カテゴリ「歌書」の467件の記事 Feed

2012年10月 4日 (木)

「コスモス」10月号

 結社歌誌「コスモス」2012年10月号を、いつもの所まで読む。

 初めより、「その一集」特選欄までと、「COSMOS集」、「新・扇状地91」等である。

 「日本語こぼれ話 7」では、小島ゆかりさんが「いきなりの系譜」と題して、美川憲一の歌い出し「いいえ 私は 蠍座の女」の分析から、3歌人の6音初句切れの3首へ話題を持って行き、「『いきなりの系譜』の歌人たちは、ひるまない」と結んでいる。

 僕が付箋を貼った1首は、「COSMOS集」から「あすなろ集」特選のM節子さん「青梅雨のひる」5首(120ページ下段)の内の1首である。

降りつづく青梅雨のひる床を拭く屈まるわれの背にインコのせ

 慣れまつわるインコに、苦労と孤独を慰められているようで、他の4首と共に、静謐な心を思わせる。ペットを飼えない僕には、羨ましくさえある。

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ダウンロード・フォト集より、清流の1枚。

本文と無関係。

2012年10月 3日 (水)

春日井建「友の書」

 砂子屋書房「春日井建全歌集」(2010年・刊)より、第6歌集「友の書」を読みおえる。

 原著は、1999年、雁書館・刊。

 1987年~1996年(49歳~58歳)の作品、387首を収める。

 彼の壮年時代にあたり、また国内、外国で幾人かの友人に恵まれ、歌集の題名ともなった。

 また老いた母を詠んで優しい。

 以下に7首を引く。

近づける死を手なづけし算段も商人(あきうど)なれば巧みなりしよ

されど肉は悲し汀にうち伏して火照る躰をしづめかねゐつ

さなきだに虚無の光ると見てゐたりダイヤのピアスある彼の耳

いかなる神も持たぬ誇りとさびしさや青のモスクに額を伏すとも

これ以上衰へてならじと起き出でて母が散歩に行く坂の径

知りゐしは人の一部に過ぎざりし当然を強き雨叩きゐる

路上こそわが家と言ひし若き日の流竄を今にもてあましつつ

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ダウンロード・フォト集より、紅葉の一枚を。

10月に入ったが、当地は今日も、夏日だった。

2012年9月27日 (木)

春日井建「水の蔵」

 砂子屋書房「春日井建全歌集」(2010年・刊)より、第5歌集、「水の蔵」を読みおえる。

 原著は、2000年、短歌新聞社・刊。

 作品は早くまとめられた(1984年~1987年頃の作品)ものの編集が中断した。

 1999年、咽頭癌により入院した際、第6歌集「友の書」、第7歌集「白雨」をまとめた折り、「水の蔵」も形としたいとの著者の願いにより、上梓された。

 著者40歳代後半の、ダンディズムと身力が横溢している。

 以下に5首を引く。

超高層の窓ゆ見てゐつ向う側の会議の卓は図面を拡ぐ

ディケンズの原稿の文字よどむなし窓の辺に蔦かづらは垂れて

物書くは返報とおもふわれのため晴夜暗夜を充たしめたまへ

遠ざかりまた巡りくる友誼とも走りきたらむ彗星の核

湯にしづみ夜の白雲見てあればわれに猶予の時あるごとし

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ダウンロード・フォト集より、清流の1枚を。

当地は、今日も暑い。

2012年9月25日 (火)

「歌壇」10月号②

 昨日に続き、「歌壇」2012年10月号を読んで、気づいた事、感じた事を。

 「短歌と随想⑩」の中の、松坂弘さんの随想「歌と書の繋がり」では、「万葉集」の時代から筆で和歌を書く事だったらしい。今は詠草を筆で書く事はなく、もっぱら万年筆を用いるのだろう。

 しかし僕の「コスモス詠草」は、印刷である。「コスモス」の詠草用紙枠に、ワードのレイアウトを合せて、白紙を作っておき、それをUSBメモリより取りだして詠草を書き、プリンタで印刷している。修整(推敲?)、入れ替え、並べ替えに楽だが、伝統を大事にする人は、嫌がるかも知れない。

 島田修三さんの「古歌そぞろ歩き⑦秋」の初めの方で、「佐藤晴男の『秋刀魚の歌』」とあるが、佐藤春が正しい。何重ものチエックを経たのだろうに、かの作家も忘れられつつあるのか。

 水上比呂美さんの「カジン、ナガイキ」7首には、これまでにない新しい感性がある。

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写真素材集「足成」より、紅葉の1枚を。

本文と無関係。

2012年9月24日 (月)

「歌壇」10月号

 今月18日に、このブログで購入を紹介した、「歌壇」(本阿弥書店)2012年10月号を読みおえる。

 巻頭作品20首では、佐伯裕子さんの「不在/次の世」に好感を持った。中で、

地の霊を払いて建ちし清潔なコンビニエンスの老いゆく速し

の様は見かけるけれど、改装したり、ビルドアンドクラッシュ(これでいいのかな?)を繰り返したり、するんだろうな。また、

篤く病む友に問われて請け負いぬ確かに確かに次の世はある

の「請け負いぬ」は、「請け合いぬ」の方が正しいだろう。

 三井修さんの「歩幅」20首では、「白花」に「びゃっか」と、「新星」に「にいぼし」と、それぞれルビを振っているが、広辞苑にはない訓で(「訓む」という語もないが)、少し苦しいようだ。

 続きは、明日以降に。

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2012年9月18日 (火)

歌誌2冊

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 一昨日(9月16日、日曜日)の午後、書店「SuperKaBoSワッセ店」へ行き、総合歌誌「歌壇」(本阿弥書店)10月号を買った。前以って電話を入れ、棚にある事を確認した上である。毎月15日頃に棚に出るのだが、その日が土曜日だったので、心配したのだ。

 そのあと店内を長いあいだ巡ったが、他に買いたい本は無かった。

 今日(僕の指定休日)の午後、結社誌「コスモス」10月号が届いた。

 僕の短歌は、(10首出詠のうち)3首掲載だった。

 また先の8月20日の記事で紹介した、同誌9月号はそのあと、「その一集」全部を読んだ。早く届いた事と、夏休みがあったので、読書時間が多かったのか?

2012年9月17日 (月)

春日井建「青葦」

 砂子屋書房「春日井建全歌集」(2010年・刊)より、4番めの「青葦」を読みおえる。

 原著は、1984年、書肆 風の薔薇・刊。

 1963年・25歳で歌と別れた彼が、1979年・41歳で歌作・再開、中部短歌「短歌」の編集発行人を引き継ぐ。

 歌作・再開は、三島由紀夫の死(1970年)、大事な友の死があり、父の死が「充填された銃の引金をひかせることとなった」(「あとがき」より)。

 結社誌の編集発行人を引き継いだのは、父の遺志か、残された会員の意志か、彼の老母への憐みか。「この短い期間の心理的事件は、私にとっては不可思議かつ不条理だったが、表向きには自然にことが運んだ。」と彼も多く触れられたくないような、「あとがき」である。

 以下に5首を引く。

蕩尽のはてに帰りし体には馴染まむとせぬ家具の影さへ

秋雷の一閃ののち闇ふかし忘じ難きは人にはあらず

うちつけに黄葉吹きあぐるつむじ風われに老いたる母一人ある

運不運ともに搬ばれゆくならむ旅の鞄はわれになじみぬ

住む場所のいづこにもなき悲しみに砂漠清しと言ひしロレンス

2012年9月 8日 (土)

春日井建「夢の法則」

 砂子屋書房「春日井建全歌集」より、3番めの「夢の法則」を読みおえる。

 原著は、1974年、湯川書房・刊。

 3編の詩と、80首の短歌を収める。

 短歌はすべて、第1歌集と同時期、つまり彼の17歳~20歳の時の作品である(解題等に拠る)。

 短歌創作より遠ざかっていた彼の、若年時の作品への愛惜とともに、何らかの人間関係・経済的関係があったのだろう。

 以下に4首を引く。

口を衝くなべてが怯えし声となる水ふくむ青き叢雲の下

水栽培の白き根毛に日がさして性を育む季節あかるし

純潔の時はみじかく過ぎ去らむわれに透過光するどき汀

今きみと歩みてあれば月のさす並木の影に熱中しゐむ

 この全歌集の栞を読んだ。監修の4氏を含む8氏が追悼の文を寄せている。亡き歌人の、歌と人柄の美質を誉め讃えて。

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ダウンロード・フォト集より、湖の1枚。

本文と無関係。

2012年9月 2日 (日)

春日井建「行け帰ることなく」

 砂子屋書房「春日井建全歌集」(2010年・刊)より、2番めの「行け帰ることなく」を読みおえる。全歌集は1ページ8首組で、読みやすい。

 原著は、1970年、深夜叢書社・刊。

 以下は、解題による。「三十一歳の夏に刊行された第二歌集『行け帰ることなく』は、ニ十歳から二十五歳までの作品三百五十首と、第一歌集『未青年』を併せ、全歌集として発表された」。

 彼の「歌の別れ」の表明だった。

 彼は異端の性を生きながら、以後、テレビ・ラジオ・舞台の仕事を多く手掛けるようになる。

 以下に6首を引く。

身をすさりわれに悪罵を吐く女ひいなおろしの舞ひすすみつつ

鬼火たくわれ見つつ遂に無言にて現世(うつしよ)を母は過ぎて行きけり

わがうちの追憶街に燈(ひ)はともりポオの少女妻仄かに歩む

石を挽く白きてのひら墓つくるその寂しさに涸れて巨きく

山麓の町にそだてば草食獣のやさしく怯えやすき眼をもつ

老いらくの父母の途方にくれし手が追ひくるごときこの雪しぐれ

2012年8月28日 (火)

春日井建「未青年」

Cimg6371_2 「春日井建全歌集」を読み始める。

 砂子屋書房、2010年・刊。

 箱、帯、本体にパラフィン紙カバー、栞あり。

 全9歌集と、年譜・解説・解題・初句索引を収める。

 彼の本を僕は、国文社・現代歌人文庫で正・続の2冊、思潮社の追悼版「春日井建の世界」を、読んだきりである。

 彼には多くの批評、評伝があるだろうが、僕は読んでいない。畏れ多い、おこがましい、などの言葉が胸内に飛び交うが、拙い感想を書き綴っていく積もりだ。

 彼の第1歌集「未青年」を読みおえる。

 原著は、1960年、作品社・刊。彼の17歳~20歳までの短歌、350首を収める。三島由紀夫が序文を寄せた。

 性的傾向から、世への反逆者を志向するようだが、両親とも歌人であるなど良家に育った彼には、踏み込めないようだ。

 自分の思いに素直だという意味で、健康的である。

 以下に6首を引く。

テニヤンの孤島の兵の死をにくむ怒濤をかぶる岩肌に寝て

火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ

失ひし心かなしみ歩む背に綿雪の死衣が被さりてくる

額髪が風にみだれて荒くれの弟子は無瑕の夜を憎むなり

軟禁の友を訪ひゆく夜くらく神をもたねば受難にも遭はず

わが肩に垂れて青年の掌のごとき緑の房よ葡萄樹のした

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