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写真集「世界の博物館」(全23巻)より、第4巻「ニューヨーク自然史博物館」を見おえる。
講談社、1989年・4刷。
先の1月4日の記事(←リンクしてある)で紹介した、「メトロポリタン博物館」に継ぐ。
この博物館の目玉は、恐竜の骨格の展示だろう。
35トンもあったプロントサウルス、体長14メートル余で最大のティラノサウルス、角や背鰭のある恐竜など、貴重な全身骨格がたくさん復元されている。規模が大きい。
北米やアフリカの動物の剝製を主としたジオラマ、宝石を含む鉱石、先住民族の遺産、他の展示写真があって、僕はザッと見ていった。
写真は、カラー、モノクロを合わせて、285枚。
ある人より譲られた歌集、前登志夫「青童子」(1997年、短歌研究社・刊)を読みおえる。
彼の歌集は、2007年9月19日の記事(←リンクしてある)、国文社の「前登志夫歌集」(現代歌人文庫・8)を、読んだのみだった。
前登志夫(1926年~2008年)は、1964年に第1歌集「子午線の繭」を刊行、1980年に歌誌「ヤママユ」創刊。
2013年に、全11歌集・他を収めた全歌集が、短歌研究社より刊行された。
「青童子」では、風狂の度を増しているようだ。何に苦しんだ果てだろう。
また性に関わる歌もあるが、老いの妄執だろう。
以下に6首を引く。
雪やみし山の夜空に含羞の星よみがへる静けさにゐつ
播かざりし穀物の種子朽ちはつるこの地下倉に差す雪あかり
みちのくの人ら黙して物食むを目守りゐたればわれは旅人
栃の実を拾へる童子を見張りをるけもののけはひ、紺青の時間(とき)
物売れる人らよろしも扶余の街の市場の露地にうづくまるわれ
さくら咲くゆふべの空のみづいろのくらくなるまで人をおもへり
大和書房「斎藤史全歌集」(1998年5刷)より、第9歌集「渉りかゆかむ」を読みおえる。
1月7日の記事、「昭和51年作品」(←リンクしてある)に継ぐ。
原著は、1985年、不識書院・刊。483首。
翌1986年、同・歌集により「読売文学賞」受賞。
1979年には母が死去し、夫と母を看取って送った彼女は、一人暮らしとなった。「あとがき」で、「いささかは人間の責任を果たした思いがあつた」と述べている。その身軽さから、関わりのある北海道、シンガポール、マレーシアのジョホール・バル、中国、台湾などを訪れ、作歌もあった。
以下に6首を引く。
月見草あしたにみれば紅(こう)をおび廃(すた)れしのちに何の華やぐ
夜も昼も区別のつかぬ母と棲み身のうらおもて失ひにける
ふり向けばすれちがひたる人の背の無縁の寒さひびく真昼間
ひとついのち落着をせしこの冬の日向しばらく明き陽の澄む
不しあはせともなく生きてうかうかと春花ひらくをことによろこぶ
遠くより見れば遊園廃址めく さむき風ゆゑ寒茜ゆゑ
注:1部、旧漢字を新漢字に替えた所があります。
角川書店「増補 現代俳句大系」第9巻(1981年・刊)より、9番めの句集、加藤知世子「冬萌」を読みおえる。
1月9日の記事(←リンクしてある)、松本たかし「石魂」に継ぐ。
原著は、1953年、書肆ユリイカ・刊。1941年~1953年までの、466句を収める。
加藤知世子(1909年~1986年)が俳人・加藤楸邨(1905年~1993年)と結婚した頃、夫は家族・肉親10名を抱えた苦学生の家長で貧しく、戦争激化で食べるものに苦労し、戦後は夫が何度も病いに倒れて差押えの税吏も呆れる赤貧だった。(月報の加藤知世子「『冬萌』の頃」・他に拠る)。
彼女の句は激しく、鮮新であり、時に字余りともなる。
以下に5句を引く。
泣くまじく寒木の嵐暮れかかる
足袋に継あてて帰省も爆音下
振向きし蟷螂の目は燈の色に
虎落笛嫁が泣く場は詩の中
大年の悔にも似たる芥焚く
結社歌誌「コスモス」2015年1月号の、「COSMOS集」と「新・扇状地」を読みおえる。
先の1月13日の記事、「その一集」読了に継ぐ。
また昨年12月25日の記事、「あすなろ集」読了より始まった、今号の読書の仕舞いである。これで今号の通常掲載歌と、「O先生賞」に関わる歌と、すべて読みおえた事になる。
「新・扇状地」は2名×15首の掲載(顔写真付き)である。どういう順で掲載されるか、記事のおぼろな記憶があったが、今はわからない。
「COSMOS」集は、「あすなろ集」と「その二集」の特選欄である。「あすなろ集」より32名、「その二集」より10名が、各5首ずつ(稀に6首)掲載される。
僕が付箋を貼ったのは、次の1首。T・裕子さんの「崑崙朝顔」5首より。
ハネムーン、フルムーン経て今二人スーパームーンの光を仰ぐ
人生とと自然を重ね合わせて、柄の大きな歌だ。
今回で、このブログの2500回めの記事更新となる。
2300回めの更新が、2014年6月21日の記事(←リンクしてある)である。
稀に休む日、日に2度の更新もあるが、ほぼ日刊である。
以下に摘要を記す。
これからも宜しくお願い致します。
結社歌誌「コスモス」2015年1月号より、第61回・O先生賞に関わる記事を読みおえる。
O先生とは「コスモス」を応援してくださった、折口信夫(釈迢空)の事である。
この賞は、結社内の賞で、会員なら誰でも、30首の応募ができる。
今回は大野さんの「かなしみスイッチ」と、河合さんの「かなぶんの空」(いずれも女性)が受賞した。
僕が読んだのは、発表、受賞作、選考座談会、次位作品19編である。
後記「コスモス便」に拠ると、座談会は白熱し、10位以下の作品についても批評し合い、全部の半分くらいしか掲載できなかった、との事である。作歌の指針として、批評の指針として、全部を読みたかったものだ。
次位作品では、四野宮さんの「悔いなき退社」に惹かれた。勤め人なら、誰にも1度はあるだろう事だけれど。
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