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短歌結社誌「コスモス」2014年11月号の、「あすなろ集」通常欄(特選欄を除く)を読みおえる。
今号の初めより「COSMOS集」(「その二集」「あすなろ集」の特選欄)までの読了は、先月10月31日の記事(←リンクしてある)で、報告した。
ここで「コスモス」のクラスを紹介すると、トップより「月集スバル」「月集シリウス」「その一集」「あすなろ集」「その二集」の、5クラスがあり、各クラスに特選(別欄)がある。
僕のいるのは、真ん中の「その一集」である。各会員は、選歌数や昇級を競っている。
僕が「あすなろ集」より付箋を貼ったのは、次の1首。栃木県のS・よしさんの4首より、以下の作品である。
生徒らはプールにありてはトビウオに陸では囀る鳥になりたり
元気で仲の良い、少年少女の姿に、僕はホッとする。
仙台市にお住まいの詩人・秋亜綺羅さんが、季刊個人誌「ココア共和国」vol.16を送って下さった。
2014年11月、あきは書館・発行。
同誌・vol15は、今年5月8日の記事(←リンクしてある)で紹介した。
その間に詩集「ひよこの空想力飛行ゲーム」の出版と、それによる「丸山豊記念現代詩賞」の受賞が挟まる。
vol.16でも多くの詩人の詩を招待しているが、冒頭だけで後は読まなかった作品がある。
(その良さが)自分に判らない詩を、理解しようと苦しんでまで、読むことはない、と最近の僕は思っているからである。
高階杞一(たかしな・きいち)さんの「雨になる日」は、彼がほぼ同世代のせいか、親しみやすい。リアルな語り(内容はフィクションかも知れない)で、無理して(?)顔文字を入れたりしている。
秋亜綺羅さんは、高階さんと同年生まれである。「時刻表にないバス」は、現代風俗を、ユーモラスなレトリックをもって語っている。
彼の「寺山修司論まで時速四キロ①」は、彼が詩と寺山に出会ったことから、寺山修司・三島由紀夫の対論をメインに、論を始めている。今後を期待する。
県内の詩人、T・篤朗さんが同人詩誌「果実」71号を送って下さった。
県内の教員・元教員5名を同人とする。
詩では、W・本爾さんの「天高く、そんな気がする」他1編、N・明徳さんの「ゆで玉子」他1編、K・不二夫さんの「消しゴムの匂い」他1編、F・則行さんの「おこうこ」他1編、T・篤朗さんの「尋ね人の時間」他4編、計13編を載せている。
また3名3編の随筆を載せる。
詩では、レトリックを用い、世相(家族を含む)や世代感を反映させた作品より、思いついたアイデアを単純に展開した、N・明徳さんの「ゆで玉子」に好感を持つ。ただし同氏の「たばこの匂い」は、五七調(七五調)への後退で、詩ではこれはいけないと考える。
「果実」も70号記念を越えて、新しい踏み出しである。伝統ある詩誌の将来を読みたい。
頂いた事を1昨日の記事で書いた4冊のうち、詩誌「天彦(あまびこ)」7号を紹介する。
会員13名のうち1名を除いて、全員が若狭地方在住である。
Y・万喜さんの「六十の手習い」は、子供の時に親にせがんだが行けなかった書道塾へ、五十年を経た還暦になって通い始めた事情を述べて、感慨深いものがある。
U・肇さんの「里山賛歌――記憶は残っていた」は、会代表の金田さんの影響を受けたか、民俗学的な視線だ。若狭には古い習俗が多く残っているのだろうか。
N・六さんの「金田さん」は、内容で詩になじんでいないと謙遜するが、自ずからなるリズムがあって、好感を持った。
S・博美さんのエッセイ「大つごもりの市」は、カンボジアでの年越しを描いて、優れた紀行エッセイである。
先日、郵便配達員が玄関のチャイムを鳴らし、「郵便受けに入らないので」と、分厚い大きな封筒を渡してくれた。
若狭に住む詩人・民俗学者の、金田久璋さんが、4冊を送って下さったのだ。
「角」第34号、「天彦(あまびこ)」7号は、若狭を中心とする詩誌であり、いずれも金田さんが実務を執っている。
「リアリテの磁場」(351ページ)と、「詩論と世論の地場」(279ページ)は、詩論ほかの評論集である。
このブログの読者にはお判りの方もいるだろうが、僕が読むのは詩歌句集・写真集がおもで、エッセイなら読まないでないが、小説を読むのは難渋している。
さらに評論集では、読む気力と体力がない。これら2冊の評論集をいつ読めるか、今は当てがない。せっかく送って下さったのだけれども…。
彼が、詩集と民俗学論集の他の、散文を本にまとめておきたくなった心境は、自分にもよく判るつもりである。
「宮本印刷」より100部を受け取ったのは、10月21日で、すでに10日以上を経ている。
詩は順番に、僕の「脇役辞典」、AUさんの「橋」、こぐま星座さんの「無料のすごいサービス」である。
エッセイは、AUさんの「表現者とは」(1ページに収めるため、字を小さくしなければならなかった)。
10年30号の節目を越えて、成り行きはありながら、新しい1歩の踏み出しである。
なお僕の詩「脇役辞典」は、もう1つのブログ「新サスケと短歌と詩」(アメブロ)の、10月24日付け記事(←リンクしてある)で、読むことが出来る。
縦書きの詩が、横書きにはなっているけれども。
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