カテゴリ「句集」の145件の記事 Feed

2015年1月23日 (金)

杉山岳陽「晩婚」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、10番めの句集、杉山岳陽「晩婚」を読みおえる。

 先の1月17日の記事(←リンクしてある)、加藤知世子「冬萠」に継ぐ。

 原著は、1953年、竹頭社・刊。1949年~1952年の、327句を収める。

 杉山岳陽(すぎやま・がくよう、1914年~1995年)は、戦災で財一切を失くし、翌年には両親を亡くした。

 石田波郷の勧めで上京した頃の「流離」、当時は晩婚の37歳で妻を得、長男を得た喜びを吟じた「櫟かげ」の2章を立てる。

 レトリックはありながら、正直な句である。戦前・戦後を通して大家、という俳人より余程良い。

 以下に5句を引く。

野火遠し膝折牛のやがて立つ

妻を得て秋風をきく泪かな

晩菊のかなしく妻を擁きけり

風たちて身重の妻の銀河さす

秋風のけふよりわれに妻子あり

Aフリー素材サイト「足成」より、南天の1枚。

2015年1月17日 (土)

加藤知世子「冬萌」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、9番めの句集、加藤知世子「冬萌」を読みおえる。

 1月9日の記事(←リンクしてある)、松本たかし「石魂」に継ぐ。

 原著は、1953年、書肆ユリイカ・刊。1941年~1953年までの、466句を収める。

 加藤知世子(1909年~1986年)が俳人・加藤楸邨(1905年~1993年)と結婚した頃、夫は家族・肉親10名を抱えた苦学生の家長で貧しく、戦争激化で食べるものに苦労し、戦後は夫が何度も病いに倒れて差押えの税吏も呆れる赤貧だった。(月報の加藤知世子「『冬萌』の頃」・他に拠る)。

 彼女の句は激しく、鮮新であり、時に字余りともなる。

 以下に5句を引く。

泣くまじく寒木の嵐暮れかかる

足袋に継あてて帰省も爆音下

振向きし蟷螂の目は燈の色に

虎落笛嫁が泣く場は詩の中

大年の悔にも似たる芥焚く

Photoフリー素材サイト「足成」より、南天の1枚。

2015年1月 9日 (金)

松本たかし「石魂」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、8番目の句集、松本たかし「石魂」を読みおえる。

 昨年12月14日の記事(←リンクしてある)で紹介した、阿波野青畝「春の鳶」に継ぐ句集である。

 原著は、1953年、笛発行所・刊。1941年~1948年の、541句を収める。

 読んだ印象は、松本たかし(1906年~1956年)の衰えがあるように考えられる。

 俳人としての初めての「読売文学賞」を受賞した。そうでなければ、この「大系」に残る事はなかっただろう。

 また敗戦前の句を主にした「石魂」に、なぜ「読売文学賞」が与えられたか、僕には判らない。

 以下に5句を引く。

春ゆくにまかせ百日紅芽ぐむ

星涼し道に聞こゆる旅芝居

敷石に古瓦古陶あり花楓

長閑さにまだゐる鴨や浦戸湾

蚊帳除(と)れて黍の葉擦に寝る夜かな

Photoダウンロード・フォト集より、雪景色の1枚。

2014年12月14日 (日)

阿波野青畝「春の鳶」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、7番目の句集、阿波野青畝「春の鳶」を読みおえる。

 先の11月22日の記事(←リンクしてある)、水原秋桜子「残鐘」に継ぐ。

 原著は、1952年、書林新甲鳥・刊。1946年~1951年の312句を、作年順に収める。

 阿波野青畝(あわの・せいほ、1899年~1992年)の第3句集である。「戦時中の句は散逸してしまった」としていたそうだが、そのような言が通る現代ではない。

 敗戦の痛手から立ち直る時、寺門への親密さをきっかけとしているようだ。ただし信仰のない僕には、ポイントにならない。

 以下に5句を引く。

早春の鳶を放ちて宝寺

安居尼大きな寺を委されし

螢にもある物語旅に聞く

宝冠のごとくに枯るる芒かな

咳く人に電光ニュース走りをり

Photoダウンロード・フォト集より、雪景色の1枚。

2014年11月22日 (土)

水原秋桜子「残鐘」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、6番めの句集、水原秋桜子「残鐘」を読みおえる。

 先月10月29日付けの、久保田万太郎「草の丈」の記事(←リンクしてある)に継ぐ。

 原著は、1952年、竹頭社・刊。1950年秋~1952年秋の作品、448句を収める。

 戦争責任論、第2芸術論の嵐が去り、生活も落ち着いたのだろうか、小春日和のような長閑さである。

 これでは、失われた20年などを経た、今の僕たちを打つ衝迫が少ない。

 ただし1952年の還暦あと、医業を捨て俳句に専心して精進したと、解説にあり、その成果を読んでみたい。

 以下に5句を引く。

鰯雲こゝろの波の末消えて

鷽の来てあけぼのゝ庭に胸赤し

山雲の真白雲立ち汗わする

夏潮の紺ぞ匂へる大鎧

萩咲けり浅間をのぼる雲みだれ

Photoフリー素材サイト「足成」より、キャベツの1枚。

2014年10月29日 (水)

久保田万太郎「草の丈」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、5番めの句集、久保田万太郎「草の丈」を読みおえる。

 先の10月16日の記事(←リンクしてある)、野村喜舟「小石川」に継ぐ。

 原著は、1952年、創元社・刊、創元社文庫。

 初期より敗戦まで、ほぼ既刊の句集より自選、790余句。

 自序、安住敦による長文の解説を、共に収める。

 久保田万太郎(1889年~1963年)を、僕は食わず嫌いで、彼の小説・戯曲も全く読んでいない。

 彼の句には、家庭的不遇の寂しさのかげりがあるとされる。

 以下に5句を引く。

双六をひろげて淋し賽一つ

生さぬ仲の親子涼みてゐたりけり

唐紙(からかみ)のあけたて寒に入りにけり

一人だけ雑炊あとはみんな蕎麦

むさしのの寺の一ト間の桃青忌

Photoフリー素材サイト「足成」の花梨の写真を、トリミングした1枚。

2014年10月16日 (木)

野村喜舟「小石川」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、4番めの句集、野村喜舟「小石川」を読みおえる。

 先の10月10日の記事(←リンクしてある)、「杉田久女句集」に続く。

 原著は、1952年、渋柿図書刊行会・刊。

 松根東洋城・久保田万太郎・水原秋桜子の序文、1000句(原著には3607句あったが、この「大系」の都合により選んだ)、自跋を収める。

 野村喜舟(のむら・きしゅう、1886年~1983年)は、松根東洋城の「渋柿」に参加、1977年・主宰。

 この「小石川」」には、東京・小石川に住んだ頃(明治43年~昭和8年)の、下町情緒濃い作品を収める。戦前の句だが、抒情的なところがあり、息苦しいところが無い。

 新年春夏秋冬より、1句ずつを引く。

一切空赤く出でたる初日かな

解き捨てししごきの中の子猫かな

居眠りの老のうなじや時鳥

懶さも暑さも残る己かな

磧湯に馬を入れやる冬至かな

Photoフリー素材タウンより、菊の1枚。

2014年10月10日 (金)

杉田久女「杉田久女句集」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、3番めの句集、「杉田久女句集」を読みおえる。

 先の9月20日の記事(←リンクしてある)、殿村菟絲子「絵硝子」に継ぐ。

 原著は、杉田久女(1890年~1946年)の没後、1952年に娘・石昌子、かつての師・高浜虚子らの尽力に依って成った。

 当時、唯一の句集であったが、1384句は多く、読むのに難渋した。

 「人並の才に過ぎざる…」の啄木の1首を思い、また戦後に生きたなら活躍しただろう、とも思った。

 以下に5句を引く。

春寒や刻み鋭き小菊の芽

針もてばねむたきまぶた藤の雨

栗むくやたのしみ寝ねし子らの明日

草むらに放ちし虫の高音かな

鍬入れて豆蒔く土をほぐすなり

Photoフリー素材タウンより、大菊の1枚。

2014年9月20日 (土)

殿村菟絲子「絵硝子」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、2番めの句集、殿村菟絲子(とのむら・としこ)「絵硝子」を読みおえる。

 今月8日の記事(←リンクしてある)、細見綾子「冬薔薇」に継ぐ。

 原著は、1952年、竹頭社・刊。1949年~1952年の266句「絵硝子」を初めに、1938年~1945年の83句「素描」を後に、置いている。

 水原秋桜子の序文、石田波郷の跋、あとがきと共に収める。

 戦前の句をも収めようと執する心がわからない。

 それに、感情を直接に表わすような言葉が混じる事に、違和を覚える。付箋を貼った前半でも、「清しさ」「かなしき(2回)」「おろかに」「あはれなり」「寂しさ」がある。短い詩型なので、そういう事は避けたほうが良くないか。

 以下に5句を引く。

初蝶にすげなき音ぞ枯木折る

萩が咲き炭買はむなど心急く

猫に言ひ風邪寝の母に告げて出づ

荒廃や夏蝶の群たゞならず

おのがじし雪沓そろへ人住めり

Photoフリー素材サイト「足成」より、団栗の1枚。

2014年9月 8日 (月)

細見綾子「冬薔薇」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、初めの句集、細見綾子「冬薔薇」を紹介する。

 この「大系」第8巻の読了を今年7月5日の記事(←リンクしてある)で報告したあと、「渡辺白泉全句集」を8回にわたって紹介(7月17日~8月10日)するなどして、少し間が空いた。

 原著「冬薔薇(ふゆそうび)」(第2句集)は、1952年、風発行所・刊。

 中村草田男の長い序文、331句、原子公平の跋文、あとがき、を収める。

 細見綾子(ほそみ・あやこ、1907年~1997年)は、若くして父母、夫を亡くし、自分も病床に臥したが、俳句への励みを支えとした。1947年、俳人・沢木欣一と再婚、10冊に及ぶ句集を上梓した。

 句は、肝っ玉母さん風でもあり、豊かである。

 以下に1942年~1951年の作より、5句を引く。

塩買ふや紫がゝる冬日暮

この雪は松がゆさぶり落しゝ雪

昼顔や線路が忘れられてゐる

夏来る直路といふもかなしかる

みごもりや春土は吾に乾きゆく

Imgp0667季節ものの梨である。初めはこの倍くらいあったのだが、少しずつ食べたので。

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