« 2008年11月 | メイン | 2009年1月 »
古書店連合サイト「日本の古本屋」を通して、福岡県の「古本センター」に注文した本、「木下杢太郎日記」5冊揃いが届いた。
1979年頃、岩波書店・刊。
この5冊を2,300円で買ったのだが、「日本の古本屋」のこの集の一覧では、2,300円から12、000円までの値段が付いていた。
僕に届いた本には、箱に染みがあったが、初めからカバーや帯は無かったようである。
するとこの値幅は、本の状態によるのではなく、古書店主の評価の差だと思われる。
文学史的に、また当時の世相を覗うに、貴重な本だと見るか、1線級ではない詩人(現在の評価では)の日常些事が述べられていると見るか、評価が様ざまなのだろう。
写真は、5冊の箱の背である。
今日ようやく、1年の仕事を納めた。忙しかったが、数年前よりはずっと楽で、様変わりの作業量だった。
小川亮作・訳、岩波文庫、1987年34刷。
帯つき、173ページ。
この本には、11世紀ペルシアの詩人、オアマル・ハイヤームの作った(疑念を残す作もある)、ルバイヤート(4行詩の1形式)の143篇が収められている。
彼はこの集で、人生のむなしさ、はかなさを歌い、酒と恋による慰めを歌っているが、なにか楽しそうな書き振りだ。
巻末の解説は長文で、オマル・ハイヤームの生涯、彼のルバイヤートが世に広まった経緯、邦訳の歴史、ルバイヤートの韻などが述べられているが、僕はそれらにあまり興味がないので、ほとんど読まなかった。
僕の最もお気に入りの1篇を、以下に引く。
ルバイヤート 35
若き日の絵巻は早も閉じてしまった、
命の春はいつのまにか暮れてしまった。
青春という命の季節は、いつ来て
いつ去るともなしに、過ぎてしまった。
敦賀市に在住の詩人・岡崎純さん(「福井県詩人懇話会」代表)が、同人詩誌「角」第16号を送って下さった。
「角」の同人は、おもに若狭の書き手である。
岡崎さんは、詩「かぼちゃの根」を寄せていて、かぼちゃの根に芽つぎしたきゅうりの苗は、かぼちゃの性質が出ると書いて、終末の3行、
かぼちゃのつもりで
きゅうりを次つぎと
実らせている
は、貶しているのか、感心しているのか。
誌中、最も高度な(優れているかどうかとは、別の観点)詩と思われる、玉井常光さんの「海の時間」より、初めの2行のみを引く。
海の時間
玉井常光
海にはまろやかな時間がある
寄せてくる白い言葉と引いていくたたずむ心
家高勝さんは、「僕の懐かしシネマ館 5」と題する長文で、フェリーニ監督の作品を、熱っぽく語っている。
こぐま星座さんが、福井県内の書き手を中心とする同人詩誌「木立ち」の、第102号を送って下さった。
こぐま星座さんは、僕が編集する二人詩誌「群青」の相棒だけれど、「木立ち」にも第101号より参加したのである。
同人9名、8篇の詩と1篇のエッセイを載せている。
こぐま星座さんの詩「河和田漆器『こま膳』」は、落蝉を特攻機に喩え、己が身になぞらえている。
川上明日夫さんの「月草」は、1行の字数を1定にした、特異な詩である。亡くなった詩人・広部英一さん(元「木立ち」編集発行人)の晩年の作風を発展させたものだろう。
「シアン」を寄せている中島悦子さんは、先ごろ上梓した詩集「マッチ売りの偽書」で、声価を高めた。
先日、文庫本蔵書のデータベースへの入力が、1,500件に達した。
今年9月4日のブログ(カテゴリは「本・新聞」)で、「1,300件に到る」という題の記事を載せているから、入力は遅々としている。他にする事がない暇に打ち込んでいるからである。
文庫本蔵書データベースは、今年うちにどころか、年度末の3月末にも、終わりそうにない。
文庫本蔵書は、これまでの予想の2,000冊を越えて、2,500冊くらいになりそうである。しかも、文庫本の全集(「宮沢賢治全集」10冊など)や、全集端本(「岡本かの子全集」端本など)を、除いての数である。
弥生書房「リルケ全集」(7冊本、昭和48年頃・刊)の第1巻「詩集Ⅰ」を読みおえる。
箱、箱に紙カバー、551ページ。
この「詩集Ⅰ」には、7冊の詩集が収められている。
リルケは、思想的には、封建主義的・キリスト教的な反動のようである。たとえば、貧しさの賛美など。
しかしリルケの偉大さは、それにはかかわらず、社会的事象には一切関わらずに内面を見詰めて創作を続けた、詩人の典型だったことにある。
7詩集のうち、僕は「初期詩集」と「マリアの生涯」に、好感を持った。
「初期詩集」では、娘たちの心情を代弁して清しく、「マリアの生涯」は厳粛である。
この続きも、これまでと同じく、応接間のソファーで煙草を吸いながら、少しずつ読むことになるだろう。
牧羊社「現代俳句選集Ⅵ-45」島由紀子・句集「船路」を、読みおえる。平成3年・刊。
箱、帯、本体にパラフィン紙カバー。
1ページ2句、241ページ。
父親が戦死し、母親に育てられ、結婚したが夫は38歳の若さで急逝、のちに頼りの母親も亡くなるという、苦労のなかで、俳句に出会いいそしむことで生を潜り抜けてきた彼女の、第1句集である。
どうも第3句を、名詞で止めた作品が多いようだ。残りも、かな・たり・けり・の切れ字で止めた句があり、動詞・形容詞・助詞・で止めた句がほとんど無い。名詞で止めると、句の据わりが良い。俳句は短歌と違うから、余情に流れるのを忌むのだろうが、気になって読み進みにくかった。
以下に3句を引く。
月見船鳴門海峡折り返す
たてよこに水搏ち合へり夏の堰
左義長のけむり怒濤に紛れ入る
と言っても、喪中なので、注連縄や、年賀状に押す干支のスタンプは、買わなかった。
ホームセンター「みった」にて、葉牡丹の3株寄せ植えを買う。門松は立てられないので、毎年、これを玄関脇に飾っている。
同店で、携帯灰皿を買う。これまでの物が、傷んできたので。職場でも、煙草を吸いにくくなった。
「カメラのキタムラ」で、ポケット・デジカメ用のケースを買う。これまでの物が汚れて、拭いても汚れが取れないため。
クリスマス・ケーキは、スーパーストア勤めの友人を通して、予約注文してある。
拙作を1首
例年の如く葉牡丹飾り得つ年を迎へむこころ定まる
「コスモス」1994年3月号より
「コスモス」に入会して、初めて誌上に載った2首のうちの、1首である。
最近のコメント