カテゴリ「ノンフィクション」の90件の記事 Feed

2012年12月16日 (日)

スウィフト「奴婢訓」

Cimg6658 スウィフト(1667~1745)の作品、「奴婢訓」を読みおえる。

 岩波文庫、1997年15刷。

 岩波文庫創刊70年記念復刊の1冊であり、新かなではあるけれど、正字を用いているので、抵抗感がある。

 この作品は、著者没後に出版された、未完作である。

 僕は彼の主著「ガリヴァー旅行記」を読んでいないし、他に「桶物語」「書物の戦争」も読んでいない。

 この作品は、かつての従僕が、家庭に雇われている使用人たち(召使頭より、家庭教師に至る、16職種にわたる)に訓えるという形式で、当時の奴婢の悪習(怠慢、小悪徳)を暴いたものである。

 彼が政論家として活躍していた頃の、使用人への不満を噴出させたらしい、文章である。

2012年12月10日 (月)

エッセイ集「日本語のこころ」

Cimg6640 日本エッセイスト・クラブ編「’00年版ベスト・エッセイ集 日本語のこころ」を読みおえる。

 文春文庫、2003年・刊。

 先の11月28日に記事アップした「’98年版 最高の贈り物」に継ぐ。

 間に「’99年版 木炭日和」があるが、読んだ記憶があるので検索したところ、2009年11月17日の記事にアップしてある。このシリーズを読み継ぐきっかけになった本である。

 本集では、不況の長引く予感のせいか、冴えた話は少ないようである。

 D佐紀子さんの、グリーンランド(デンマーク領、電子辞書版広辞苑に拠る)の男性と結婚してその地で住む話「イヌイットになった私」、映画評論家だったI偲(しのぶ)さんがハンガリーの映画監督と結婚して住む話「過去と未来を償い終わりぬ(ハンガリー国歌の1節)」など、いざとなれば女性は逞しいなあ、と感嘆した。

2012年11月28日 (水)

エッセイ集「最高の贈り物」

Cimg6611 日本エッセイスト・クラブ・編「’98年版ベスト・エッセイ集 最高の贈り物」を読みおえる。

 文春文庫、2001年・2刷。

 先の11月14日の記事で紹介した、「’97年版 司馬サンの大阪弁」に継ぐ本である。

 小学4年生の女の子、主婦から作家、大学教授たちによる62編のエッセイを収める。’97年中に発行された紙誌に掲載の作品より選ばれた。

 主婦・前川ひろ子さんの「五十六の美容整形」は、1重だった右目蓋を、五十六歳になって念願叶い(独断独行で)2重に美容整形し、成功するが、夫も親友も関心を示さない、というオチが付く。

 サイエンス・ライター・柳澤圭子さんの「生と死が創るもの」では、冒頭に惹かれた。「自分の実験結果を論文として発表するときは非常に不安なものである。」と始まる。

 その気持ちは、よくわかる。僕でもブログ記事を書いて、一返で済む事は少ない。確認欄より戻ったり、1度アップした記事を書き直したりしている。

 先の11月25日の記事で、花びらのフリル風を、フレアーと書きそうになった。また同じ記事で「そば枕」と書いたが、「そばがら枕」が正しく、のちに書き直しておいた。

 文筆の事は、やり直しが利いて佳い。

2012年11月23日 (金)

「中勘助全集」書簡篇

Cimg6598 書店「Super KaBoS ワッセ店」内の古書店で、「中勘助全集」(全17巻)の書簡篇(第15、16、17巻)を買った。

 岩波書店、1991年頃・刊。箱、月報あり。

 写真は3冊の箱の背である。

 その棚には、この全集の途中(小品・随筆篇より)からしかなく、第14巻は詩歌篇だった。

 しばらく前から気になっていて、今日午前、書簡篇3冊揃いを買った。

 彼の小説は、有名な「銀の匙」を含め、1冊も読んでいない。

 しかし岩波書店の「中勘助 小説・随筆 <復刊>7冊」より、「銀の匙」を含む5冊を所蔵している。

 また岩波文庫の「中勘助詩集」を読んでいる。

 それで書簡篇を買っても、そんなに不義理ではないと思う。

 第17巻の末尾に、中勘助宛山田又吉書簡、補遺、年譜、総目索引、他を収めている。

2012年11月22日 (木)

「リルケ全集」第5巻

Cimg6596_2
 彌生書房「リルケ全集」(全7巻)の、第5巻「美術論・エッセイ」を、昨夜に読みおえた。

 昭和48年・初版。箱、箱に紙カバー、月報あり。

 このブログの管理画面で調べてみると、第4巻の読了記事が、2011年11月11日にあり、第5巻を読むのに1年余りかかってしまった。

 ちなみにそれ以前の巻の読了記事は、第1巻・2008年12月24日、第2巻・2010年4月7日、第3巻・2010年6月13日に、アップしてある。

 第5巻になぜそれほど月日がかかったかと言えば、美術評論(今は名の残っていない画家が多い)が好きではないからである。ただし今となっては、著名なロダン論2編によって、ロダンの彫刻を嫌いではなくなった(作品の写真を通してのみ)。

 さて次の第6巻は、書簡集である。

 今年8月23日の記事で購入を報告した、国文社・版の「リルケ書簡集」全4冊があるので、そちらを読みたい。

 そのあと、第7巻「日記(236ページ)、リルケの生涯(伝記ではなく、多くの知友の短い回想を集めたもの)、年譜」に戻りたい。

 

2012年11月14日 (水)

エッセイ集「司馬サンの大阪弁」

Cimg6585 日本エッセイスト・クラブ編「’97年版ベスト・エッセイ集 司馬サンの大阪弁」を読みおえる。

 文春文庫、2000年・刊。

 無職・主婦から、作家、大学教授に至る人の、61編を載せる。

 「’〇〇年版」とは、その年の前年に紙誌に発表されたエッセイより選ばれた、という事で、僕は当年と思って勘違いな感想を書いた巻もあった。

 作家・高井有一(1932~)の「時代遅れ」は、パソコンどころかワープロさえも使わない、自負の弁を述べている。もっともこのエッセイで僕は知ったのだが、彼は旧かなを用いている。それでは、ワープロ、パソコンで文章を書くのは、大変だろう。

 作家・佐江衆一(1934~)は「老いの坂道」で、88歳の母を見送り、98歳になる父の介護をしていると書く。還暦の時にあと5年間の計画を立て、ほぼ実現できそうで、65歳にはまた5年間計画をたてる、と至ってお元気である。

 僕は両作家の小説を1冊も読んでいないが、蔵書にはあるので、是非読んでみたい。

2012年10月20日 (土)

エッセイ集「父と母の昔話」

Cimg6516 日本エッセイスト・クラブ編「’96年版ベスト・エッセイ集 父と母の昔話」を読みおえる。

 文春文庫、1999年・刊。65編。

 先の10月10日の記事で紹介した、「’95年版 お父っつあんの冒険」に次ぐ本である。

 前年の阪神・淡路大震災に関わって、作家・今井美沙子「大震災にまつわる『夢の知らせ虫の知らせ』」、歌人・河野裕子「機会詩としての短歌 ――阪神大震災の歌」、作家・加賀乙彦「小便するな」がある。

 また前年は、戦後50年めという事で、行司・式守与太夫「父の戦死地」、作家・神坂次郎「敗戦五十年目の暑い夏に」、某社代表取締役・松尾文夫「ドレスデンと東京」(戦後のけじめの付け方が、日独で異なる事を書く)がある。

 また不況を生き延び抜け出ようというのか、ジャーナリスト・櫻井よしこ「前向きっていいわね」(苦境を生き抜いた、母の言葉)等がある。

 シリアスな内容のエッセイが多い印象だ。

2012年10月16日 (火)

歌誌とエッセイ集

Cimg6505Cimg6508















 今日午前、商店集合地「ワッセ」にある、書店「SuperKaBoS ワッセ店」へ行った。

 お目当ての総合歌誌、「歌壇」11月号はすぐ見つけた。

 パソコン本の棚で、「できるExcelデータベース」の2010版があった(2002~2007版は持っている)が、買わなかった。

 またAmazon内のマーケットプレイス「駿河屋」より、古本「’97年版ベストエッセイ集 司馬さんの大阪弁」(文春文庫、日本エッセイスト・クラブ編、2000年・刊)が届いた。この年刊エッセイ集のシリーズを読み続けているが、この巻(他にも)が手許に無いからである。

 この本の値段は1円である。送料が250円と一定なので、実際の送料との差額が店の儲けになる。ただしAmazonも一定額の手数料を差し引いて、利益とする。細ごまと、せちがらい世である。

2012年10月10日 (水)

エッセイ集「お父っつあんの冒険」

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 日本エッセイスト・クラブ編の「’95年版ベスト・エッセイ集 お父っつあんの冒険」を読みおえる。

 文春文庫、1998年・刊。64編。

 この9月28日に紹介した、「’94年版 母の写真」に次ぐ本である。

 バブル崩壊後の不況が続くせいか、グチっぽい話、当たり障りのない話が多く、景気のよい話、ハッピィな話は少ない。

 中で、老作家・八木義徳(1999年に88歳で亡くなった)の、「老いの風景」に仄明るみがある。

 喫茶店の総ガラス張りの窓際から、人間風景を見物する事を楽しみにしている。

 よたよた歩きの老男性に”傲慢な”喜びを感じ、よちよち歩きの幼児に「生命の光の照射」を感じる。女性の一群の白い太腿に、目をまぶしくさせる”光源”を感じる。

 穏やかな老境を思わせる一文である。

2012年9月28日 (金)

エッセイ集「母の写真」

Cimg6451 日本エッセイスト・クラブ編「’94年版ベスト・エッセイ集 母の写真」を読みおえる。

 文春文庫、1997年・刊。全61編。

 9月10日にこのブログで紹介した、「’93年版 中くらいの妻」に続くアンソロジー・エッセイ集である。

 全3章のうち、第2章は「母の写真」と題される。

 全13編のうち、故人を偲ぶエッセイがほとんどを占める。三浦哲郎が師・井伏鱒二を語る「遺訓」、桶谷秀昭の「燃えつきた藤枝静男」、水上勉が太地喜和子を偲ぶ「駒込の勝林寺」、瀬戸内寂聴が武田百合子を語る「百合子さんの事」等々が続く。

 自分の死後を願う、山田風太郎「ねがはくは」等も含む。

 短歌で死者を弔う挽歌は、多く詠まれ、斎藤茂吉の連作「死にたまふ母」など、秀歌が多い。


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