積み上げてある本の中から、以前に買った、「斎藤史全歌集」(大和書房、1998年5刷)を引出して来て、初めより読み始めた。
斎藤史(さいとう・ふみ、1909年~2002年)の第1歌集は「魚歌」(1940年、ぐろりあ・そさえて刊、376首)。
彼女は初期、のちに「日本歌人」を創刊する、前川佐美雄らと歌を共にした。
「魚歌」の作品はモダニズムである。しかしよく知られているように、2・26事件に父が連座し、同級生・下級生が処刑された。
表現の自由は保障されておらず、父が陸軍将校だった立場もあり、韜晦的に詠うしかなかった。
以下に6首を引く。
白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう
せめて苦悩の美しくあれ爪に染む煙草の脂(やに)を幾度ぬぐふ
岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた
野に捨てた黒い手袋も起きあがり指指に黄な花咲かせだす
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
をりをりは老猫のごとくさらばふを人に見らゆな見たまふなかれ
(漢字の旧字を新字に替えた所があります)。
Amazonより取寄せた、小島ゆかりさんの第12歌集、「泥と青葉」を読みおえる。
2014年3月、青磁社・刊。
僕は「小島ゆかり作品集」と、その後の歌集すべてを(「純白光」を除く)読んで来た筈である。
家族、震災・原発事故、他を詠って、大胆な表現がある。
猫を飼っているせいもあってか、原発事故後に放置された牛、豚、鶏、犬等に低い視線から、語りかけるように詠っている作品もある。
また象牙密猟のためのマルミミゾウ虐殺に憤る、10首連作もある。
以下に6首を引く。
抜け出づる魂をつかみもどすごと手にまるごとの無花果を食む
岩鼻から飛びたるわれを夫は褒め子らは驚き母は嘆きぬ
春昼のここはどこなる 死を知らぬ者はすべてを知らぬ者なり
男にはわかるはずない憤懣をわかる男たまにゐて警戒す
猫としてわがかたはらにゐてくれるあなたはだれか青い夜の雪
あきらめの選択、白鳥にもありて三羽遊べり新緑の池
2011年、六花書林・刊。355首。
関谷啓子(せきや・けいこ、1951年・生)さんは、「短歌人」「開放区」同人。
既に5冊の歌集を上梓していて、短歌結社に20年いながら1冊の歌集も出せない僕とは、違うのだ。
彼女は主婦の穏やかな生活ながら、時に強く、時に鋭く、詠い出す。
以下に6首を引く。
桃の木に思春期というものありやなし空にするどく枝差し入れて
あらあらと風吹く街に火のごとく流れてゆけり桃の花片(かへん)は
ふつふつと愚痴吐きている黒しじみ一息に鍋に入れてことなし
夫の病に張りつめ暮らす秋の日は何のはずみにか涙出でつも
夕空にながれる雲を追いながらどこに行くのかわれと自転車
むすめ嫁ぐ日の近づきて夜な夜なを語れりかたることの尽きざり
結社歌誌「コスモス」2014年7月号の、「その一集」通常欄を、末まで読みおえる。
外国(カナダ、台湾、タイ、ブルガリア)を巡って、北海道に入り、1路南下して鹿児島県に至る(残念だが「その一集」には、沖縄県の出詠者がいない)。2段69ページとなる。
僕が付箋を貼ったのは、宮城県のS・実さんの、次の1首。
収奪をされ続けたる牛ならむその乳も肉も皮も爪まで
家畜はいつまでも養うことはできず、いったん屠殺したなら、すべて利用するのが(ゴミとして捨てずに)、家畜への礼儀ではなかろうか?
2011年、六花書林・刊。329首。
中地俊夫・選・跋文、小池光・帯文。
井上春代さんは、1948年・生、1991年・「短歌人」入会。
彼女の歌は、歌集題名にもあるように、明るい作品が多い。
ただしその危うさを知っており、明るければ幸せとは限らないと、歌の中でも詠っている。
「あとがき」では、歌に救われた道筋を、自覚している。
以下に6首を引く。
「実験」と子はビー玉を転がして家に傾きあるを指摘す
コロッケが大好きと言いつつ少年はたちまちにして七個食いたり
夫がいて子がいて未だ淋しきと言えば褪せゆく風の曼陀羅
( )つき数式のように物事を難しくして生きていないか
鶏卵を産み落とすごと製氷皿みたす氷の音のくらぐら
アミノ酸のご機嫌うるわし百回もまわせば納豆ねばりてやまず
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