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2014年8月の29件の記事

2014年8月10日 (日)

「渡辺白泉全句集」より(8)

 沖積舎「渡辺白泉全句集」(2005年・刊)より、仕舞いの8回めの紹介をする。

 昨日の同(7)に続く。この全句集には、重複を除き、1300句を収める。

 没後に見出された、自筆稿本「白泉句集」の「瑞蛇集」は、1945年~1968年の句を収める。

 その内は「霧の舟」と「夜の風鈴」に別れ、間に5年くらいの空白があると、「あとがき」の中で述べている。

 白泉の息子、渡辺勝氏が栞に「父との思い出」の中に、「父の九番目だかの継母によって…」と書いた部分があり、白泉は母親の愛情には恵まれなかったようだ。

 以下に5句を引く。

切通しきたりし犬のくさめかな

鶯やくりまつかしはくぬぎなら

湧く風よ山羊のメケメケ蚊のドドンパ

万愚節明けて三鬼の死を報ず

行雁の僕を見てゆく一羽かな

Photo「フリー素材タウン」より、睡蓮の1枚。

2014年8月 9日 (土)

「渡辺白泉全句集」より(7)

 昨日に続き、「渡辺白泉全句集」より、7回めの紹介をする。

 自筆稿本「渡辺白泉句集」より、執筆禁止を命じられていた頃の句をまとめた、「欅炎集」と題された集である。

 古俳句を研究した系の「散紅葉」、応召中の「水兵紛失」に分けられる。

 水兵として応召した(その前に「損害保険統制会」に転勤したのは、前線に送られるのを避ける為だったか)が、日本の港を移動したのみで、大きな戦闘は無かったようである。

 以下に5句を引く。

  散紅葉

浅草に時雨れ居りとは誰知るや

紅梅やたゞまるかりし母の顔

焚火すや欅の炎二三枚

  水兵紛失

海兵に夏ゆふぐれのながさかな

玉音を理解せし者前に出よ

Photo写真素材サイト「足成」より、滝の1枚。

2014年8月 8日 (金)

「渡辺白泉全句集」より(6)

 沖積舎「渡辺白泉全句集」(2005年・刊)より、6回めの紹介をする。

 今月4日の記事、同(5)に続く。

 紹介するのは、白泉の没した(1969年1月30日)あと、見出された自筆稿本「白泉句集」より、1933年~1941年の作品を集めた、「涙涎集」である。

 作句を始めてから、俳句弾圧事件に遭うまで、俳壇で活躍した頃の句である。

 「白泉句集」は生涯より496句を集めたから、優れた句ばかりだが、以下に5句を引く。

街燈は夜霧にぬれるためにある

濃藍の海を抱かんと飛びこめり

あげて踏む象の蹠(あうら)のまるき闇

飛行機となり爆弾となり火となる

  吾子逝川 6句より

早春の空へ消えゆく吾子見るな

Imgp0640庭に咲く、白花八重の木槿より1枚。

2014年8月 7日 (木)

「その二集」読了

 結社歌誌「コスモス」2014年8月号の「その二集」(既読の特選欄「COSMOS集」を除く)を読みおえる。

 1昨日の記事、「『あすなろ集』読了」に続く。

 これで今号の、通常掲載の短歌、すべてを読みおえた事になる。

 「その二集」で僕が付箋を貼った1首は、神奈川県、M・文男さんの次の作品(170ページ、上段)。

ふる里を核に追はれし身にあれど鉢花育て自適と見らる

 福島で原発災害に遭い、神奈川県に避難しているのだろうか。仕事も適わないと、園芸などをたしなむよりなく、悠々自適の生活と見られるのは、不本意な事だろう。

Photo「フリー素材タウン」より、朝顔の1枚。

2014年8月 6日 (水)

「縄文土器 1」

Cimg7848 写真集「日本の原始美術」より、第1巻「縄文土器 1」を見おえる。

 講談社、1979年・刊。全10巻。

 縄文時代の初期~中期の土器の、カラー写真120枚の他、解説文を収める。

 僕は歴史というより、原始美術を見たい気持ちで、このシリーズを買ったのだった。

 遺跡を発掘する人や、研究者へは申し訳ないけれども。

 この本では、このシリーズで楽しみにしていた内の1つ、火炎土器に出会えた。古式は新潟県から会津地方まで、新式は信濃川沿岸地域のみと、地域が限定されるようだ。

 これからも、読みおえたなら順次、紹介してゆく予定である。

2014年8月 5日 (火)

「あすなろ集」読了

 結社歌誌「コスモス」2014年8月号を、上位欄より読み進めて、「あすなろ集」(既読の特選「COSMOS集」を除く)を読みおえた。

 先月31日の記事(←リンクしてある)、「『その一集』末まで」に継ぐ。

 僕が付箋を貼った1首は、新潟県のK・清さんの次の作品(137ページ上段)。

わが庭を歩くは猫か犬なるかよくよく見れば狸でありぬ

 山の獣が、里に降り来て、平然と食を摂る、現代の様が描かれている。

 「コスモス」会員数が、「その一集」より入会者欄へ、逆ピラミッドを成している事は、将来を危ぶまれる。打つ手はなかったものか。

Photoダウンロード・フォト集より、向日葵の1枚。

2014年8月 4日 (月)

「渡辺白泉全句集」より(5)

 沖積舎「渡辺白泉全句集」より、先月29日の(4)に続き、5回目の紹介をする。

 彼は結社に属さず、今回の1957年~1968年(1969年1月に没)の12年間に、「俳句」誌の「俳句年鑑」に3回、「俳句研究」誌の「年鑑」に3回、八幡船社版私版・短詩型文学全書・第5集に34句(戦中吟を含む)、自筆ノート等による「拾遺」のみである。

 これで「初出発表順句集」の終いであり、残るは歌仙1巻と、没後に見出された自筆稿本「白泉句集」のみである。

 作風は、新しさはあるが、おもに生活吟だろう。

 以下に5句を引く。

かなかなもわたしばつたも亦わたし

白梅の固き蕾や十粒ほど

   拾遺

花園に立ちくらめきて戦死せり

木枯の速さを計るいくさかな

数珠玉や三鬼を懐ひ死を思ふ

Photoダウンロード・フォト集より、夏の海の1枚。

2014年8月 3日 (日)

斎藤史「暦年」

 大和書房「斎藤史全歌集」(1998年5刷)より、2番めの歌集、「暦年」を読みおえる。

 原著は、1940年、甲鳥書林・刊。

 7月27日の記事(←リンクしてある)、「魚歌」に継ぐ歌集である。

 1940年の作品・111首(この全歌集版では、「紀元二千六百年頌歌」等を削除)、1928年~1931年の作品・71首(1部を削除)、「魚歌」より268首(すべて削除)より成る。

 なぜ「魚歌」の3ヶ月後、前歌集の作品、初期作品も合わせて、歌集「暦年」を出版しなければならなかったか。

 同年7月、歌集「新風十人」に参加して、歌人としての評価も高かったのだろうが、出版元がシリーズ「昭和歌人叢書」全10巻の1冊としたい意向もあったのだろう。

 以下に6首を引く。

  1940年作品

北に向く我の歩みのいちづにて驕(おご)れるごとく見ゆるをあはれ

ききおぼえ子が歌ふなるうたふしのお嫁にゆきますといふたび恐縮す

物言はず樹(き)は生きたりといふ事をことあたらしくいひもいづるよ

御いくさはすでに仏印におし進めり生きざらめやも今日の日を越え

  初期作品

(め)を閉ぢてねむるとすれやこの宿のふとんのよごれ匂ひ来るなり

死んだふりまざまざとする昆虫は腐蝕土の底に埋(うづ)めてもやれ

 (注:漢字の旧字を新字に替えた所があります)。


Photoダウンロード・フォト集より、清流の1枚。

2014年8月 1日 (金)

詩誌「角」第33号

Cimg7846 あわら市にお住いの詩人、S・章人さんが、お便りとパンフレット共に、同人詩誌「角(つの)」第33号を送って下さった。

 今年3月18日の記事(←リンクしてある)で紹介した、同・第32号に続く。

 巻頭のO・純さんの「背を向けて」では、全4連の第2連半ばより、「背に詫びながら/歩いてきた//悔いが積って/背が曲ってきた/生きるとは/背むくことだった/(後略)」とある。

 人格者として敬慕されるOさん(F県詩人懇話会・代表を長く務め、日本詩人クラブ賞・他を受賞した)にして、この悔いがあるなら、跳ねっ返りの小犬みたいな僕(図体は大きいですが)が、夜ごとにうまく眠れないのも、納得する。

 S・章人さんのパンフレットと、本誌の追悼文は、学生時代から交友のあった、小辻幸雄さんの逝去を悼むものである。記録しておかなければ、その功績などが忘れられるかも知れないから、貴重な文章である。

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