よしいけ道「どう生きるの」
先の7月16日の記事、「2冊と1枚」で入手を報せた3つのうち、しまいの1つを紹介する。
よしいけ道さんの詩集「いきているってふしぎだね 第二巻 どう生きるの」である。
2015年6月、文芸社・刊。
横長、帯、ビニール質紙。ページごとに違うイラスト入り。
「いかに生きるべきか」を、擬人法を用いたりして語る、人生詩集である。仏教系の詩人のようだ。
ブログ「詩の遊歩道」(←リンクしてある)を、運営している。
先の7月16日の記事、「2冊と1枚」で入手を報せた3つのうち、しまいの1つを紹介する。
よしいけ道さんの詩集「いきているってふしぎだね 第二巻 どう生きるの」である。
2015年6月、文芸社・刊。
横長、帯、ビニール質紙。ページごとに違うイラスト入り。
「いかに生きるべきか」を、擬人法を用いたりして語る、人生詩集である。仏教系の詩人のようだ。
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ここの7月8日の記事(←リンクしてある)、「文庫本2冊と詩集」で入手を報せた3冊の内、前川幸雄・詩集「縄文の里 讃歌」を読みおえる。
2015年4月、以文会友書屋・刊。
前川さんは、中国文学研究者、詩人であり、F県詩人懇話会副代表を務め、多くの詩集、現代中国詩翻訳詩集を出版している。
この詩集は、副題「九頭竜川左岸にある三室山と遅羽町を詠う」とあるように、彼の出身地を訪ねて、9つの集落の古老よりの採話や実地体験を、序詩を含めて10章19編の詩に仕上げている。
各編は、1連5行の連をつらねており、中国の定型詩、現代日本の定型詩の試み、を取り入れているようだ。
また関心の持ち方、採話などに、日本の民俗学に習った所がある。
写真、図面を多く添付し、記録としての価値もある。
前川さん自身に、遅羽町民に、読者に、意義の多い詩集である。
総合歌誌「歌壇」2015年8月号を、7月14日(発売日)に、楽天ブックスへポイントも使って、注文した。
7月16日に届いた。続けて届けて貰えば良いのだが、停止する権利は留保したい。
7月17日に、結社歌誌「コスモス」同8月号が届いた。
僕の歌は、3首選だった。内容はアメブロ「新サスケと短歌と詩」の、7月18日付け記事(←リンクしてある)にアップしたので、ご覧ください。
昨日の記事で入手を報せた3点のうち、干刈あがた「ゆっくり東京女子マラソン」を読みおえる。
福武文庫、1986年・刊。
本代をケチったら、本文にヤケが強かったが、へこたれる僕ではない。
彼女の小説の紹介として、7月11日の記事(←リンクしてある)、「十一歳の自転車」に継ぐ。
小学3年生のしまいの父母会(?親と担任教師の集い)で、4年生のクラス委員に選ばれた4人の母親の、闘い(おもに不熱心な教師に対して)と友情、各家族とのつながりを、熱く描いている。
「東京女子マラソン」のテレビ中継を観つつ、シングルマザーの結城明子が感情をオーバーヒートさせての短い演説(ただ一人の聴衆、二人子の兄の健一は迷惑がり、少し惹かれて、すぐ無視した)は、名言である。読む値打ちがある。
この小説の他に、「月曜日の兄弟たち」という、短めの小説を併載する。短く書くと、学生時代の思い出の地を、離婚後に訪れた友子の、回想と感慨の物語である。
僕の文庫本棚に「ウホッホ探検隊」を見つけたので、これも読んでゆきたい。
Amazonのkindle本、「日本人が知らない村上春樹」をダウンロードし、読みおえた。
ニューズウィーク日本版e新書、2013年9月・刊。294円。
今回は、タブレットにもkindleアプリをダウンロード出来たので、パソコンと同期して、どちらでも前回に読みおえた所から、読み始められた。
題名と価格に惹かれて、購入し読了したが、日本人が知らないような事は、ほとんど無い。
僕が読んで来た、あるいはそれらから推測できる、状況ばかりだ。村上春樹の小説が、世界的に好評を受けている、再確認のみだった。
アメリカ、スイス、韓国、フランス、ノルウェー、中国の7人(批評家、作家、翻訳家)の短い批評である。
文体の魅力も、僕が村上春樹の翻訳本等を紹介する時に、書いて来た通りだ。
岩波書店「近藤芳美集」第3巻(2000年・刊)より、(戦時作品集「吾ら兵なりし日に」を挟み)第11歌集、「アカンサス月光」を読みおえる。
6月23日の記事(←リンクしてある)、「遠く夏めぐりて」に継ぐ。
原著は、1976年、短歌新聞社・刊。1972年~1975年の、602首を収める。
後退する学生運動(彼は、神奈川大学教授となった)、ベトナム戦争終結、詩人・金芝河の事件、外国のクーデター・反革命を詠む歌群の間に、叙景歌・相聞歌が鮮やかである。
以下に7首を引く。
思想と正義裁き裁かれてはてなき日ひとりの平安をまた怖れつつ
ガス栓をひらくと起きし夜の明けの野の雪明り妻は呟く
旗覆うひつぎに女の行くあゆみ殺戮に倦むときを重ねて
ありありと孤立する青春を見て過ぎむかく行き過ぎむ一教師ゆえ
脂肉吊りて小鳥を待つ庭にひかりは荒し朴の散る葉に
傍観し力の交替を目守るのみひと日の叫びキャンパスに湧く
共に苦しみ許さざりにし文学も伝うる晩年も死も時の渦
フリー素材サイト「Pixabay」より、アカンサスの1枚。
干刈あがた(ひかり・あがた、1943年~1992年、享年49.)の短編小説集「十一歳の自転車」を読みおえる。
ここで取り上げた彼女の小説は、2013年9月28日の記事(←リンクしてある)、「黄色い髪」のみである。
「十一歳の自転車」(集英社文庫、1991年・刊)には、21編の<物に関わる>小説を収めている。初めから「十一歳の自転車」「秋のサングラス」~終いの「青いヘルメット」に至るまで。
短めの短編小説、長めの掌編小説、という感じで読める。
例外を除いて、ほとんど庶民・弱者の世界を描く。
単行本の刊行が1988年なので、バブル末期と思われ、まだ多くの者を救えるという思いがあったのだろう。
それ以降(アベノミクスの恩恵を受けず)の世界では、猟奇的な、悲惨な事件も起きている。彼女の闘士ぶりを、もっと見たかった。
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