カテゴリ「歌書」の467件の記事 Feed

2015年3月16日 (月)

近藤芳美「歴史」

 岩波書店「近藤芳美集」第1巻(2000年・刊)より、第4歌集「歴史」を読みおえる。

 3月5日の記事(←リンクしてある)、「静かなる意志」に継ぐ。

 原著は、1951年、白玉書房・刊。384首。

 「後記」で彼は、「…私達にはもはや歴史から逃れて生き得る小さな片隅はあり得ないと云ふ事であり、…」と述べている。

 それでも社会詠と相聞歌のギャップは、どこから来るのだろう。

 自分の詩と短歌のスタンスも、定まって来るようだ。

 以下に7首を引く。

みづからの行為はすでに逃(のが)る無し行きて名を記す平和宣言に

悲劇を好まぬさがは常にひとり稚き妻をまもり来りき

相へだつ憎悪と言へど知り過ぎて一つ時代を吾ら生き合ふ

アトリエの如き書斎を空想し冬待つさびしかつてなきまで

麦の野の傾くはての空暗く仔山羊は妻をひたすらに追ふ

貨物電車思はぬ夜半に過ぎて行く遠き河床の砂利を運びて

埃雲野にくらく立つ今日も又君の朝鮮に飛ぶ重爆ら

崩るるとき一瞬にして崩れ去る権威の空しさもすべて見て来ぬ

Photo

フリー素材サイト「Pixabay」より、椿の1枚を、トリミングして。

2015年3月15日 (日)

「COSMOS集」読了

 結社歌誌「コスモス」2015年3月号の、「COSMOS集」を読みおえる。

 1昨日の記事、「その一集」読了、に継ぐ。

 「COSMOS集」は、「その二集」「あすなろ集」の特選欄(5首、稀に6首、掲載される)である。

 さすがに優れた作品が多いと、僕は思う。

 ただし「その二集」よりの特選が10名、というのは酷ではないか。改革前より、ずいぶん減った。それで「その二集」の会員、ひいては入会者が、増えるとは思えない。

 僕が付箋を貼ったのは、I・洋子さんの「もぐらの気持」5首より、次の作品。

寸劇のやうなCMみせられて売りたいものがよくわからない

 他の4首も含めて、社会への皮肉や、生活のペーソスを詠んでいる。

Photo

フリー素材サイト「Pixabay」より、椿の1枚をトリミングして。

 

2015年3月13日 (金)

「その一集」読了

 結社歌誌「コスモス」2015年3月号の、「その一集」を読みおえる。

 2月28日の記事(←リンクしてある)、「月集スバル」「月集シリウス」読了、に継ぐ。

 何回も書くが、このクラスが一番、会員数が多く、71ページにわたる。

 社会的関心、家庭内の事、また自然詠もある。

 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。T・幾則さんの4首より。

「ばあちゃんもかわいいよ」と言ふジェニさんはフィリピンからの介護ヘルパー

 新しい社会事象も、しばらく経てばこうして短歌に詠まれることは、目覚ましい文学事態である。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、椿の1枚。

2015年3月11日 (水)

松山慎一「寂しさの市」

Cimg8295 松山慎一・第5歌集「寂しさの市」を読みおえる。

 2011年9月、青磁社・刊。

 2002年春~2006年末の、405首を収める。新かな遣い、古典文法。

 彼は1926年・生、2001年にある病院を退職、郷里の京都の病院に非常勤で勤める事になった。「塔」同人。

 題名の「寂しさの市」について、「あとがき」で「私にとって駅は「寂しさの市」のように思われた、…」と述べている。

 字余りの歌が、やや多いようだ。植物を詠んで優れた歌が多い。

 3・11前の歌なので、それ以後の危機感はない。

 以下に6首を引く。

十字路に向い合い立つ数本の繊きこぶしの花ひらきそむ

秋おそく紫となりオリーヴの実の十顆あり植えて二とせ

ユーロ紙幣より肖像は消ゆ夫々の国を拠り処(ど)とせぬ思想ある

働きつつスノーボードを続けいし若きナースの不意の訃を聞く

眠りさむる頃に過ぎゆく夏の夜の雨の続きぬ秋近きらし

ハモニカのように灯して列車過ぐ気温落ちたる森の薄暮を

 

2015年3月 5日 (木)

近藤芳美「静かなる意志」

 岩波書店「近藤芳美集」第1巻(2000年・刊)より、第3歌集「静かなる意志」を読みおえる。

 2月23日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「埃吹く街」に続く。

 原著は、1949年、白玉書房・刊。約560首。

 著者の思いは様々に揺れながら、政治行動にはみ出す事はなかった。従軍経験と、家族(父母、仕事のない弟と同居して)を守ろうとする意識が、そうさせなかったのだろう。

 「あとがき」に拠れば、30代の歌人による「新歌人集団」の集まりがあり、「第二芸術論」等をも受け止める時代だった。

 以下に7首を引く。

手術せしまなこけはしくなりながら弟は又仕事失ふ

縫物をとどけに出づる妻のため己れ健かなれと思ひぬ

常の如夜となり集ふ女らのぬれたる橋のてすりに並ぶ

戦争の時を何して生きて来しきたなき自我を互ひに曝す

するどき声みな若し会なかば卑屈に仕事に帰る幾たり

聡明に耐へて行けよと思ふのみ静かに泣けば傍らに寝て

技術への愛情が最後に残ること信じて生きぬ希望なき日も

Photo

フリー素材サイト「Pixabay」より、連翹の1枚。

2015年2月28日 (土)

「月集スバル」「月集シリウス」読了

 結社歌誌「コスモス」2015年3月号の「月集スバル」「月集シリウス」を読みおえる。

 事情でピックアップしながら読んだので、ゆるゆる読んだ時の感銘と学びに及ばない。

 比較的若い方もいるが、歌歴50年という方もいて、題材はさまざまだが、練達の詠みぶりである。

 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。両集の特選欄にあたる「月集特別作品」から、M・陽子さんの「アメフト」5首より。

ディフェンシングラインの肩のぶつかれる鈍き音聞こゆ応援席に

 昔なら「肉弾相搏つ」と書くのだろうか。こんな受け取り方だから、ダメなのだろうな。

Photo

フリー素材サイト「Pixabay」よりの紅梅の1枚を、トリミングして。

2015年2月23日 (月)

近藤芳美「埃吹く街」

 岩波書店「近藤芳美集」第1巻(2000年・刊)より、第2歌集「埃吹く街」を読みおえる。

 今月14日の記事(←リンクしてある)、「吾ら兵なりし日に」(後に刊行された中間の歌集)に継ぐ。

 原著は、1948年、草木社・刊。

 幾つか挙げたい事がある。

 彼は知識人として、懐疑を持ちながら従軍したのであって、ファナティックに突き進んだ農工民(大衆)とは違うという意識があり、大衆を戦後も信頼できなかったのだろう。

 戦後も手に職があり(建築設計家)、従順な妻があり、(短歌を創作していた事を含め)恵まれた立場にあった。

 また技術者(技術は、科学の現実への応用だろう)として、科学への(社会科学などではない)信頼があったのではないか。

 右へも左へも突っ走る事なく、なお誠実に生きようとした人だったという印象だ。

 以下に7首を引く。

墨入れて心落着く昼すぎは椅子も机も白く光りぬ

あたたかき霧立つ夕べ菜園の杭を打たむとたづさはり出づ

乗りこみし復員兵の一団はつつましくして上野に下りぬ

生き行くは楽しと歌ひ去りながら幕下りたれば湧く涙かも

日本にはすでに用無き戦闘機低くすわりて草に埋るる

狭き貧しき国にて共に苦しまむ沁む思ひあり朝鮮の記事

誠実に生きむとしたる狭き四囲技術家なれば生きる道ありき

Photo

フリー素材サイト「Pixabay」より、白梅の1枚。

2015年2月19日 (木)

届いた5冊

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 最近に家に届いた5冊を、紹介する。

  1. 総合歌誌「歌壇」2015年3月号。2月14日の発売日に、「楽天ブックス」へポイントも利用して注文。2月15日に届く。
  2. 結社歌誌「コスモス」2015年3月号。2月16日(月曜日)に届く。
  3. 西田昌弘さんより、詩文集「此岸より」を贈られる。
  4. 恋坂通夫さんより、詩集「花は咲くことのみ思い」を贈られる。
  5. Amazonのマーケットプレイスに注文した古書、「図解 スマートフォン「超」活用法」が届く。

 それぞれ読み、学びたい。

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2015年2月17日 (火)

「歌壇」2月号

Cimg8258 総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)2015年2月号を読みおえる。

 1月16日に購入(1月19日の記事「届いた3冊」にあり)しながら、今まで読みおえられなかったのは、結社誌「コスモス」同・2月号の完読を優先したため等による。

 「歌壇賞決定発表」の記事は、僕には関わり薄い世界と思いながら、少し読む。

 特別企画「雪の歌、雪の思い出」は、当地が大雪で雪除けに忙しい状態で、あまり読まなかった。

 鈴木竹志の時評「挽歌の時代」が、近く亡くなった歌人への挽歌を取り上げて、現在の挽歌の意義を主張している。

 永田和宏の連載「某月某日」第2回は、1日1首にとどまらない日も多く、力量を見せる。

2015年2月14日 (土)

近藤芳美「吾ら兵なりし日に」

 岩波書店「近藤芳美集」第1巻(2000年・刊)より、「吾ら兵なりし日に」を読みおえる。

 今月4日の記事(←リンクしてある)で紹介した、第1歌集「早春歌」に継ぐ。

 1975年、短歌新聞社・刊。

 経緯は、歌集の「あとがき」、第1巻の「あとがき」で述べられている。

 従軍中、月2枚許された葉書に戦場詠を書いて妻に送り、それを妻の弟が清書した。1959年、そのノートを発見し、1部に手を加え120首ほどを「短歌研究」に発表。更に50余首を加えて出版した。

 半無意識の取捨、改訂はあるだろうが、1戦場詠である。

 以下に6首を引く。

いづくにて吾は死すならむと思ふにもああ遠き日の如き感情

次々に鼠のごとく吊られつつ軍馬は嘶(な)けり川波の上

病衣を武装に換へて来し兵の将棋幾番かさして発ち行く

病む妻を心に抱けりいつからか煙草止めゐし白き吾が指

病兵と煙草を換ふることを知り鉄条網にすがる女ら

戦線の日を想ふとき出づる涙あはれ贖罪のあとの思ひに

Photoフリー素材サイト「足成」より、洋ランの1枚。

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