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日本ボケ協会・監修、栃の葉書房、平成10年・刊。
放春花は、木瓜の別名である。
昨日に、たまたま本棚の隙間に見出した。
発行当時に新刊で買って見おえたあと、売るか譲るかして手許にもうないと思っていたから、見つけて嬉しかった。
木瓜にも、一重・八重、単色・咲き分け、早咲き・遅咲きなどの別があり、色も白・赤系・淡黄などがある。
咲き分けの古典的名花「日月星(じつげつせい)」や、大輪の八重花「越の夕映(こしのゆうばえ)」など、育ててみたい気がするが(「日月星」は庭で、何年か咲いたあとに枯れた)、実際はどうなるか、わからない。
これと紛らわしい迎春花は、黄梅(おうばい、ジャスミンの1種)の事である。
角川書店「増補 現代俳句大系」第2巻(昭和56年・刊)より、4番めの句集、石橋辰之助「山行」を読みおえる。
原著は、昭和10年、沙羅書店・刊。
この句集には、序文、跋文はなく、著者の「あとがき」さえ無い。何の意だろうか。
句集のほとんどを、ロッククライミングを含む、登山の句が占めている。著者は、山岳俳句の開拓者とされる。
彼はのちに、西東三鬼らと新興俳句へ走ったが、弾圧を受け沈黙。
戦後の彼は、日本民主主義文化連盟の役員をするなど尽力したが、昭和23年、結核により死去、享年40.
以下に5句を引く。
穂高岳真つ向ふにして岩魚釣
青く赤く燃ゆる星あるキヤムプかな
短夜の扉は雲海にひらかれぬ
岩灼くるにほひに耐へて登山綱(ザイル)負ふ
吹雪来て眼路なる岩のかきけさる
グレイス・ペイリーの短編小説集、「最後の瞬間のすごく大きな変化」を読みおえる。
文春文庫、村上春樹・訳、2005年・刊。
著者は1922年生まれ、両親は20世紀初頭に、ロシアからアメリカに渡ってきたユダヤ系の移民である。
彼女は詩集の他、3冊の短編小説集しか生涯に出さなかったが、多くの敬意を受けた。
各編は、離婚したシングル・マザー(息子2人)などの、貧しい街でのいざこざ(トラブル)を描く。しかも、いつまでも希望を失わない。
村上春樹は、彼女の短編小説集2冊を翻訳している。
グレイス・ペイリーやレイモンド・カーヴァーは、村上春樹が入れ込むほどの作家には思えない。
同じアメリカ作家の、ジョン・アーヴィングやティム・オブライエンは別として。
もっとも、人の好みにあれこれ言うつもりは、僕にはない。
先日(2010年8月29日)、小説家の三浦哲郎が逝いた。享年79.
僕が初めて読んだ三浦哲郎の小説は、芥川賞受賞作の「忍ぶ川」(新潮文庫)だった。
そのあと、それ以前の短編を集めた文庫本も読んだ。
エッセイ風の本も含め、文庫本ばかり、10冊以上を読んだ筈だ。
しかし「夜の哀しみ」(新潮文庫・上下)で躓いてしまって、「百日紅の咲かない夏」(同)も買ったまま開いていない。
ただしその後にも出た短編小説集「短編集モザイク」シリーズ、3冊は読んだ。
一族の宿命を描く小説を大成した長編「白夜を旅する人々」など迫力があったが、その短編小説は絶品の味わいがあった。
もっと活躍を続けてほしい小説家だった。
角川書店「増補 現代俳句大系」第2巻(昭和56年・刊)より、軽部烏頭子(かるべ・うとうし)「樝子(しどみ)の花」を読みおえる。
原著は、昭和10年、龍星閣・刊。
昭和6年、水原秋桜子(独協中、一高、東大医学部、と同期だった)に従い、「ホトトギス」を離れ「馬酔木」に拠る。
水原秋桜子はその「跋」で、「これほど美しい俳句には無論現代に於て比肩するものはない。(中略)これだけ洗練された美しさを持ってゐれば、もうほかに言ふところは無いと思ふ」と、激賞している。
以下に5句を引く。
山車の灯を遠くながむる一家かな
茸狩るといでたつ妻の紺がすり
啼きいでゝ遠くもあらず鉦たゝき
麦笛にかゞやく路のあるばかり
かづきめに燕に浪はうすぐもり
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