カテゴリ「句集」の145件の記事 Feed

2015年5月29日 (金)

上村占魚「橡の木」

 沖積舎「上村占魚全句集」(1991年・刊)より、第6句集「橡の木」を読みおえる。

 今月4日の記事(←リンクしてある)、「萩山」に継ぐ。

 原著は、1972年、みそさざい社・刊。

 1966年~1969年の、自選680句を収める。

 「後記」で、徹底して基礎を実行して、思いがけず幽玄、象徴の句をわずかながら得た旨を、述べている。

 句集の後期の作品に、それらしい作品がある(引用句がそれらとは言えない)。これ以降の句集が、楽しみである。

 以下に5句を引く。

湯浴み寝しぬくとさ木の芽雨となる

岬覆ふ大夕焼といふしじま

あるだけの酒くみ寝(い)ぬる雨月かな

目をとほす添削句稿初仕事

炬燵して塵づく書斎年暮るる

  (注:1部、旧漢字を新漢字に替えた所があります)。

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フリー素材サイト「Pixabay」より、バラの1枚。

2015年5月 8日 (金)

年刊句集「福井県」第53集②

 今月1日の記事(←リンクしてある)に続き、年刊句集「福井県」第53集(2015年3月、福井県俳句作家協会・刊)の、残りの句を読みおえる。

 125ページ~207ページ、2段組み、165名の各10句、計1、650句である。

 参加者が413名というのは、「福井短歌」第7号(2015年3月、福井県短歌人連盟・刊)の117名、「詩集ふくい2014」(2014年10月、福井県詩人懇話会・刊)の69名に比べて、格段に多い。

 小説(純文学)も村上春樹以外は勢いがないようだし、現在の日本の文学をリードしているのは、俳句かもしれない。僕は、戦後詩(「荒地」など)が、日本文学をリードしている、という時代の勢いを受けた者だが。

 俳句は短く、類句を避け、新しい修辞を求め、綺羅を競う面があるようだ。負け惜しみだが、「巧言令色すくなし仁」という言葉を思い浮かべる。

 1句のみ引用する。

夏野菜うさぎのように噛んでみる

 H・美恵子さんの「喜寿」10句より。

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フリー素材サイト「Pixabay」より、アイリスの1枚。

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2015年5月 4日 (月)

上村占魚「萩山」

 沖積舎「上村占魚全句集」(1991年・刊)より、第5句集「萩山」を読みおえる。

 先の4月16日の記事(←リンクしてある)、第4句集「一火」に継ぐ。

 原著は、1967年、笛発行所・刊。1961年~1965年の705句。

 旅の句が多いが、作句かたがた、地方の俳誌(1949年、29歳で創刊・主宰した「みそさざい」と、その類縁の俳誌)の句会の評者として、費用の1部を得ていたと思われる。

 また途中の1964年に父(82歳)が亡くなり、その12日後に次男(15歳)を交通事故で亡くした。

 上村占魚(1920年~1996年)は、14歳で母を亡くし、長男は生れてしばらくで亡くなっている。

 家族的な悲運を克服すべく、どのような句が現れるか(生来の楽天家と称しているものの)、期待される。

 以下に5句を引く。

猫の恋やうやくをはり月まどか

庭うちに湧く水ありて蛍来る

著莪咲いて日ざしまぶしくなりにけり

形なき子を連れあそぶ秋の山

吾妹子よ寄りそへ鶴の鳴くからに

  注・引用の1部に、旧漢字を新漢字に替えた所があります。

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フリー素材サイト「Pixabay」より、スミレの1枚。

2015年5月 1日 (金)

年刊句集「福井県」第53集①

Cimg8378 今年3月27日の記事(←リンクしてある)で紹介した、年刊句集「福井県」第53集(表紙の色は、薄い小豆色で、今回が事実に近い)の、1回めの感想をアップしたい。

 俳句欄207ページ(2段、413名)より、124ページ、248名の各10句を読んだ事になる。おおまか所属ごとにまとめられている。

 俳句は短歌より更に短く、表現に緊張を強いられるようだ。僕の歌作りにとても刺激になる。

 各句、各会派への感想は、ここでは述べない。

 ただ国内の俳句の3会派「現代俳句協会」「伝統俳句協会」「俳人協会」が、俳句の普及と発展のため、一致してまとまっている。

 俳句は国際化が進み、外国人の俳人も多い。また句界全体の隆盛もある。国内で争っていられる立場ではないのだろう。

2015年4月16日 (木)

上村占魚「一火」

 沖積舎「上村占魚全句集」(1991年・刊)より、第4句集「一火」を読みおえる。

 先の3月7日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「霧積」に継ぐ。

 原著は、1962年、竹頭社・刊。1954年~1960年の672句。

 この間に、松本たかし、高浜虚子の両師に逝かれ、台風被害に遭い、「後記」で「わたしにとつて旅だけが心のよりどころとなつた。」と述べている。

 35歳より41歳は、自分の信じる道を邁進する時期で、成熟を求めるのは早い。

 以下に5句を引く。

実を採りしあとの乱れに菱あはれ

橡の芽のてらてらと日を流しゐる

桑の実を見んそれだけの途中下車

渦潮のふかき窪みの春日かな

虚子の脈ほそりほそりて春雷す

  注:引用の1部に、旧漢字を新漢字に替えた箇所があります。

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 サイト「フリー素材タウン」より、チューリップの1枚。

2015年3月27日 (金)

年刊句集とガネーシャ2

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 最近、2冊の本を入手した。

 1冊は、「福井県俳句作家協会」の年刊句集「福井県」第53集である。

 協会の事務局にお願いして送ってもらい、本代のみを支払った。400余名の各10句、2段組み265ページ。

 僕は句集を読んで、短歌を作る刺激を受けた事があるので、この年刊句集は憧れの的だった。ただ風土がわかっているので、それがどう響くか。

 もう1冊は、水野敬也「夢をかなえるゾウ2」(飛鳥新社、2014年・刊)。

 職を辞して、今さら大きな成功がほしい訳ではない。ただ今も望みはある。

 前の「夢をかなえるゾウ」を文庫本で読んで、(幾分かの)真実はある、と感じたからである。今作は、異性問題も絡むらしい。

2015年3月 7日 (土)

上村占魚「霧積」

 沖積舎「上村占魚全句集」より、第3句集「霧積」を読みおえる。

 今月2日の記事(←リンクしてある)、「球磨」に継ぐ。

 原著は、1955年、的場書房・刊。497句。

 戦後の「第二芸術論」等に対して、「社会性俳句」「根源俳句」等の動きの激しかった時代(と僕は推察するのみ)に、写生を守り続けた。

 後記に「わたしが極度に人為的美化手段を避けて、ひたすら真実の諷詠につとめて来たことだけは…」と述べている。

 以下に5句を引く。

噴煙を見て佇つ白根登山口

波走り千鳥が走り渚ゆく

野蒜掘る今宵の酒をたのしみて

遭難のざわめきにある登山口

埃よりかろく緋目高孵り浮く

 注意:引用の1部に、旧漢字を新漢字に替えた所がある。

Photoフリー素材サイト「Pixabay」より、連翹の1枚。

2015年3月 2日 (月)

上村占魚「球磨」

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 沖積舎「上村占魚全句集」(1991年・刊)より、第2句集「球磨」を読みおえる。

 この全句集の購入については、2013年7月28日の記事(←リンクしてある)で紹介している。写真は、左が函、右が表紙(中川一政・装丁)である。

 第1句集「鮎」については、「増補 現代俳句大系」第6巻より、2013年1月3日の記事(←リンクしてある)で紹介した。

 上村占魚(うえむら・せんぎょ、1920年~1996年)の句は、写生を基調に抒情性に富む、とされる。

 原著は、1949年、笛発行所・刊。

 以下に5句を引く。

この道の枯木も家もおぼえあり

花の冷え身にまとひつつ別れ来し

たたなはる紅葉の山の暮れてなし

城あとの梅を探りてただひとり

編みかけのつづきの毛糸妻は編む

 注:引用の1部に、旧漢字を新漢字に替えた所があります。

2015年2月20日 (金)

小林康治「四季貧窮」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、13番め、最後の句集、小林康治「四季貧窮」を読みおえる。

 2月11日の記事(←リンクしてある)で紹介した、榎本冬一郎「鋳像」に継ぐ。

 原著は、1953年、一橋書房・刊。

 妻への献辞、石田波郷の序文、301句、石塚友二の跋文、後記を収める。

 小林康治(こばやし・こうじ、1912年~1992年)は、従軍、病気・帰還、戦災・敗戦により一切を失った。

 やや貧を衒っているようにも見えるが、戦後庶民の誰もが経験した事とされる。

 以下に5句を引く。

ふりかむる大槻芽立つ月夜かな

野の城や日あたりながら草枯れぬ

旅の果葎をしぼる秋の風

父の棺に跿きゆく冬田恥多し

氷柱なめて生涯の貧まぬがれず

Photo


フリー素材サイト「Pixabay」より、白梅の1枚。

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2015年2月11日 (水)

榎本冬一郎「鋳像」

 角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、12番めの句集、榎本冬一郎「鋳像」を読みおえる

 先の1月23日の記事(←リンクしてある)、杉山岳陽「晩婚」に継ぐ。

 なお11番目の句集、日野草城「人生の午後」は、彼の全句集を読んで行った際、2013年12月3日の記事(←リンクしてある)で、第7句集として紹介した。

 原著は、1953年、群蜂発行所・刊。

 山口誓子・序、552句、あとがき、を収める。

 榎本冬一郎「(えのもと・ふゆいちろう、1907年~1982年)は、30歳を越えて警察官となったが、48歳頃に大学事務局へ出向、定年まで勤めた。

 庶民性、社会性をめざしての句作と言われる。

 以下に5句を引く。

拳銃を帯びし身に触れ穂絮とぶ

メーデーの明日へ怒れるごとく訣る

浮浪児とともに夜寒の広場の石

籾殻が燃ゆる闇より農婦帰る

忰みて読むやこまかき法の文字

Photoフリー素材サイト「足成」より、コチョウランの1枚。

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