ミニ薔薇3輪
キッチンの窓辺で、ミニ薔薇(元は真紅の花)が、秋の花を咲かせるようだ。
今年7月17日の記事(←リンクしてある)に続き、15回めの開花である。
途中で莟が1つ出来たのだけれど、暑さのせいか、うまくひらかなかった。
花容の小ささは、樹勢はあるのだけれど、鉢内で根詰まりを起しているせいだろう。
大きい鉢に植え直すと、ミニ薔薇の風情がなくなるので、むつかしい所だ。
左下の写真は、まだ莟だけれど、3日前くらいのもので、今はほころんでいる。
キッチンの窓辺で、ミニ薔薇(元は真紅の花)が、秋の花を咲かせるようだ。
今年7月17日の記事(←リンクしてある)に続き、15回めの開花である。
途中で莟が1つ出来たのだけれど、暑さのせいか、うまくひらかなかった。
花容の小ささは、樹勢はあるのだけれど、鉢内で根詰まりを起しているせいだろう。
大きい鉢に植え直すと、ミニ薔薇の風情がなくなるので、むつかしい所だ。
左下の写真は、まだ莟だけれど、3日前くらいのもので、今はほころんでいる。
2004年、砂子屋書房・刊。
彼女は「未来」他で岡井隆に、「みぎわ」で上野久雄に学んでいる。
前の3分の2程を、「源氏物語」のうち、41帖に依って詠んでいる。後の3分の1程は、生活を詠み継いでいる。
僕は華やかな歌よりも、前部分にもある生活詠に惹かれた。
「悔ひつつも」「指適されたり」の表記があり、僕は誤りだと思う。編集・校正の途中で、著者も編集者も気付かなかったものか。
以下に6首を引く。
何色の花であるとも決めかねしあぢさゐの寄る雨の夕ぐれ
各々がその罪なじり合ふごとし書棚を崩れて散乱の本
傾きてならぬおもひを支へつつ地下の駅より登りてきたり
鍵盤に向かへばいつきに柔らかな翼をひらく童のをとめ
清やかなる香に立つ芹を食べをれば誰そに思はれゐる心地する
翅ひらく小鳥のやうに手をのべて抱かれにくる姉となりし児
大和書房「斎藤史全歌集」(1998年5刷)より、4番めの「朱天」を読みおえる。
8月16日の記事で紹介した、「「新風十人」より」に続く。
原著は、1943年、甲鳥書林・刊。364首(全歌集版では348首)。
多くの戦争詠を含むが、全歌集でも隠さなかった。ただし16首を削り、ある歌人は改作の疑いを示した。
以下に5首を引く。
思ひあまる事ひとたびは切りすてて身づくろひなし出てゆく我は
心飢ゑわが呼ぶ声のけものなし霞の奥におちてひびかず
われら行く道まさやかに示されぬ撃ちてやむべし勝ち終るべし
いのちありてシンガポールを踏みし兵を思ふに我も涙せきあへず
微小なる我らが生を思へらくいのちはいよよしろじろと燃ゆ
(1部、旧漢字を新漢字に替えた所がある)。
国語系の国語辞典、漢和辞典の他に、脇役辞典と呼べる辞典類があって、僕も幾つか持っているので、以下に紹介したい。
ただし僕が創作や読書に用いるのは、電子辞書の「広辞苑 第六版」などが多い。
上記の辞書は、ときたまぱらりと開いて、知らなかった語、なじみの薄かった語などを見つけて、楽しむのである。
写真は、「萩原朔太郎全集」第13巻(書簡集)である。もう20年以上も前かに買った本である。
当時の僕は貧しくて(今も貧しいが)、5巻本の裸本の朔太郎全集を買って、第1巻の全詩集を読み、アフォリズム集などは読まなかった。
書簡集が欲しくなり、函汚れ・本体背痛みのこの本を、ようやく買えた。
朔太郎(1886年~1942年)の、明治45年(27歳)までの書簡、25通を読みおえる。
学校も止めて、仕送りで暮らす有閑階級ながら、妹・津久井幸子に宛てた延々たる演劇評など、青年の孤独な鬱勃たる思いが伝わる。
明治45年の書簡には、その妹に宛てた長い手紙2通と、従兄・萩原栄次に宛てた葉書1枚のみ残っており、朔太郎の孤独な生活が思われる。
宮城県にお住いの詩人、秋亜綺羅さんが、詩集「ひよこの空想力飛行ゲーム」を送って下さった。
思潮社、2014年8月・刊。
彼は前の詩集「透明海岸から鳥の島まで」(思潮社、2012年・刊)で、丸山豊記念現代詩賞を受賞している。
また個人誌「季刊 ココア共和国」を発行していて、ここ数号を僕も頂いており、このブログで紹介している。
この詩集には、2012年~2014年の作品、16編が収められる。見開き2ページに納まる詩や、数ページにわたる長い詩、2編の散文形式の詩がある。
冒頭の「青少年のためのだからスマホが!」は、双六ゲームなどに絡めながら、東日本大震災と生を描いている。
最後に置かれた「来やしない遊び友だちを待ちながら」(副題 または伊東俊への弔詩)は、初出の「ココア共和国」15号が届いた時にも、このブログで紹介した。冒頭の5行を引用する。
あなたが海底に住むニワトリだったら1を
あなたがきこりを食べるシロアリだったら2を
あなたが日曜ごとに布団を干すカブトムシだったら3を
押してください
最期に#を押してください
「~だったら」までのシュールと、「~〇を押してください」という電話自動音声の先端風俗を結びつける、インスピレーションを得た時、彼の心はどんなに躍っただろう。
散文形式の「秋葉和夫校長の漂流教室」の中で、「たとえ誰にも書けなかった詩を書くことができたとしても、世界で初めての仕掛けをひらめいたとしても、…」と書いているくらいだから。
かつての同人詩誌「螺旋」を合本製本してもらうため、先月7月24日に「宮本印刷」へ伺い、今月12日に受け取った。料金は僅かなものだった。
僕は「宮本印刷」で同人歌誌「棧橋」(今年6月1日・記事)、同人詩誌「群青」第21号~第30号(今年7月9日・記事)を合本製本してもらっている。
以前には「群青」のそれまでの号や、「F県詩人懇話会会報」も同様にしてもらった。
詩誌「螺旋」は、思っていたより欠号が多く(県立図書館へ寄贈した関わりもある筈だ)、第9号(1980年7月・刊)、第14号~第18号、第20号~第60号(1996年3月・刊、冬眠に入る)の47冊がある。
表題は印刷してもらえないので、手元のテーププリンターでラベルを作り始めたが、テープがなくなり、Amazonへ注文してテープを取り寄せた。
合本製本すると、冊子の散逸がなくなり、作品を調べやすい。
写真は、初めの巻と、しまいの巻の、表紙である。
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