、雨が好ましい。雨女、晴男、などとこだわる人が多い。
「コスモス」の新鋭・小島なおさんの「桜のなかに」12首の冒頭、「まろまろと月球のぼり<本日の死者一名>の無人交番」は、「まろまろと」と古典的に始まり、あとの漢字は漢訓みばかり、と意表を衝いている。
交替連載のエッセー、「私の健康法」、「私の本棚整理法」なども、身近で楽しく読んでいる。
このブログの、先の5月20日の記事で購入を報せたうち、奥華子の1stアルバム「優しい花の咲く場所」を紹介する。
2006年3月・発売、12曲。
彼女はシンガーソングライターで、路上ライブ(キーボードの弾き語り)出身である。
伸びのある美しい声で、情のあるユニークな歌詞を唄われると、オジサン(オジン?)の僕も、参ってしまう。
彼女のマキシシングルのうち、2011年7月1日の記事で「魔法の人」を、2015年2月10日の記事で「手紙」を、紹介している。
得恋の「魔法の人」、失恋の「月のそばで眠りたい」など、優れた作品ばかりだ。
初めCDラジオで聴いたとき音が飛んだが、ステレオセットのCDデッキに入れたら、滑らかに鳴った。1円(+送料350円-Amazonポイント21円)の盤では致し方ない。
写真は、ジャケットの表で、赤いメガネは伊達メガネである。ネット(ブログなど)でも活躍しているらしい。
岩波書店「近藤芳美集」第2巻(2000年・刊)より、第7歌集「異邦者」を読みおえる。
先の4月14日の記事(←リンクしてある)、第6歌集「喚声」より間が空いてしまった。
原著は、1969年、短歌研究社・刊。1960年~1964年の807首を収める。
1ヶ月間のソビエト旅行(268首)、翌年の欧米旅行(145首)での作品を主とする。
ソ連の希望的な言葉の影の不気味さ、アメリカの豊かさの中の貧窮も詠んでいる。
あちらにもこちらにも付くというのではなく、豊かな高福祉の社会を夢見ていたのではないか。
以下に6首を引く。
モンゴルのかたかと思う地の起伏夕月は顕つ藍暗きはて
吾らのため開く扉のなき事も常に「平和」のかげあらぬ声も
ついに来し思いにチェーホフの椅子に凭(よ)るを部屋昏るるまで吾を咎めず
国越ゆる無人地帯につづく柵はるか没り陽のひかり無き見て(オランダ国境)
オーバーのままの貧しき食卓にみな独りなり老いし白人
郷愁の感情不意に声震うひとりと歩む商社の青年
フリー素材サイト「Pixabay」より、アイリスの1枚。
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