廉価版「ハイドン作品集」(全150CD)より、120枚め、バリトン三重奏曲集の9枚めを聴く。
昨年12月17日の記事(←リンクしてある)、同・1枚めに継ぐ。
バリトン三重奏曲126曲より、60番~66番の、7曲である。
珍しい曲種なのに曲数が多いのは、ハイドンが仕えたエステルハージ侯が好んだためとされる。
前回の記事で、音が澄んでいないようだと書いたが、そうではなかった。
元が低音気味で、パソコン(iTuneで聴いた)から離れ、暖房機の音が混じったりして、そう聴こえたらしい。
今回はほとんどパソコンの前の椅子に座って聴くと、きれいな音だった。
若狭地方より出発した同人詩誌「角(つの)」の、第35号を紹介する。
2015年1月・刊。
今月7日に、「鯖江詩の会」の「野の花文化賞」表彰式があった際、待機場所で編集役のK・久璋さん(賞の選考委員である)より頂いたもの。
巻頭のO・純さんの「まんぷ」は、雪の重みで竹がしなった「まんぷ」(トンネル状のもの)の向こうに、彼岸を見るような作品である。
S・章人さんが笹本淙太郎・詩集「有の光芒」評を、S・周一さんが半田信和・詩集「ひかりのうつわ」評を載せて、同人の活動をバックアップしている。
ここでは、N・としこさんの詩「跳ぶ」全4連より、最後の連を引用する。
跳ぶ(前略)
跳びたいと思うときがある
そして
跳ぶ
風や かげろうや
露だまりや ぜんぶを写して
緑の茂みへ 一直線に跳ぶ
岩波書店「近藤芳美集」第1巻(2000年・刊)より、「吾ら兵なりし日に」を読みおえる。
今月4日の記事(←リンクしてある)で紹介した、第1歌集「早春歌」に継ぐ。
1975年、短歌新聞社・刊。
経緯は、歌集の「あとがき」、第1巻の「あとがき」で述べられている。
従軍中、月2枚許された葉書に戦場詠を書いて妻に送り、それを妻の弟が清書した。1959年、そのノートを発見し、1部に手を加え120首ほどを「短歌研究」に発表。更に50余首を加えて出版した。
半無意識の取捨、改訂はあるだろうが、1戦場詠である。
以下に6首を引く。
いづくにて吾は死すならむと思ふにもああ遠き日の如き感情
次々に鼠のごとく吊られつつ軍馬は嘶(な)けり川波の上
病衣を武装に換へて来し兵の将棋幾番かさして発ち行く
病む妻を心に抱けりいつからか煙草止めゐし白き吾が指
病兵と煙草を換ふることを知り鉄条網にすがる女ら
戦線の日を想ふとき出づる涙あはれ贖罪のあとの思ひに
結社歌誌「コスモス」2015年2月号より、「その二集」他を読みおえる。
今月7日の記事、「あすなろ集」「新・扇状地」読了、に継ぐ。
既読の特選以外の「その二集」、「コスモス物故者作品抄」、他「選者小言」を含む散文をほぼ読みおえた。
「コスモス物故者作品抄」は、2012年、2013年に亡くなられた会員の各4首に、担当者による歌歴紹介など(3行)が並ぶ。それぞれ苦闘の跡が偲ばれる。
付箋を貼ったのは、「その二集」より次の1首。O・友美恵さんの3首より。
一度だけ過去に戻れるチャンスありそんな人生どこかにないのか
誰もが持つ思いだが、それを歌に詠んでしまう所が、大阪人らしい。
これで今号の読書は、しまいとしたい。
角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、12番めの句集、榎本冬一郎「鋳像」を読みおえる
先の1月23日の記事(←リンクしてある)、杉山岳陽「晩婚」に継ぐ。
なお11番目の句集、日野草城「人生の午後」は、彼の全句集を読んで行った際、2013年12月3日の記事(←リンクしてある)で、第7句集として紹介した。
原著は、1953年、群蜂発行所・刊。
山口誓子・序、552句、あとがき、を収める。
榎本冬一郎「(えのもと・ふゆいちろう、1907年~1982年)は、30歳を越えて警察官となったが、48歳頃に大学事務局へ出向、定年まで勤めた。
庶民性、社会性をめざしての句作と言われる。
以下に5句を引く。
拳銃を帯びし身に触れ穂絮とぶ
メーデーの明日へ怒れるごとく訣る
浮浪児とともに夜寒の広場の石
籾殻が燃ゆる闇より農婦帰る
忰みて読むやこまかき法の文字
Amazonに注文していた、奥華子のマキシシングルCD「手紙」が届き、応接間のステレオセットで聴いた。
奥華子は、1978年・生、路上ライブ出身である。
彼女のマキシシングル「魔法の人」を、2011年7月1日の記事(←リンクしてある)、「本とCD」で少し紹介した。
その「魔法の人」は、地域的に県内で大流行し、結婚式にも多く使われたと聞く。
彼女のその他の歌を聴きたいと思いながら、シングルやアルバムのCDに回せる小遣がなかった。
先日、Amazonの宣伝メールに、「手紙」が破格値で出ていて注文した。
4曲入りで、初めの「手紙」はあてどなく、次の「空に光るクローバー」は軽すぎる気がする。3曲めの「白いハート」は、学校での片恋を唄って情感がある。4曲めは、「手紙」のインスツルメンタル(カラオケ用?)である。
僕の参加する詩誌「青魚」の発行母体「鯖江詩の会」が、県の「野の花文化賞」を受賞したので、その表彰式に参加した。
すでに1月19日に、ハーモニーホールで同人の集合写真が撮られていた。その写真を含む受賞決定の記事が、1月31日の福井新聞に載った。
昨日は、昼の12時半に駅東口のアオッサの1室に同人が集まった。同時に表彰される他の2つの会と一緒だった。
1時20分より、各会ごとに県知事、県議会議長、県文化振興事業団理事長を入れて、写真撮影した。
2時より、記念式典。知事を含む3氏の祝辞のあと、「県科学学術大賞」表彰式の次に、「野の花文化賞」表彰式となり、2番めに「鯖江詩の会」代表の千葉(兄)さんが県文化振興事業団理事長より表彰状と記念品を頂いた。
このあと、女性3人のトークがあったが、僕はその前に退席して帰宅した。
結社歌誌「コスモス」2015年2月号の、「あすなろ集」「新・扇状地119」を読みおえる。2月3日の記事、「COSMOS集」読了に継ぐ。
「あすなろ集」には、短歌の向上心の強い方が多いだろう。
台湾の方4名、在タイの日本人1名、沖縄県の方も1名いる。
「新・扇状地」は、1ページに顔写真(モノクロ)と共に15首、見開き2ページに二人ずつ載る。
付箋を貼ったのは、「あすなろ集」の次の1首。K・睦子さんの3首より。
五十年暮した部落野にかえり熊の親子が出てくるという
下句がおどけているようだが、過疎地から放棄地になる村落の現実が詠まれている。
最近のコメント