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2015年3月の31件の記事

2015年3月12日 (木)

ヒヤシンス(2)

Imgp0828 
 キッチンの窓辺に置く、鉢植えのヒヤシンスに、新しい花が咲いた(写真は、軒下で)。

 2花茎の開花は、今年2月26日の記事(←リンクしてある)で報せた。

 その時、3球3茎と書いたが、3球めは2花茎だった。それで開花が遅れていたのだろう。4茎めは、写真の1番奥で細く、小さな花を咲かせている。

 花が傷みやすそうだと書いたが、そうでもなさそうだ。花弁の先の緑色を、傷みかと思った。蕾の時の寒さによるか、未成熟かなのだろう。

 花茎が斜めになったり横になったりしているのは、花の重みのせいで、しおれてはいない。

2015年3月11日 (水)

松山慎一「寂しさの市」

Cimg8295 松山慎一・第5歌集「寂しさの市」を読みおえる。

 2011年9月、青磁社・刊。

 2002年春~2006年末の、405首を収める。新かな遣い、古典文法。

 彼は1926年・生、2001年にある病院を退職、郷里の京都の病院に非常勤で勤める事になった。「塔」同人。

 題名の「寂しさの市」について、「あとがき」で「私にとって駅は「寂しさの市」のように思われた、…」と述べている。

 字余りの歌が、やや多いようだ。植物を詠んで優れた歌が多い。

 3・11前の歌なので、それ以後の危機感はない。

 以下に6首を引く。

十字路に向い合い立つ数本の繊きこぶしの花ひらきそむ

秋おそく紫となりオリーヴの実の十顆あり植えて二とせ

ユーロ紙幣より肖像は消ゆ夫々の国を拠り処(ど)とせぬ思想ある

働きつつスノーボードを続けいし若きナースの不意の訃を聞く

眠りさむる頃に過ぎゆく夏の夜の雨の続きぬ秋近きらし

ハモニカのように灯して列車過ぐ気温落ちたる森の薄暮を

 

2015年3月10日 (火)

「本願海」No.13

Cimg8292 僕より同人詩誌「群青」を送らせてもらっている等のご縁で、浄土真宗本願寺派の寺の住職、釈誓道さんより、個人誌「本願海」No.13を送って頂いた。

 初めに「詩」の部10編があり、後に「断簡集(二十三)」52ページが続く。

 詩は詩情的な「夏の朝」から、やや法話めく「おはからい」まである。

 彼は様々な障害と闘いながら、真の信仰を得た者として、信仰告白と布教に努めている。

 「断簡集」は自派だけでなく、他の仏教、キリスト教、他に至るまで引用と考察を自在に続けている。

 悩んだ末の信仰獲得で、僕が口を挟める筋合いはない。

 冒頭の詩「夏の朝」を引用する。

  夏の朝


カナカナの

すばらしい早朝コンサートだ。

わざわざハーモニー・ホールへ行かなくても、

こんなにステキな音楽が

ただで聞かれる。

2015年3月 9日 (月)

支部3月歌会

Imgp0824 
 昨日(第2日曜日)の午後1時より、某館の1室で、「コスモス短歌会」F支部の3月歌会が持たれた。

 事前1首出詠10名、当日参加者9名。

 事務方の用意したプリントを基に、U支部長の司会で1首2名ずつ順番に批評を述べ、支部長の講評と添削例(プリントあり)提示で会は進んだ。

 中間の休みでは、支部長の回顧談を聞く事ができた。

 4月の1泊吟行会、他の事を話し合って、4時頃に散会した。

2015年3月 7日 (土)

上村占魚「霧積」

 沖積舎「上村占魚全句集」より、第3句集「霧積」を読みおえる。

 今月2日の記事(←リンクしてある)、「球磨」に継ぐ。

 原著は、1955年、的場書房・刊。497句。

 戦後の「第二芸術論」等に対して、「社会性俳句」「根源俳句」等の動きの激しかった時代(と僕は推察するのみ)に、写生を守り続けた。

 後記に「わたしが極度に人為的美化手段を避けて、ひたすら真実の諷詠につとめて来たことだけは…」と述べている。

 以下に5句を引く。

噴煙を見て佇つ白根登山口

波走り千鳥が走り渚ゆく

野蒜掘る今宵の酒をたのしみて

遭難のざわめきにある登山口

埃よりかろく緋目高孵り浮く

 注意:引用の1部に、旧漢字を新漢字に替えた所がある。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、連翹の1枚。

2015年3月 6日 (金)

詩誌「群青」第32号の作品

 こぐま星座さんと僕の二人となった同人詩誌「群青」第32号(3月1日の記事で紹介)は、2月24日に宮本印刷より100部を受け取った。

 また3月2日に、県内の詩人をおもに、61通をメール便で発送した。

 内容については、僕の詩「月と篝火」を、アメーバブログ「新サスケと短歌と詩」の3月3日の記事(←リンクしてある)に転載した。

 こぐま星座さんの詩「でんわ」を、同ブログの3月4日の記事(←リンクしてある)に転載した。

 縦書きが横書きになってはいるけれども。

 関心がおありの方は、クリックして作品記事にジャンプし、お読みください。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、連翹の1枚。

2015年3月 5日 (木)

近藤芳美「静かなる意志」

 岩波書店「近藤芳美集」第1巻(2000年・刊)より、第3歌集「静かなる意志」を読みおえる。

 2月23日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「埃吹く街」に続く。

 原著は、1949年、白玉書房・刊。約560首。

 著者の思いは様々に揺れながら、政治行動にはみ出す事はなかった。従軍経験と、家族(父母、仕事のない弟と同居して)を守ろうとする意識が、そうさせなかったのだろう。

 「あとがき」に拠れば、30代の歌人による「新歌人集団」の集まりがあり、「第二芸術論」等をも受け止める時代だった。

 以下に7首を引く。

手術せしまなこけはしくなりながら弟は又仕事失ふ

縫物をとどけに出づる妻のため己れ健かなれと思ひぬ

常の如夜となり集ふ女らのぬれたる橋のてすりに並ぶ

戦争の時を何して生きて来しきたなき自我を互ひに曝す

するどき声みな若し会なかば卑屈に仕事に帰る幾たり

聡明に耐へて行けよと思ふのみ静かに泣けば傍らに寝て

技術への愛情が最後に残ること信じて生きぬ希望なき日も

Photo

フリー素材サイト「Pixabay」より、連翹の1枚。

2015年3月 4日 (水)

色川武大「百」

Cimg8289 色川武大の短編小説集「百」を読みおえる。

 新潮文庫、1992年2刷。

 色川武大(いろかわ・ぶだい、1929年~1989年)は、阿佐田哲也のペンネームで、ギャンブル小説も書き、僕は文庫本でそれらも少し持っていたが、本を整理した際、それらは処分した。

 彼の純文学では、同じく文庫本で「離婚」、「引越貧乏」を読んだと記憶している。

 この本の「連笑」は、二人兄弟の、弟が生まれた時から、兄33歳、弟27歳までを描いている。二人兄弟にしかない、親密さを描く。

 「ぼくの猿 ぼくの猫」は、幼い時の猿や猫の幻影につきまとわれた話である。

 「百」、「永日」は、百歳近い老父の、衰えと老耄を中心に、母、自分、弟夫婦等を描く。

 フィクションはあるだろが、このような小説も佳い。

2015年3月 3日 (火)

最近の買い物

 最近(2月21日~3月1日)に買った小物を列挙する。店は「ワッセ」の事務用品店、ないしは「みった」某店である。

  1. ガムテープ、2個。
  2. 一筆箋。
  3. 100枚大学ノート、2冊。
  4. 缶ビール、3本(自分は飲まない)。
  5. 白封筒、1袋。
  6. プラ3段書類ケース(A4判)。
  7. サンドペーパー、2枚。
  8. キッチンクイックル、2袋。

 いずれも一風変わった用途のものが多い。


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2015年3月 2日 (月)

上村占魚「球磨」

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 沖積舎「上村占魚全句集」(1991年・刊)より、第2句集「球磨」を読みおえる。

 この全句集の購入については、2013年7月28日の記事(←リンクしてある)で紹介している。写真は、左が函、右が表紙(中川一政・装丁)である。

 第1句集「鮎」については、「増補 現代俳句大系」第6巻より、2013年1月3日の記事(←リンクしてある)で紹介した。

 上村占魚(うえむら・せんぎょ、1920年~1996年)の句は、写生を基調に抒情性に富む、とされる。

 原著は、1949年、笛発行所・刊。

 以下に5句を引く。

この道の枯木も家もおぼえあり

花の冷え身にまとひつつ別れ来し

たたなはる紅葉の山の暮れてなし

城あとの梅を探りてただひとり

編みかけのつづきの毛糸妻は編む

 注:引用の1部に、旧漢字を新漢字に替えた所があります。

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