カテゴリ「詩集」の190件の記事 Feed

2012年6月 8日 (金)

阪本越郎「夜の構図」

 彌生書房「定本 阪本越郎全詩集」(昭和46年・刊)より、8番めの「夜の構図」および「夜の構図 拾遺」を読みおえる。

 原著は、昭和33年、パピルス・プレス・発行。

 敗戦後の初の詩集である。

 運の良い人は、どこまでも運が良い。昭和20年3月14日の東京大空襲で、田園調布の彼の自宅は類焼を免れ、一時は妻の実家の別荘に疎開、9月には自宅に戻っている。

 昭和21年12月には、文部事務官に任じ、社会教育局勤務となる。

 以下に、彼の短い詩を引く。

  

 冬の蠅

    阪本越郎


私の原稿に冬の蠅がきてとまる

出来たての詩を逆に読んでいく


私の原稿に冬の蠅が来てとまる

まだ生きていたかと私を見上げる

2012年5月24日 (木)

阪本越郎「益良夫」

 彌生書房「定本 阪本越郎全詩集」(昭和46年・刊)より、7番めの「益良夫」および「益良夫 拾遺」を読みおえる。

 原著は、昭和18年、湯川弘文社・発行。

 戦時下の作らしく、言葉がいきなり文語調になる。例えば冒頭の作品、「人生」は、次のように始まる。

なべて思ひ出の象嵌されし……

わが手をとりて泣きしひとを 母といひ

こまやかに笑みけるひとを 友とよぶ

 5音7音の句も多い。モダニストが一変する衝撃を思う。

 編註によれば、「挺身出動」「シンガポール陥落」「感泣の朝」など16編の詩が、「作者の遺志を尊重し、ここでは省略」されている。

Phm10_0485
写真は、記事と無関係。

ダウンロード・フォト集より。

2012年5月 7日 (月)

阪本越郎「暮春詩集」

Cimg5980 彌生書房「阪本越郎全詩集」(昭和46年・刊)より、第3期めの「暮春詩集」及び「暮春詩集 拾遺」を読みおえる。

 原著は、昭和9年、金星堂・刊。

 写真は、全詩集の本体の表紙である。イラストは、藤田嗣治・筆。

 「暮春詩集」は、散文詩詩集として、モダニズム詩の1つの達成であろう。

 天使より、少女が多く出てくるようになったが、楽天的な人生感だ。

 彼の詩に暗さがあるとしたら、「このような安楽な月日がいつまでも続く筈はない」という確信と、「いつかは『生活』を知るだろう」という予感だと、僕には思われる。たとえ「倦怠」を装っていても。

2012年4月22日 (日)

阪本越郎「貝殻の墓」

 彌生書房「阪本越郎全詩集」(昭和46年・刊)より、詩集「貝殻の墓」と「貝殻の墓 拾遺」を読みおえる。

 原著は、昭和8年、ボン書店・刊。

 本編の「貝殻の墓」「軽井沢の蝶」の章は、1編4行の詩が19編続く。その他の詩も短く、終編の「対照」のみがやや長い。

 ハイカラなウイット(機知)の詩編である。会話や俳歌でなら良いかも知れないが、詩(短詩ではあるが)においては、西欧異国風とはいえ、物足りない気がする。

 以下に1編を引く。


  幸福

    阪本越郎


バグダッド―――カイロ間飛行情報

アンゴラ産の黒猫はもう流行(はや)らない

聖者たらずんば乞食たれ

いつまでも堅い翼の天使が翔んでいます

2012年4月17日 (火)

阪本越郎「雲の衣裳」

Cimg5886 「定本 阪本越郎全詩集」(このブログの2007年7月1日の記事に、購入の報告あり)より、詩集「雲の衣裳」と「雲の衣裳 拾遺」を読みおえる。

 原著は、昭和6年(1931年)、厚生閣書店・刊。

 春山行夫・編集の「詩と詩論」に触発された、モダニズムの詩である。

 短い散文詩の多い点が、特徴だろう。

 戦前の上流階級出身の青年(彼の生年、父は福井県知事であった)の、西欧への稚い憧れが、戦時下・敗戦を経て、どう変貌して行くのか、僕の関心がある所である。

 この「定本 全詩集」は、彼の児童詩、海外詩の翻訳も収めた(他に詩論、童話の翻訳等があるが)、優れた1冊である。写真は、箱の表である。

2012年4月 8日 (日)

新倉羽音「日を知る」

Cimg5817 先の4月1日の「群青」第23号批評会(記事あり)のおり、AUさんより借りた2冊のうち、新倉羽音(にいくら・はね)さんの第3詩集、「日を知る」を読みおえる。

 2011年11月、土曜美術社出版販売・刊。

 日本現代詩人会、日本詩人クラブ、会員。

 詩誌「騒」同人。東京都・在住。

 自立した婦人として、また混血児の生まれとして、様ざまな障りがあったようだ。

 「変貌する藪椿の群れ」の結末にあるような、窮まって自然と同化しようとする傾向がある。

 「今はもうない乳母車を押して」に描かれる老耄(ご自身の事ではない)の様が、僕の心をうつ。

 初め5行を引用する。


丸太の柵に腰をかけ

今はもうない

乳母車の把手をしっかり握ったまま

公園に入ってくる人の流れと向き合っている

(私の息子はどこへまぎれてしまったのだろう)

2012年3月28日 (水)

藤原定「言葉」

Cimg5783
 沖積舎「藤原定全詩集」(1992年・刊)より、今年3月20日にアップの第5詩集「環」に続き、最後の詩集「言葉」を紹介する。

 写真は全詩集の2重箱のうち、外箱の表である。

 原著は、1989年、沖積舎・刊。

 彼はこの詩集により、日本現代詩人会より、第8回現代詩人賞を受賞している(1990年)。

 僕は言葉を対象に、詩を創ることを好まない。

 彼が「あとがき」で謙遜しているような、「貧しい結果が本詩集なのである」とは、僕には思えず、豊かな結果だと思う。

 しかし彼は結局、口説の徒であったし、僕は作業仕事も対人関係も身を以って覚えてきた、1ブルーカラー労働者である。

 なお彼を「家のない藤原定家だ」と洒落たのは、誰だったか、どこでだったか、僕は覚えていない。

2012年3月21日 (水)

詩集「焼夷弾とでんでんむし」

Cimg5769 福井県に在住の詩人、こじま ひろさんが送ってくださった、第1詩集、「焼夷弾とでんでんむし」を読みおえる。

 能登印刷出版部、2012年3月2日・刊。

 こじまさん(1926年・生)は、俳句を創り(「雪解」にて)、短歌を創り(「百日紅」等)、詩を創り(「山吹文庫」等)、多才な方である。

 第二次大戦で父を亡くし(「あまから」「追憶」)、空襲に逃げ惑い(「鉛筆B29」)、敗戦を迎えた。

 「種の不思議」では、一定地の1種類の種が、時期を違えて芽吹き、その後の自然が悪条件でも種族保存できるようになっている、という生命の不思議を伝えている。

 他に「たにし」「でんでんむし」での、1行の字数を揃える詩など、試みている。

2012年3月20日 (火)

藤原定「環」

 沖積舎「藤原定全詩集」(1992年・刊、限定500部)より、5番めの詩集「環」を読みおえる。

 この3月9日に、詩集「吸景」を紹介して以来である。

 のびやかな比喩の作品が多い。

そんなふうに死というものも

生の変容流転にすぎないのだ

    「甲斐駒のうしろから」より

 上記のように輪廻や、あの世を信じられれば、老期も生きやすいのだが。

 短い詩を1編、まるごと紹介する。

 

  山にしたって

     藤原定


山にしたって沈黙しているのではない

だが発音できるのは二つ三つの母音ばかり

しかもオクターヴがあまりに低いので

ぼくらの耳にはききとれないが

草木はみなそれを全身できいているし

青空は見ひらいた眼でききとっている

鳥は翼をのばしきったまま

母音ばかりのフーガ旋律の上を

閑にまかせて波のりしている

2012年3月19日 (月)

電子書籍版「立原道造詩集」

 電子書籍化した「立原道造詩集」を、CDより読む。

 原本は、角川文庫「立原道造詩集」、昭和34年17版。

 中村真一郎・編、216ページ(巻末目録、奥付け等を含め)。

 この本ではほとんどすべて、ソネット1編を見開き2ページに収めてあり、読みやすい。角川文庫の異版では、それが崩れているものもある。

 CDよりこの本を読むのは2回めで、初回は2011年9月22日である(記事あり)。

 7回に分けて読み、今度は少しメモを取った。

 某氏のエッセイで、授業に出て、皆で囃したという「私の胸は 溢れる泉!」というフレーズは、ソネット「ひとり林に……」の中にある。

 僕の好きな2行「ある日 悲哀が私をうたはせ/否定が 私を酔はせたときに」は、ソネット「午後に」の中にある。

 物語「夜に詠める歌」に「さやうなら 危機にすらメエルヘンを強いられた心!」とあるように、立原道造(1914~1939、享年24)は、夢見るだけの青年ではなかった。

 晩年に、献身的な恋人を得たことは、彼の幸せの1つだったろう。

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