カテゴリ「小説」の116件の記事 Feed

2012年8月16日 (木)

村上春樹・編・訳「バビロンに帰る」

Cimg6325 村上春樹・編・訳の「バビロンに帰る ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2」を読みおえる。

 中公文庫、1999年・刊。

 同じ中公文庫の姉妹編の姉にあたる「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」を僕が読了したと、このブログの2007年10月5日付け記事にある。

 この本には、5短編小説の翻訳と、各編へのノート、村上春樹のフィッツジェラルドへの思いがこもるエッセイ「スコット・フィッツジェラルドの幻影 ―アッシュビル、1935」を収める。5編には、著者の栄光と悲惨の生活を知らないと評価できない作品があり、1種の私小説、ある範囲の短歌のようだ。フィクショナルな、時には幻想的な作品を書く、村上春樹が彼やカーヴァーになぜ惹かれるのか、僕にはわからない。

 ただ僕は、「偉大なるギャッビー」も、所蔵する「フィッツジェラルド作品集」(全3冊、荒地出版社)、角川文庫「夜はやさし」(2冊)と「ラスト・タイクーン」も読んでいないので、不遜かも知れない。

2012年8月13日 (月)

古井由吉「行隠れ」

Cimg6315 古井由吉の小説「行隠れ」を読みおえる。

 集英社文庫、昭和54年・2刷。

 僕は彼の作品を、関心を持って読み続けている。

 この小説のストーリーは、妹の結婚式の前日に失踪した、片足の具合の悪い姉が、自殺して見つかる、というものである。

 主人公(姉妹より若い二十歳の青年)の心情を主として、家族、恋人との心の関係を、濃密に描いている。

 現代の真実(事実ではない)を描こうとすると、このように読むのに難渋する文体になるのか、と思う。

 バブル期の軽薄短小・以前の、重厚深暗(短編もあるから、長大とは言わない)な作風である。

 戦後文学を引き継いだ作家だと、僕は考える。

2012年7月18日 (水)

少し買いました

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 一昨日(月曜日、海の日)に、「BOOK OFF 板垣店」へ行く。欲しいような本はなく、新しい作家の作品に入り込む勇気もなくて、DVD「踊る大捜査線 2 レインボーブリッジを封鎖せよ」を買った。

 昨日(火曜日、僕の指定休日)には、結社誌「コスモス」2012年8月号が届いた。

 また書店「KaBoS ワッセ店」へ行き、発売されたばかりの総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2012年8月号を買った。

 同店内の古書店で、川上弘美「ニシノユキヒコの恋と冒険」(新潮文庫、2007年2刷)と、高村光雲「幕末維新懐古談」(岩波文庫、1995年2刷)を買った。

 この中で、内容を見たのはDVD「踊る大捜査線」だけだ。ネットや本から、ドラマへ移ると、実写版は妙にリアリティがある。僕が、ドラマに慣れていないせいも、あるだろう。

2012年6月25日 (月)

江國香織「つめたいよるに」

Cimg6156 江國香織(1964~)の小説集「つめたいよるに」を読みおえる。

 新潮文庫、1998年9刷。

 この本は、2章に別れていて、「つめたいよるに」には9編、「温かなお皿」には12編、短編小説というより、掌編小説と呼び得る作品を収める。彼女の初期作品集とも称し得る。

 ファンタジー系と呼べるだろう。ただし天使も妖精も人魚も現れない。

 「夏の少し前」では、裁縫の居残りをする洋子が、数瞬のうちに、憧れの涼ちゃんと夫婦になり、母親になり、祖母になり、現実に戻るのだ。夢を見たというオチではない。

 またデビュー作とされる「桃子」では、修行僧・天隆(19歳)と、寺に預かった娘・桃子(7歳)が恋をし、別れさせられるのだが、天隆の頭頂から茎が伸び青い花を咲かせ、白い小鳥になった桃子が花に住み着いて5年を経ている、という怪奇的でさえある短編である。

 リアリズムとは程遠い。ファンタジーにも真実がある。

2012年6月23日 (土)

4冊を買う

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 今日午前、久しぶりに書店「Super KaBoS ワッセ店」へ行き、4冊の本を買った。

 まずは毎月買っている、「歌壇」(本阿弥書店)7月号である。毎月16日くらいに発売なので、今回は僕が少し遅れた。

 Word関係で良い本があったら、と思っていたので、朝日新聞出版の「ワード2010で困ったときに開く本」を買った。同社の「パソコンで困ったときに開く本 Office 2010」、インプレスジャパン「できるWord2010」も既にあるのだが、関心のある肝心な所がわからなかった為め。

 文庫本2冊は、同店内の古書店で100円均一ワゴンセールより買った。

 吉田絃二郎「小鳥の来る日」(新潮文庫、1996年)は、往時の流行作家の感想集である。

 もう1冊は、井上荒野の小説「グラジオラスの耳」(光文社文庫、2008年3刷)である。


2012年6月17日 (日)

文庫本2冊とビデオ

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 久しぶりに「BOOK OFF 米松店」へ行った。

 ちくま文庫の、瀬尾まいこ「図書館の神様」(2009年・刊)は、初めての作家の小説である。

 短編「雲行き」を併録する。

 岩波文庫の、シュトルム「みずうみ 他四篇」(1990年・45刷)は、有名な短編小説集だが、これまで手許になかったように思う。

 他にDVD「Sex and the City」のSeason4ノ6を買った。レンタル用落ちで、格安だった。

 2002年、パラマウント作品。3話を収める。

 30歳前後くらいの、女性4人グループの友情と、それぞれの異性関係を描いている。

 僕はのちのシリーズを観ているが、今回はまだ上品である。

2012年5月27日 (日)

江國香織「きらきらひかる」

Cimg6041 江國香織の小説、「きらきらひかる」を読みおえる。

 新潮文庫、平成15年・28刷。

 彼女は1964年生まれ、現在1流の女性作家である。

 この小説の新婚家庭で、夫の睦月はホモで、紺という大学生の恋人あり、妻の笑子はアルコール依存症気味で、情緒不安定という、かなり変わった設定である。

 1章ごとに、笑子と睦月の、入れ替わる視点で描かれる。

 最後はハッピーエンドだけれど、世俗的なそれではない。

 この4月27日の記事で紹介した、小川洋子「シュガータイム」でも、性レス男女関係が描かれる。

 どういう理由で、そういう関係を求めるのか、僕にはよくわからない。

 性なしでも男女間の優しさはありうる、と主張するのだろうか。

2012年5月 5日 (土)

川上弘美「蛇を踏む」

Cimg5970 川上弘美(1958~)の小説集「蛇を踏む」を読みおえる。

 文春文庫、2007年、15刷。

 1996年の芥川賞受賞作「蛇を踏む」の他、「消える」「惜夜記(あたらよき)」を収める。

 僕は、話題作が文庫本になり、古本となった頃に買い、棚に何年か寝かせてから、取り出して読む、というのが好きである。

 実際の女性にこんな仕打ちをしたら、すぐさま去られてしまうだろう。本は、黙って待ってくれる、時に少し古びたりしながら。

 彼女はSF出身であって、「あとがき」で、「自分の頭の中であれこれ想像して考えたことなら、いくらでもつるつると出てくるのですが。」と述べている。

 蛇を踏むと、それが母親となって(実母は別にいる)蛇の世界へ誘う表題作など、シュールだけれど、結婚、主婦の経験が生かされていると、僕は思う。

 他に気になっていた小説、「ニシノユキヒコの恋と冒険」、「古道具中野商店」も彼女の作品とわかったので、文庫本で読みたい。

 

2012年5月 2日 (水)

J・アーヴィング「サーカスの息子」下巻

Cimg5955 ジョン・アーヴィングの小説「サーカスの息子」の、下巻を読みおえる。

 新潮文庫、2008年12月・刊。

 この上巻の読了報告が、このブログの2012年1月15日の記事にあるから、下巻1冊を読み了えるのに、とても日数がかかった。

 それは作業場の控え室で、手空きの時に少しずつ読んだからだ。

 カバー裏面のコピーに「猥雑で奇怪な魅力に満ちた長編小説」とあるが、書きながらストーリーを展開したのか、伏線が少なく、着地も決まったと言えない。

 次作の「未亡人の一年」では、文体は締められていた(邦訳によれば)。

 ホームページ「J.アーヴィングによると世界は。」に拠ると、著者にはこのあと、「また会う日まで」(邦訳、新潮社)があり、2009年の新作「あの川のほとりで」(2011年、新潮社、上下巻)がある。

 その前に僕は、手許にある短編小説集「ピギー・スニードを救う話」を、読まなければならない。

2012年4月27日 (金)

小川洋子「シュガータイム」

Cimg5934 先の4月23日のブログで購入を報告した2冊のうち、昨日に紹介した「歌壇」5月号に続き、小川洋子の小説「シュガータイム」を読みおえる。

 中公文庫、2011年15刷。

 大量の食事を欲求する大学生・私(過食症とはされず、太りもしない)が主人公である。

 彼女と「吉田さん」はカップルであり、共寝はするけれども性関係はもたない、交際を続けていた。

 その「吉田さん」が、彼の友人の精神科医に頼まれて、対話療法のパートナーとなった女性患者と接している内に、「僕たちは互いに含まれあっているのです」(別れの手紙より)という惹かれ方をし、その女性とソ連へ留学すると告げ、「わたし」は別離してしまう。

 背丈の伸びない病気の弟・航平、友人の真由子を配し、彼女たち4年生の秋、彼女たちの大学の野球部リーグ戦最終戦を観覧し、別離の傷と過食からの解放を描いてフィナーレとなる。

 あとがきで著者の書く「わたしがどうしても残しておきたいと願う何か」は、簡略化するのは失礼かも知れないが、「男女には性関係を越えた愛がある」という事だろうか。

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