6月26日の午前、宮本印刷へ電話すると、同人詩誌「群青」第33号は、出来上がっている、との事だった。
午後に出掛けて、80部を受け取った。100部から減らしたのだが、費用はほとんど変わらなかった。
この号の編集会議については、先の6月8日の記事(←リンクしてある)にアップした。
同人二人きりの詩誌なので、相棒のこぐま星座さんとメールで相談の結果、昨日(6月28日、日曜日)の午前9時より、「ユトリ珈琲店」で会う事になった。
詩誌と同人費の受け渡しをした。こぐま星座さんに詳しく見てもらったが、誤植等は無いようだった。
僕は結社誌「コスモス」7月号の、自分の短歌を読んでもらった。
同人勧誘の話などのあと、10時頃に散会した。
「群青」第33号の内容については、ここで改めて紹介する。
「フリー素材タウン」より、アジサイの1枚。
BRILLIANT CLASSICS版「ハイドン作品集」より、最終150枚めを聴きおえる。
6月24日の記事、「同」(148枚め)で約束した通りである。
またこの作品集の購入の記事(←リンクしてある)は、2013年4月29日付けである。
当時は勤めがあり、また円高で輸入品が安く、買えた訳である。
この150枚めは、調べた結果、「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」(ハイドン自身がクラヴィア曲に編曲したもの)である。
穏やかな曲で、パソコンにかけながら、読書もせずに聴いていたが、物思いのうちに終わっていた。
これからはクラシック曲も、作品集ではなく、個別に買って聴きたい。
沖積舎「上村占魚全句集」(1991年・刊)より、第8句集「天上の宴」を読みおえる。
先の6月16日の記事(←リンクしてある)、「石の犬」に継ぐ。
原著は、1980年、東門書屋・刊。484句。
旅行での作句が多く、この句集の間には沖縄へ何度も、また海外旅行へも出掛けている。
この句集は、1974年~1978年と5年間の作ながら、484句とこれまでより少なく、心境の変化があったか。
以下に5句を引く。
岩ひばりケルンに風のひびき鳴る
頬かむりをとこ結びに朝市女
勁き首たてて羚羊みじろがず
一枚に光る海あり草もみぢ
山国の風いさぎよし初茶の湯
(注:引用の1部に、旧漢字を新漢字に替えた所があります)。
「フリー素材タウン」より、アジサイの1枚。
Google Play Booksより青空文庫発でタブレットにダウンロードし、岡本かの子の小説「渾沌未分」を読みおえる。
同様にして読んだ彼女の小説は、今年4月18日の記事(←リンクしてある)で紹介した「金魚撩乱」以来、10編めである。
また今の所、他の彼女の小説は、無料では見当たらない。ちくま文庫版・全集の端本2冊があるので、それを読むしかない。
ストーリーは、逼迫した古式泳法の家元の一人娘、小初が、援助者の貝原に愛人になるよう求められ、交友があるが左程惹かれない薫とも別れ、遠泳会で強い雨の中を、どんどん沖へ泳いで行ってしまう、という結末となる。
水中で小初と薫が戯れる場面を、高校の図書室で読んだ、40数年前の茫とした記憶がある。
「フリー素材タウン」より、アジサイの1枚。
BRILLIANT CLASSICSの廉価版「ハイドン作品集」(全150CD)より、148枚めを聴く。
先の5月12日の記事(←リンクしてある)、「ピアノソナタ」(1)に継ぐ。
この曲集の名前がはっきりしない(独和辞典が家にない)が、「クラヴィアのための(或いは据え付け型クラヴィアの)ソナタとメヌエット」と推測する。
3小曲と、ピアノソナタ2曲、18曲のメヌエットとアリア、を収める。
ハイドンの曲は古典派らしく端正で、結局、僕にはBGMとなる事が多かった。音楽の素養があれば、もっと楽しめたかも知れない。
最後の150枚めを聴いたなら、ここで報告したい。
岩波書店「近藤芳美集」全10巻の第3巻に入り(写真は箱の表)、初めの第9歌集「遠く夏めぐりて」を読みおえる。
今月4日の記事(←リンクしてある)、「黒豹」に継ぐ。
原著は、1974年、昭森社・刊。628首。
彼は傍観者などと非難されつつ、短歌を自分を頼って来る者を、守って来た。そこには無名者と共にあって、その声の短歌表現を掬い上げようという、基本姿勢を堅持した。
「幻影」の章の1首「つきつめて叫ぶ声々はまぎれねばはるか吾ら見しファシズム前夜」は、リーダーがアジテーションする全共闘運動を、ファシズム的だと言うのではなく、ファシズムの戦前にそのような事態があった、と自身の経験から述べているだけだろう。
以下に7首を引く。
機動隊来るまでを待つバリケード一夜少年のかげ群るるのみ
汝ひとりに女を目守(まも)る壮年も過ぎむと言わば寂しむかただ
テレックス打てる友ありいつか来て吾が枕べにワイン置き去る(デュッセルドルフ逗留)
倖せの足る日のはての老いの意味ベンチを去らぬ影とまじれば(ストックホルム)
茫々と雪降りしずむ森をへだて東ベルリンの空染むる色か(ベルリン再訪)
思想の位置あかせと遠き声ひとつ眠らむ深きねむり求めて
声に出でて呼ぶべきいずへ戦場の死をみな遠く生きつげる日に
筑摩書房「村野四郎全詩集」(1968年・刊)より、第3詩集「抒情飛行」を読みおえる。
このブログでは、5月27日の記事(←リンクしてある)、「罠」に継ぐ。
原著は、1942年、高田書院・刊。5部74編を収める。
前々年の1940年に大政翼賛会・成立、紀元2600年式典があり、前年の1941年12月、対・米英・宣戦布告があるなど、日本は戦争を拡大していた。
この詩集にも、題名でも「愛国詩」「若い尖兵」等、戦争協力の詩がある。ただし心身は冷え、頭脳のみが熱しているようで、中年(当時42歳)のブルジョワ知識人らしい在り様だ。逆編年順に詩が収められているらしく、後に置かれた詩には、喪失感、嫌悪感なども読めるのだけれども。
「フリー素材タウン」より、アジサイの1枚。
先日、久しぶりに臨時収入が少しあったので、以前より欲しかった本を、楽天ブックスより買った。
青土社「吉野弘全詩集 増補新版」(2015年3月・2刷)である。
吉野弘(1926年~2014年)の「消息」から「夢焼け」に至る11詩集、歌詞一覧、資料などを収めている。
ただし「夢焼け」は1992年・刊であって、その後の幾冊かの詩画集、写真詩集等の作品は、ここに収められていない。
価格も税込み1万円を超えるので、執着がなければ、思潮社の現代詩文庫3冊(1部の詩集に抄出がある)で充分だろう。
「荒地」の詩人たちが亡くなって行くと思ったら、その後の「櫂」の詩人も、茨木のり子、吉野弘と亡くなって行く時代となった。
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