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2015年10月の31件の記事

2015年10月11日 (日)

第14回大和田げんき祭り

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 昨日(土曜日)の午前、福井市のイベント、「第14回大和田元気祭り」を楽しんだ。

 妻に車で送り迎えしてもらい、10時・着、12時・発。

 全国各地5ラーメン店、焼きそば、焼肉、焼鳥、菓子類などのたくさんの食べ物店、幾つかの小間物店、JA、トヨタ、自衛隊広報部のブースなど、たくさん。

 仮設ステージで、日本テレビ・藤井貴彦アナウンサーを迎え、FBCテレビの7人かのアナウンサーとトークショーがあり(10時半~11時25分)、生放送もあったようだ。僕を含め、観衆の人出が多く、藤井アナウンサーも驚いていた。

 僕はパック入りの焼きそばと何か(思い出せない)とコロッケを食べ(昼食を兼ね)、ボトル茶1本半を飲んだ。

 この祭りは12日まであり、このあと人出が多くなるだろう。

2015年10月10日 (土)

角川「短歌」10月号・Kindle版

Photo 総合歌誌の角川「短歌」2015年10月号Kindle版を、10インチ・タブレットで読みおえる。

 Amazonよりの購入・ダウンロードは、同題で先の9月28日の記事(←リンクしてある)にアップした。

 4氏の巻頭31首は、それぞれ力が籠もる。小島ゆかり「鈴の鳴るドア」31首は、老いた姑などの現実から、夏安居をする白桃(しろもも)の核(たね)など、幻へ行き通う心情があるようだ。

 今号は、散文も多く読んだ。

 特集「写生がすべて」は、古典的写生論から、生を写すのだから己を述べてよい、という論もあり、結局「短歌は何でもあり」に行き着いてしまうのか。

 「追悼 宮英子」の、4氏の追悼文は思いが深い。「写真で振り返る宮英子」も、しみじみ偲ばれる。

 雑誌のせいか、タブレットでのページ捲り、拡大・縮小、終わり方などに、僕はまだ不慣れである。

2015年10月 9日 (金)

甘柿とピラカンサス

Imgp1113  庭の甘柿が、今年は豊作である。写真は、石垣を越えて枝垂れてまで実っている全景。

 ただし夫婦とも、歯がわるいので、固い柿の実を食べられない。僕は、庭に出たり、家のまわりを散歩する時、軟らかくなった実を採って、食べている。

 熟柿を期待した渋柿は不作で、小さい実が2個生っているだけだ。

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 左の写真は、ピラカンサスの黄実である。鳥は食べるが、人の食用にならない。

 純・鑑賞用である。 

2015年10月 8日 (木)

若山牧水「別離」

 Kindle版「若山牧水大全」より、第3歌集「別離」を読みおえる。

 先の9月7日の記事(←リンクしてある)、「独り歌へる」に継ぐ。

 原著は、1910年、東雲堂・刊。

 「別離」は、「海の声」と「独り歌へる」を合わせ、155首を削り、133首加え、配列などを変えた。1004首。

 東雲堂の雑誌「創作」(のちに牧水らの歌誌となる)の編集を任され、歌集の造りも立派で、内容には牧水に自信のあったもので、歌集は非常な評判を呼んだ。

 僕はタブレットで、読み通した。

 以下に7首を引く。

吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ

山行けば青の木草に日は照れり何に悲しむわがこころぞも

みじろがでわが手にねむれあめつちはなにごともなし何のことなし

いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや

あれ見たまへこのもかのもの物かげをしのびしのびに秋かぜのゆく

花つみに行くがごとくにいでゆきてやがて涙にぬれてかへり来ぬ

きはみなき生命のなかのしばらくのこのさびしさを感謝しまつる

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、レモンの1枚。

 

2015年10月 7日 (水)

近藤芳美「聖夜の列」

 岩波書店「近藤芳美集」第3巻(2000年・刊)より、第13歌集「聖夜の列」を読みおえる。

 先の9月5日の記事(←リンクしてある)、「樹々のしぐれ」に継ぐ。

 原著は、1982年、蒼土舎・刊。598首。

 戦後進歩派の歌人とみられたが、外国の市民社会主義運動や新左翼活動に冷淡になる事(選歌は除いて)によって、偶像的支持は失ったようである。

 彼の短歌は読みにくい。例を挙げると本書306ページの、「街は朝のねむりにいしだたみの坂つたういずくかあと残るエトルリアの門」。5句のうち定型は3句め1つのみである。

 彼はまた「無名者」という事を書くけれども、各人には名前があり、ささやかでも家庭あるいは職場・社会に立場がある。エリート主義の傲りではなかろうか。

 以下に6首を引く。

「有事立法」阻止の或る夜の小さきつどい心怖れ来て何告げむため

戦場の死を逃れ生きたちまちに過ぎたるものも何に言うこと

聖堂あり復活祭の灯を置くを岸ひたひたと運河に沈む ヴェネツィア

求め来し銀のいるかの指輪してねむれば妻よまた二人なる

ゆえ知らぬ嗚咽は過ぎてすがしきを帰り眠らむ父のあらぬ部屋

彼らみな近藤先生と呼びいたわる北京の幾日心語らねど

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、柿の1枚。

2015年10月 6日 (火)

Kindle版「立原道造詩集」

Photo AmazonよりKindle版「立原道造詩集」をKindle for PCにダウンロードし、タブレットに同期した。

 81ページ(横長1ページか)、価格・99円。

 僕は高校文芸部員・時代に角川文庫で「立原道造詩集」を見つけ、よく読んだ。

 立原道造は、戦前に24歳で夭逝した詩人である。

 結婚してしばらく後、角川書店・6冊・版「立原道造全集」を古本で買って読んだ。後の5冊・版が出る前で、高価だった。

 文庫版を、電子書籍化・会社に委託して、CDに収め、おりおり読んでいた。しかしある時、そのCDが他の数10冊と共に、クラッシュしてしまった。

 別の角川文庫・版を買ったけれど、版が違って、見開き2ページに1編のソネットが載っているのではなかった。

 今回、Kindle版の「立原道造詩集」を見つけ、ダウンロードした所、横長ページに1編のソネットが収まっていた。

 ソネット形式以外の詩は、載っていないようである。

 この詩集をタブレットに残して、おりおり読み返したい。

2015年10月 5日 (月)

最近買ったもの3つ

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 最近、Amazonで3つのものを買ったので、紹介する。

 左上の写真は、「キーボードクリーニングスティック」10本入り(左端の1本は、使用中)である。キーボードの隙間に埃が溜まり、缶入りエアブロワーは高価だったので。それなりに埃が取れるが、完璧ではない。

 右上の写真は、「液晶用ウェットクリーニングティッシュ」50枚入りである。

 これまでも使って来たが、前の物が少なくなり乾燥してしまった為である。

Cimg8572

 もう1つは、吉本隆明「マス・イメージ論」(福武文庫)である。

 マーケットプレイスでコンディション「良」だったのに、本文にヤケが強かった。

 理解できるか判らないが、護符のようなものである。

 「ハイ・イメージ論」3冊も持っている。

 

2015年10月 4日 (日)

「群青の会」会合

Imgp1106 昨日(土曜日)の午前8時頃、2人同人詩誌「群青」の相棒、こぐま星座さんよりメールがあり、急遽、9時より「ユトリ珈琲店」で会う事になった。

 ただしこれは、その前に僕が2回ほど、メールで呼び掛けた事である。

 調べてみると、2人が会ったのは、今年7月23日の記事(←リンクしてある)以来である。

 写真のユトリコーヒー店は、左手前の建物にも客席があり、『 型の建て方である。

 お互い、モーニングセットを摂ったあと、本題である。僕はまず、「群青」34号のパソコン入力に入っていない事を詫びた。

 そのあと、「角」「水脈」などの詩誌の新号4冊を、こぐま星座さんに見せた。彼は熱心に読んでいた。

 歌誌「コスモス」10月号の僕の歌を読んでもらうと、彼はフフンと笑った。

 締めは、僕のタブレットで、Kindle本の歌誌、詩集、全集などを自慢した。それらの廉価な事も説明した。こぐま星座さんは、関心を示した。

 9時45分くらいに散会した。

2015年10月 3日 (土)

清水基吉「寒蕭々」

 角川書店「現代俳句大系」第10巻(1972年・刊)より、二番めの句集、清水基吉「寒蕭々」を読みおえる。

 先の9月26日の記事(←リンクしてある)、安住敦「古暦」に継ぐ。

 原著は、1954年、白桃社・刊。287句。

 清水基吉(しみず・もとよし、1918年~2008年)は。前の安住敦と同じく貧しかったが、職を転々としたのではなく、文筆(小説を含む=芥川賞・受賞)で生活しようとしたからである。のちに電通に勤めた。

 貧の中の結婚と子を描いて、清澄である。

 以下に5句を引く。


春泥や師の家を出て渋谷川

栗剥くや食はすや恋も古びたり

玉の露呼べば応へて妻そこに

栗の花こぼるゝ妻に髪刈らす

貧の中火蛾に抱く子が笑ひ出す

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、柿の1枚。

2015年10月 2日 (金)

「月集」読了

 結社歌誌「コスモス」2015年10月号の、「月集」を読みおえる。

 「月集」とは「月集特別作品」、「月集スバル」、「月集シリウス」の3欄の事である。

 成り行きを述べると、僕が入会した頃(1994年)には、「月集」は1つの欄だった。

 それが、選者と選者経験者の「月集スバル」と、それ以外の「月集シリウス」の2つの欄になった。

 また後年、他の欄に特選欄があるのに、月集にはなかったので、「月集シリウス」より「月集特別作品」欄が設けられた。のちに「月集スバル」よりも毎号2名ずつが、「月集特別作品」に載るようになった。「コスモス」の顔である。

 僕が付箋を貼ったのは、次の1首。「月集シリウス」のK・道幸さんの5首より。

首なしの六地蔵います火伏堂さ庭に子等がビー玉をして

 いまもこのような情景がある事に、感嘆した。

Photo_2フリー素材サイト「Pixabay」より、柿の1枚。

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