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2010年7月の28件の記事

2010年7月18日 (日)

「増補 森川義信詩集」

002  3日前の7月15日の記事で、購入を報告した、鮎川信夫・編「増補 森川義信詩集」を読みおえる。

 国文社、1991年・刊、紙カバー、帯。

 記事が重複するが書くと、森川義信は、戦前「荒地」グループの1員で、昭和17年、ビルマで戦病死、25歳。

 この本の初めには、彼の写真(もちろんモノクロ)があり、いがぐり頭の田舎の青年である。

 この詩集を通読すると、初期の新体詩から、モダニズム詩へ移り、召集前の新しい詩(実存的、表現は超現実主義的)となる。

 内容は時代を映して暗く、悲痛である。

 以下に「衢にて」の後の部分を引く。

   衢にて

     (前略)

もはや

美しいままに欺かれ

うつくしいままに奪はれてゐた

しかし最後の

膝に耐え

こみあげる背をふせ

はげしく若さをうちくだいて

未完の忘却のなかから

なほ

何かを信じようとしてゐた

2010年7月17日 (土)

前田普羅「新訂 普羅句集」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第1巻(昭和56年・刊)より、前田普羅「新訂 普羅句集」を読みおえる。

 原著は、昭和9年、素人社書屋・刊。

 前句集の「普羅句集」より139句、それよりの161句を選び、「新訂」の字を付して発行したとある。

 僕にはあまり合わず、付箋を貼ったのは、1句のみである。

雪垂れて落ちず学校はじまれり

 雪国に住んでいない人には、わからないかも知れない。屋根雪がずり下がってきて、庇よりはみ出しながら、落ちないでいる状態を描く。

 彼が平凡に思える句を吟じたのは、ジャーナリストという職業が関わったのかも知れない。

2010年7月16日 (金)

「漱石詩集 印譜附」

003  僕の古い蔵書に、「漱石詩集 印譜附」がある。

 岩波書店、大正8年・刊。

 小さな秩に2分冊が入っている。

 1冊は漱石の漢詩集で、原文では僕にはわからない。吉川幸次郎の注釈による漱石詩集を、岩波新書で読んだことがある。

 もう1冊は、漱石の印譜集で、これが貴重である。

 見開き2ページの左側に印が捺してあり、右側のページは空白である。

 全28ページに印が捺してあるが、1ページに2つの印が捺してあるところもある。

 朱のにじみ具合などから、印刷ではなく、1つ1つ印を捺したようだ。

 僕の数少ない稀覯本のうちの1冊である。

 写真は、2番めの「漱石」の印。

2010年7月15日 (木)

「増補 森川義信詩集」

002  出版社「国文社」のホームページより注文していた、「増補 森川義信詩集」が届く。

 1991年・刊、紙カバー、帯。

 彼は戦前「荒地」グループの1員で、昭和17年、ビルマで戦病死、25歳。

 戦後詩をリードした「荒地」グループのイデオローグ、鮎川信夫が詩と散文で、森川義信の人柄と詩を紹介し、称揚して止まなかった。

 この版の詩集も、鮎川信夫の編集による。鮎川も亡くなり、森川義信の詩集は、この版が最後だろう。

 「鮎川信夫全集」(全8巻)の第7巻を読んでいるところなので、この詩集の発行を見つけた時、(本の買い過ぎで)小遣いがピンチなのだけれども、借金をしてでも(と言うのは嘘で)、乏しいヘソクリを取崩してでも、と思って買った。

2010年7月14日 (水)

近藤篤「荒島岳」

003  福井市に在住の歌人、近藤篤さんの歌集「荒島岳」1冊が今、「コスモス短歌会福井支部」会員のあいだで、回覧されている。

 息子さんが編集され、発表された作品の、約半分を収める。

 近藤篤さんは、1910年生れ、東京大学法学部卒、福井の近藤覚商店に入り婿し、事業を継ぐ。

 60歳の時に奥様を亡くされ、短歌に近づき、1970年より2004年まで「コスモス短歌会」に在籍し活躍した。

 彼は齢を重ねても毎日のジョギングを続け、「日本野鳥の会」会員でもあったから、季節ごとの自然詠、とくに野鳥の歌に秀でていた。

 掉尾の1首を引く。

尾の尖の割れて光れり時長く栗の秀枝にゐる川原鶸

 彼は昨年、子どもさんたち、お孫さんたちから、白寿の祝いを受けたと記される。

2010年7月13日 (火)

村上春樹「走ることについて…」

002_2  村上春樹のメモワール「走ることについて語るときに僕の語ること」を読みおえる。

 文春文庫、2010年6月・刊、帯。

 この本の購入を、今年6月27日付けの記事で、紹介している。

 題名がややこしいが、彼の敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーの短篇集のタイトルを、少し変えたものという。

 彼が専業作家となってより走り始め、フルマラソン、トライアスロンに繰り返し参加し、100キロ・マラソンにも参加した走りの様子(心理的・身体的)が述べられる。

 長距離走を続けるなかで、彼の生き方、作家を続ける方法、を身に付けたと述べている所が、貴重である。

 また風景描写などが美しく、詩的である。

2010年7月12日 (月)

フーコー「わたしは花火師です」

003  ネットより「楽天ブックス」に注文していた、ミシェル・フーコー「わたしは花火師です」が届く。

 ちくま学芸文庫、2008年・刊。

 フランスの大思想家だった彼の、講演やインタビューを集めたものらしい。

 いやなに、楽天のポイント(期間限定ポイントを含む)が少し溜ったから、「楽天ブックス」から「フーコー 文庫」で検索して、適当に選んだだけである。

 彼の著作の邦訳は多いが、僕は「言葉と物」と「監獄の誕生」(いずれも新潮社・刊)を積ん読して来ただけである。

 僕が読書好き(比較的)といっても、文学が先になるから、哲学書・思想書・評論は、後回しになりがちである。

2010年7月11日 (日)

支部7月歌会

001  今日の午後1時より、F市内のK会館の1室で、「コスモス短歌会」福井支部の7月歌会が開かれた。

 参加者は、U健一郎支部長以下、12名(1名が早退した)だった。

 久しぶりにT文代さん、M清子さんにも会えた。僕が支部歌会に、あまり出席してこなかっただけだ。

 歌会では、前もって各人が出詠した1首をまとめてプリントしてあり、出席者の批評と支部長の添削例が示された。

 支部長は厳しくも懇切な指導をおこない、僕たちの実力がつくようだった。

2010年7月10日 (土)

「読書のすすめ 第14集」

001  昨日の記事で紹介した、岩波文庫2冊を買ったとき、無料目録などがたくさん並べられているうち、岩波文庫編集部・編「読書のすすめ 第14集」を貰ってきた。

 岩波文庫、2010年・刊。

 今日の早いうちに、その冊子を読みおえた。

 読書案内ふうの冊子・本を丸ごと読むのは、僕には珍しいことである。多くの人が、そうではなかろうか。

 この冊子には、アメリカ人1人を含め、8名の方が、岩波文庫をおもに、自分の読書経験、読書のすすめ、などを書いている。

 著者は有力な学者、文筆家であるけれども、しがない読書好きの僕も、意を強くする。

 中高年になっても読書の好きな人は多いだろうが、僕もその1人である。

 

2010年7月 9日 (金)

上田秋成「胆大小心録」他

001  今年6月27日に「勝木書店 本店」へ寄った(ブログ記事にアップずみ)時に、気になる本があったので、また寄ってみた。

 気になった本は、蔵書と同じとわかったが、2冊の本を買った。

 上田秋成の随筆「胆大小心録」(岩波文庫、2010年4刷)が1つ。彼の短編小説を高校の国語の教科書で読んで以来、気になる作家である。

 ただし僕は、「胆小大心」というのか、胆っ玉は小さいのに、夢や幻が大きくて、どうだか。

 もう1つは、ポール・ヴァレリー「エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話」(岩波文庫、2008年2刷)である。

 ヴァレリーはその知性を謳われるけれども、僕は1作も読んでいない。

 彼の詩の1部は読んだけれども、あまり面白くなかった記憶がある。

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