AmazonのKindle本「若山牧水大全」より、第4歌集「路上」を、10インチ・タブレットで読みおえる。
今月8日の記事(←リンクしてある)、「別離」に継ぐ。
原著は、1911年(明治44年)、博信堂書房・刊。483首。
牧水は、歌集「別離」の名声、編集する「創作」の隆盛、の中で、恋愛・健康・創作等に苦悩した時期という。旅の歌が多く、苦悩を表わす歌も収める。
以下に7首を引く。
海底に眼のなき魚の棲むといふ眼のなき魚の恋しかりけり
手を触れむことも恐ろしわがいのち光うしなひ生を貪る
摘草のにほひ残れるゆびさきをあらひて居れば野に月の出づ
ゆふぐれの河にむかへばすさみたるわれのいのちのいちじろきかな
衰ふる夏のあはれとなげやりのこころのすゑと相対ふかな
かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな
山かげの小川の岸にのがれ来てさびしやひとり石投げあそぶ
結社歌誌「コスモス」2015年11月号が、10月19日(月曜日)に届いた。
「宮 英子氏追悼」を組んでいる。43ページにわたって、歌壇・結社内から多くの追悼文が寄せられ、遺族による「偲ぶ会」挨拶、作品七十首抄、年譜、自注歌集・抄、等と共に収められた。
会員の短歌にも、挽歌が多くある。僕も「宇宙の花」で、氏の「コスモス」への最後の出詠5首より、1首を取り上げ追悼の意を表わす事ができた。
また少しずつ今号を読みながら、紹介して行きたい。
なお僕の歌は3首選だった。内容はアメブロ「新サスケと短歌と詩」の、10月20日付け記事(←リンクしてある)にアップしたので、ご覧ください。
結社歌誌「コスモス」2015年10月号の、「COSMOS集」を読みおえる。
今月2日の記事(←リンクしてある)、「月集」読了、に継ぐ。
間には「その一集」がある。外国より北海道に入り、南下する掲載順だが、今号では東京の半ばまでしか読めなかった。「読み部(よみべ)」を自称する自分として、不本意である。
「COSMOS集」は、「あすなろ集」と「その二集」の特選欄である。僕がその頃、選歌は2首と3首が半々くらいで、3首載せられるか、まれに「COSMOS集」に入るか、励んだ思い出がある。
僕が選んだ1首は、次の作品。「その二集」より、O・まき*(新かな遣いのマーク)さんの「積雲」5首の1首。
かなへびがクモを飲みこむ最後までしゃがんで見ている背中四歳
4歳の子は、生の現実に、残忍な気持ちではなく、敬虔な気持ちになると思う。
総合歌誌の角川「短歌」2015年10月号Kindle版を、10インチ・タブレットで読みおえる。
Amazonよりの購入・ダウンロードは、同題で先の9月28日の記事(←リンクしてある)にアップした。
4氏の巻頭31首は、それぞれ力が籠もる。小島ゆかり「鈴の鳴るドア」31首は、老いた姑などの現実から、夏安居をする白桃(しろもも)の核(たね)など、幻へ行き通う心情があるようだ。
今号は、散文も多く読んだ。
特集「写生がすべて」は、古典的写生論から、生を写すのだから己を述べてよい、という論もあり、結局「短歌は何でもあり」に行き着いてしまうのか。
「追悼 宮英子」の、4氏の追悼文は思いが深い。「写真で振り返る宮英子」も、しみじみ偲ばれる。
雑誌のせいか、タブレットでのページ捲り、拡大・縮小、終わり方などに、僕はまだ不慣れである。
Kindle版「若山牧水大全」より、第3歌集「別離」を読みおえる。
先の9月7日の記事(←リンクしてある)、「独り歌へる」に継ぐ。
原著は、1910年、東雲堂・刊。
「別離」は、「海の声」と「独り歌へる」を合わせ、155首を削り、133首加え、配列などを変えた。1004首。
東雲堂の雑誌「創作」(のちに牧水らの歌誌となる)の編集を任され、歌集の造りも立派で、内容には牧水に自信のあったもので、歌集は非常な評判を呼んだ。
僕はタブレットで、読み通した。
以下に7首を引く。
吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ
山行けば青の木草に日は照れり何に悲しむわがこころぞも
みじろがでわが手にねむれあめつちはなにごともなし何のことなし
いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
あれ見たまへこのもかのもの物かげをしのびしのびに秋かぜのゆく
花つみに行くがごとくにいでゆきてやがて涙にぬれてかへり来ぬ
きはみなき生命のなかのしばらくのこのさびしさを感謝しまつる
岩波書店「近藤芳美集」第3巻(2000年・刊)より、第13歌集「聖夜の列」を読みおえる。
先の9月5日の記事(←リンクしてある)、「樹々のしぐれ」に継ぐ。
原著は、1982年、蒼土舎・刊。598首。
戦後進歩派の歌人とみられたが、外国の市民社会主義運動や新左翼活動に冷淡になる事(選歌は除いて)によって、偶像的支持は失ったようである。
彼の短歌は読みにくい。例を挙げると本書306ページの、「街は朝のねむりにいしだたみの坂つたういずくかあと残るエトルリアの門」。5句のうち定型は3句め1つのみである。
彼はまた「無名者」という事を書くけれども、各人には名前があり、ささやかでも家庭あるいは職場・社会に立場がある。エリート主義の傲りではなかろうか。
以下に6首を引く。
「有事立法」阻止の或る夜の小さきつどい心怖れ来て何告げむため
戦場の死を逃れ生きたちまちに過ぎたるものも何に言うこと
聖堂あり復活祭の灯を置くを岸ひたひたと運河に沈む ヴェネツィア
求め来し銀のいるかの指輪してねむれば妻よまた二人なる
ゆえ知らぬ嗚咽は過ぎてすがしきを帰り眠らむ父のあらぬ部屋
彼らみな近藤先生と呼びいたわる北京の幾日心語らねど
結社歌誌「コスモス」2015年10月号の、「月集」を読みおえる。
「月集」とは「月集特別作品」、「月集スバル」、「月集シリウス」の3欄の事である。
成り行きを述べると、僕が入会した頃(1994年)には、「月集」は1つの欄だった。
それが、選者と選者経験者の「月集スバル」と、それ以外の「月集シリウス」の2つの欄になった。
また後年、他の欄に特選欄があるのに、月集にはなかったので、「月集シリウス」より「月集特別作品」欄が設けられた。のちに「月集スバル」よりも毎号2名ずつが、「月集特別作品」に載るようになった。「コスモス」の顔である。
僕が付箋を貼ったのは、次の1首。「月集シリウス」のK・道幸さんの5首より。
首なしの六地蔵います火伏堂さ庭に子等がビー玉をして
いまもこのような情景がある事に、感嘆した。
結社歌誌「コスモス」2015年10月号が、通常通り9月17日に届いた。
これまで「月集スバル」(あるいは「月集特別作品」)の巻頭だった、宮英子さんの作品がない。哀悼。
今年は北原白秋(「コスモス」創刊者・宮柊二師の師)の生誕130年という事で、2名による白秋論を収める。
随筆の「風鳥派」特集の号で、3名3編の随筆が載る。
僕の歌は、3首選だった。
内容は、もう1つのブログ、アメブロ「新サスケと短歌と詩」の、9月18日付け記事(←リンクしてある)にアップしたので、関心のある方はどうぞご覧ください。
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