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2013年2月の25件の記事

2013年2月17日 (日)

鈴江幸太郎「くろもじ」

 ずいぶん前、おそらく「BOOK OFF」の現れる前、金沢市の古書店で「鈴江幸太郎全歌集」(初音書房、1981年・刊)を買った。

 僕が買った初めての全歌集である。

 箱には、背に題名が印刷されているのみなので、写真を挙げない。

 これから1冊ずつを紹介して行こうと思う。

 まず初めの「くろもじ」を読みおえる。

 これは作者の10冊めの歌集だが、内容は初期歌集なので、最初に置かれる。

 原著は、1969年、初音書房・刊。

 「アララギ」に入会し、選者の選を得た、159首を載せる。

 以下に5首を引く。

照り出づる月にすがしき山々やこの峡底(かひぞこ)の道明るめり

潮曇り秀(ほ)に立つ波のつぎつぎに走りむかふは夜見が濱かも

杉むらのとよめる下の笹の音裏べは谷とおもひ寝にけり

青葉暮れてくだりをいそぐ下谷に鳴りそめし瀬は淸瀧ならむ

我の学資つくるとゆきし朝鮮におのれ炊ぎて過ぎし父はも

Photo
写真素材集サイト「足成」より、紅梅の1枚。

本文とは無関係。

2013年2月16日 (土)

前田普羅「飛騨紬」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第6巻(昭和56年・刊)より、6番めの句集、前田普羅「飛騨紬」を読みおえる。

 原著は、昭和22年、靖文社・刊。

 自序、215句、後記を収める。

 彼の句集について、第1巻所収の「新訂 普羅句集」については、2010年7月17日の記事で、第6巻所収の「春寒浅間山 増訂版」については昨年12月28日の記事で、少し述べている。

 「春寒浅間山」、この「飛騨紬」、それに「能登蒼し」(第8巻所収)と合わせて、3部作句集と自称する。

 「飛騨紬」について、ほぼ戦時下ながら、なつかしい景色である。

 以下に5句を引く。

雪とくる音絶え星座あがりけり

顔入れて馬も涼しや花卯木

栃老いて有るほどの実をこぼしけり

樹々の雪蹴つて山鳥色つよし

正月の下駄の音する飛騨の峡

Photo_2
写真素材サイト「足成」より、白梅の1枚。

本文とは無関係。

2013年2月15日 (金)

エッセイ集「カマキリの雪予想」

Cimg6776 日本エッセイスト・クラブ編「’06年版ベスト・エッセイ集 カマキリの雪予想」を読みおえる。

 文春文庫、2009年・刊。

 先の2月12日付け記事、「’05年版 片手の音」に続く本である。この2冊の購入を、1月30日付け記事で紹介してある。

 フランス文学者・保刈瑞穂(ほかり・みずほ)の「クレソン」は、フランス文学者の文章は違うなあ、と思わせる香気・気品がある。

 瀬戸内寂聴の「目白台のアパートの円地さん」は、円地文子との交流を描く。末尾近くに、川端康成をけなすような言葉(両名の、どちらの言葉か、ぼかしてある)があるが、故・ノーベル文学賞受賞者への嫉妬であろうか。

 時実新子(川柳作家 故人)、鳥羽脩(元モルガン信託銀行社長 故人)など、職業の後に(故人)と付く作品がある。エッセイの紙誌への発表のあと、文庫化されるまでに亡くなった方である。メッセージが重い。

2013年2月13日 (水)

下村槐太「光背」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第6巻より、5番めの句集、下村槐太(しもむら・かいた、1910~1967)の「光背」を読みおえる。

 今年1月19日付けの記事、「阿部みどり女『笹鳴』」に続く句集である。

 原著は、昭和22年、金剛発行所・刊。

 自序、340句、自跋を収める。

 この句集も、彼の師・岡本松浜の遺句集「白菊」(この大系にあり)も、彼の手に成る謄写版刷りであった。

 歌集・詩集の自費出版を引き受ける出版社は多く、クラス化(差別等級化)を図っている(出版費用がとても高い)ようだが、その2句集の評価は、その傾向に1石を投じるだろう。

 以下に5句を引く。

花つけし黄楊の籬や踰えにけり

斑猫(はんめう)のをしへはじめし花のみち

露しげくなりし焦土や菜虫とる

一陣の風を仰げば白椿

青梅や昼もやす火の澄みとほる

Phm02_0412
ダウンロード・フォト集より、雪景の1枚。

本文とは無関係。

2013年2月12日 (火)

エッセイ集「片手の音」

Cimg6772 日本エッセイスト・クラブ編「’05年版ベスト・エッセイ集 片手の音」を読みおえる。

 文春文庫、2008年・刊。

 60編、帯あり。

 先の1月29日付け記事、「’04年版 人生の落第坊主」に続く本である。

 エッセイスト・酒井順子の「四十手前は青春のホスピス」では、38歳独身に至る、幾つかの岐路を探っているが、「負け犬」と何十回も書きつける事はない。

 大学教授・藤原正彦の「逆転勝ち」は、ネット将棋を指して相手の時間切れで逆転勝ちした時、画面観戦の3人息子と共に大笑いする、というエッセイだけれど、あまりに品格のない内容ではなかろうか。

 否定的な事を書いたけれども、このエッセイ集には、感動的なストーリーが満ちている。

 僕はこのシリーズに出会えて、とても喜んでいる。

2013年2月11日 (月)

ブログ「新サスケと短歌と詩」

 僕はこのブログ「サスケの本棚」の他に、もう1つブログを持っている。

 アメブロことアメーバ・ブログで「新サスケと短歌と詩」と題する。

 上のブログ名をクリックすれば、ジャンプできます。

 自分の短歌の新旧作、ソネット形式の詩の新作、等を載せている。

 右サイドバーの「テーマ」という名のカテゴリ一覧から選んで、読んでくださってもよろしい。

 まれに自作以外の詩歌(短評を付す場合もある)を載せる場合があります。「新サスケ」ではないから。

 そちらへもまた、遊びにおいでください。

Phm02_0420
ダウンロード・フォト集より、雪景の1枚。

本文と無関係。

2013年2月10日 (日)

支部2月歌会

Imgp0049 今日午後1時より、某会館の1室で、「コスモス短歌会F支部」の2月歌会が持たれた。

 家にひとりでいた僕は、時刻をまちがえて早く来てしまい、近所のレストランでアイスコーヒーを飲んで、1時間待った。

 事前1首出詠15名、歌会出席者10名。

 あらかじめプリントされた1首ずつを、U支部長の司会で、指名された2名くらいが批評を述べ、支部長の講評と添削例・提示で、歌会は進んだ。

 途中で10分くらいの休憩を入れる。

 僕の1首は、支部長も批評者も、「〇〇さんらしい」と述べられる。自分では、どこが僕らしいのか、よくわかっていない。

 2個所、小さく直された。

 批評のあと、プリントに載せる小エッセイ「私の一首」の掲載者の順番を、あと2名決めるなどして、散会した。

2013年2月 9日 (土)

神子萌夏「白をあつめる」

Cimg6769 県内にお住まいの詩人・神子萌夏さんの詩集、「白をあつめる」を、詩誌仲間・AUさんを通して受け取った。

 2013年、ジャンクション・ハーベスト・刊。

 ビニールカバー装だが、光の反射が強いので、写真では外してある。

 「透き通ってゆく午後」、「植物系」に続く、彼女の第3詩集である。

 作品「ひこうき雲」の第3連に「ふつかごとにリセットされるいのち/フィルターで濾過される/わたしの日々のいとなみ」とあるように、彼女は週3日の人工透析を受けている。

 だから彼女は、生命にとても敏感だ。

 「約束」で受胎を歌い、「草の香り」でバッタの余命を気遣う。

 「ことばを探して」は、豊かなレトリックを用いた、優れた作品である。全6連の最終連のみを引く。

  「ことばを探して」より


ことばは増えたのに

うまく取り出せなくて

いまもわたしの海のなか

ひかる小魚たちが

ぐるぐるまわっている

2013年2月 8日 (金)

写真集「スポーツの未来」

Cimg6763_2 写真集「写真・絵画集成 日本スポーツ史 3 スポーツの未来」を見おえる。

 日本図書センター、1996年・刊。

 A4判、207ページ。

 先の2月5日付け記事、「2 近代スポーツの現在」に継ぐ本である。(右サイドバーのカレンダーの日付けをクリックしてください。ただし2013年2月内・限定)。

 民族的格闘技より発展した、サンボ、テコンドー、キックボクシング等が、紹介される。

 またこれまでの競技を複合化した、シンクロナイズド・スイミング、新体操、トライアスロン等。

 スノーボードも紹介される。2010バンクーバー冬季オリンピック、ハーフパイプで優勝したショーン・ホワイト選手の、ダブルマック・ツイストという妙技が思い出される。映像は覚えていない(動画サイトで見られるだろう)が、解説者の「これ以上の技は、科学的に人間には無理だ、とされています」というコメントが残っている。

 ハーフパイプの技は、早くも極め尽くされたのだろうか。

 知のスポーツ、囲碁・将棋では、何百年もゆっくりと(時に爆発的に)進化し続けている(僕の意見では)のに。

 これで「日本スポーツ史」シリーズ・全3冊も終いである。

2013年2月 7日 (木)

詩誌「アリゼ」152号

Cimg6761 兵庫県・在住の詩人・S陽子さんが送って下さった同人詩誌「アリゼ」より、昨日に続き、第152号を紹介する。

 2012年12月、アリゼの会・刊。63ページ。

 「アリゼ」は、兵庫県・在住の詩人を主な同人とする詩誌である。

 「乗船者名簿」と題する同人住所録には31名が、寄稿者は4名が載る。他には「船便り」と題するエッセイ・コーナー、表紙絵などから、「アリゼ」は帆船に関わる語だと思うが、僕の電子辞書ではわからない。わかる方、お教え下さい。

 K清仁さんの「草叢のようなかれら」は、(日本の現在の状況に照らしても)非戦の詩である。その序詞にヒゥーナーフェルトの言葉が載っている。この文では曾孫引きとなる。

 「第二次世界大戦中にヘルダーリンとハイデガーの作品を背嚢の中につめて、ロシアかアフリカのどこかで死んでいった若いドイツの兵士は、数えきれないほどであった」。

 僕はハイデガーの「存在と時間」(岩波文庫3冊)を読み進んで、第3巻の時間論は、僕の考えと違っていて読まなかった。

 これも岩波文庫の「ヘルダーリン詩集」を手に取ってみたが、「どこが良いのか」わからなくて、読まなかった。

 ヒゥーナーフェルトの言葉に拠ると、僕の感覚は正しいのだろうと、自信を持った。

 

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