カテゴリ「詩集」の190件の記事 Feed

2012年11月 5日 (月)

石原吉郎「いちまいの上衣のうた 1967」

 花神社「石原吉郎全詩集」(1976年・刊)より、2番めの詩集「いちまいの上衣のうた」を読みおえる。

 先の10月27日、第1詩集「サンチョ・パンサの帰郷」を紹介した記事に、続くものである。

 この詩集(1964年~1967年に、詩誌に発表された、52編を収録)には「1967」と年号が付されるが、次に載る「斧の思想」と共に、全詩集の巻末の「著作目録」にも、ウィキペディアの「石原吉郎」の項目にも、不載である。詩集の経緯の詳細を、僕は知らない。

 過去と現実、経験と言葉を、うまく折り合わせられなかった詩人が、現実を生活してゆこうとする意志が見える。

 詩「いちまいの上衣のうた」では、「いかなる日におれが/指と指ぬきを愛したか/条理をくり展(の)べては/やさしげな火をかき起し……まさにそのことのゆえに/愛はひたすらに町をあふれ/帆のようにおれは/夕暮れをはらむのだ」と謳う。

 また詩「欠落」では、「およそ欠落においてのみ/あたたかな手でとりもどす/この寂寥は/信じなければならぬ」と、信じ得ると書いた。

 次の詩集「斧の思想 1970」では、敵と死が描かれるとしても。

Phm02_0891
ダウンロード・フォト集より、森の1枚。

本文とは無関係。

2012年11月 4日 (日)

「詩集ふくい2012」

Cimg6554 福井県詩人懇話会が発行するアンソロジー詩集の、「詩集ふくい2012」を読みおえる。

 懇話会設立より、毎年1回発行されて、第28集に至る。

 参加者61名、詩71編が寄せられている(各人、4ページまでの掲載が出来る)。

 古くより存じ上げている方の健筆は嬉しく、また新しい方の作品に触れて、継続・定着を願う。

 他に執筆者名簿(詩人の情報が、拒まない範囲で、掲載)と、55ページにわたる「’11ふくい詩祭記録」が、残されている。

 僕は、ソネット「幸運」を載せた。

 既に同人詩誌「青魚」No.77に、またもう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」(このブログのリンク集にあり)で、発表した作品である。ちょっと品がなかったかと、反省している。

2012年10月27日 (土)

石原吉郎「サンチョ・パンサの帰郷」

Cimg6536 花神社「石原吉郎全詩集」(1976年・刊)より、第1詩集「サンチョ・パンサの帰郷」を読みおえる。

 石原吉郎(いしはら・よしろう、1915~1977)は、1938年(23歳)受洗、1939年・入隊、1945年・ソ連抑留、のちにシベリア重労働、1953年・日本帰還。

 1964年、この詩集「サンチョ・パンサの帰郷」により、第14回H氏賞・受賞。

 彼はのちの文章「沈黙するための言葉」で(付録「手帖」の、谷川俊太郎の文章より、孫引き)、「詩を書くことによって、終局的にかくしぬこうとするもの、それが本当は詩にとって一番大事なものではないか」と書いている。

 のちの詩の事は措いて、彼は間違っていたと思う。1つは、彼がクリスチャンであった事。宗教は、世界最大のマヤカシである。

 2つは、1991年のソ連崩壊を知らずに亡くなった事。ソ連は、74年間の悪夢であった。

 彼が伝達を志向しない詩を書いた事は、これまでの抒情・叙事や、戦後の暗喩を重ねた詩でも、表現できない経験があったため、とはわかる。しかし現在の、訳のわからない詩へ端緒をひらいたようで(それ程の経験もない人の)、僕は受け入れがたい。

2012年9月22日 (土)

谷川俊太郎「空の青さをみつめていると」

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 谷川俊太郎の選詩集「空の青さをみつめていると」を読みおえる。

 角川文庫、平成6年18版。

 この本は、2冊による彼の自選詩集の1冊めであり、2冊めは「朝のかたち」と題される。

 僕は思潮社の「谷川俊太郎詩集」「続 谷川俊太郎詩集」「詩集」を、以前に読んだから、ここに収められている詩は、既に読んでいる筈である。

 しかし印象深い詩をのぞき、僕の記憶に残っていなかった。

 今回、感銘深かった詩は、「鳥羽」と題される連作11編(これで全部らしい)である。「何ひとつ書く事はない」(「鳥羽 1」)、「私にも刹那をおのがものにするだけの才覚はある」(「鳥羽 2」)と正直に(?)書いている。

 さらに「鳥羽 3」では、「飢えながら生きてきた人よ/私を拷問するがいい(1行空き)私はいつも満腹して生きてきて/今もげつぷしている」と書いて、中産階級の詩による代弁者である事を宣言している。

 この事で彼を責めようとは思わない。しかし受け入れやすそうな口調の陰で、悲劇は起きている。

2012年9月20日 (木)

ルナール「博物誌」

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 フランスの作家、ジュール・ルナール(1864~1910)の「博物誌」を読みおえる。

 新潮文庫、1984年38刷。岸田国士・訳。

 この本を僕は、いつだったか若い頃に1度、読んでいる。「にんじん」他の小説、あるいは戯曲を、全く読んでいない。

 この本は訳者「あとがき」でも、「新潮世界文学辞典」でも、「短文」集とされているが、僕は優れた詩集として読んだ。

 動物(野生、家畜を問わず)の生態を、直喩など優れたレトリックで描いた。

 鹿に出会って、その角に銃をかけて運んで貰う場面を空想するなど、楽天的な面がある。一方では、小鳥を銃で撃ち落として、楽しんでいる。無用な殺生をするでない、と思うのは僕の、農耕民的・仏教的・背景からだろうか。

 美しい1編を紹介する


       

     ルナール


二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。

2012年9月14日 (金)

「悪の華」2種

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 ボードレール詩集「悪の華」の、2種類の訳書が届いた。

 左は岩波文庫・鈴木信太郎訳(Amazonよりの新本)、右は集英社文庫・安藤元雄訳(Amazon内マーケットプレイス「駿河屋」よりの古本)である。

 実は新潮文庫・堀口大学訳を含めて手許の3冊を、他の本と合わせて計10冊、電子書籍化代行の某社へ送ったのである(今年3月)。

 所が大学訳の「悪の華」をアップしたのみで、他は梨の礫である。

 仕方がないので、2種の「悪の華」を買い直したのだ。

 大学訳は5、6回、安藤元雄訳は1回、読んだ記憶がある。

 所蔵の「ボードレール全集」(4冊本)には、福永武彦訳の「悪の華」が収められているようだ。

2012年8月14日 (火)

相川永時「エルモリヤの空に」

Cimg6318 相川永時・詩集「エルモリヤの空に」を読みおえる。

 文芸社、2012年5月・刊。帯。

 文庫本サイズだが、横書きのせいもあり、223ページに90編を収める。

 「文芸社セレクション」の1冊となっており、廉価である。

 希望と失望を繰り返す若者の心情を訴えながら、前向きであろうとする。

 oasisやSuede等の洋楽の影響を受け詩を書き始める、と著者プロフィールにあるように、歌いかけるような作品が多い。

君の本性なんて知らないけれど

僕は怠惰で君は強情だけど

それでもついてきてくれるなら

素敵な景色へ案内するよ

   「花よりも美しく」初連

 男女の1組の心情(僕には、まるで老夫婦みたい)が、よく捉えられている。

誰もが失敗し、泣き崩れるものなんだ

だけどそこで流されちゃいけない

   「名もなき英雄」の1節

 そう、挫折したあと、どう立ち上がるかが大事だ。

 彼のブログ「エルモリヤの空に何を」では、更に進化した作品を読む事ができる。

2012年8月 2日 (木)

詩集とエッセイ集

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 Amazonより、相川永時・詩集「エルモリヤの空に」を買う。

 文芸社セレクション、2012年5月・刊。

 文庫版、帯、横書き、全90編。

 著者はアメーバブログ「エルモリヤの空に何を」を運営していて、新作詩をどんどん発表している。

 またAmazonのマーケットプレイスより、古文庫本「’88年版ベスト・エッセイ集 思いがけない涙」を買う。

 文春文庫、日本エッセイスト・クラブ編、1991年・刊。

 このブログの、先の7月29日付け記事末尾で、注文を報告した本である。

2012年7月28日 (土)

浜本はつえ「斜面に咲く花」

Cimg6238 県内にお住まいの詩人・浜本はつえさんが、彼女の第1詩集「斜面に咲く花」を送って下さった。

 2012年7月、コールサック社・刊。

 彼女は、水脈、詩人会議、福井県詩人懇話会、各所属。

 原発があり、越前水仙の咲く海辺で育ち、老年を迎えようとしている。

 第1章「わたしの越前」。彼女の父は漁の事故で亡くなり、母親は彼女を連れ、弟を実家に残して再婚。その弟が酷い目に遭う様を目撃した「海辺の墓」は哀れである。

 浜昼顔に慰められた海岸線が工事によって荒れてしまった様を描く「浜昼顔」は大きな問題提起である。

 第2章「夜の歌」では、比喩などを用いて、心の内を描く。「泥に棲(す)む魚」では、自分を「泥に潜り 獲物を狙う」海底の魚に喩えている。

 第3章「踊りの時間」では、父母たちを思う作品、優しい視線を夫や孫たちに向ける作品、等がある。

 「浜昼顔」(全4連)の、最終連のみを引く。

   浜昼顔

     (前略)


所在なく悲しかった日など

一人浜に下りたち 海を眺めていると

その花はなびき

寄り添ってくれていたのに

浜昼顔の咲くところがもうない

2012年6月15日 (金)

阪本越郎「未来の海へ」

 彌生書房「定本 阪本越郎全詩集」(昭和46年・刊)より、9番目の「未来の海へ」及び「未来の海へ 拾遺」を読みおえる。

 原著は、昭和45年、潮流社・刊。没後の遺稿詩集である。

 阪本越郎(1906~1969)のこの詩集は、丸山薫・村野四郎の編纂、竹中郁の飾画によって、出版された。

 この詩集で彼は、モダニズム風、古風、児童詩風、さまざまな風合いの詩を、自由に書いた。

 この全詩集には、他に翻訳詩集、児童詩が収められているが、それらは適格な読み手がいるだろうから、僕は差し控える。

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写真は、本文と無関係。

ダウンロード・フォト集より。

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